第6話 不機嫌なアポロン

 彼が指揮棒タクトを横に振った瞬間。


 エストリーゼの周りにあった障壁は一瞬で消えてしまった。



 単眼の巨人キュクロプスはその様子を見て、ニヤリと口の端を持ち上げる。


 そして、今度こそ目的の少女をその手にしようと太く大きな腕を伸ばした。



 ――怖い、誰か。



 けれど、ただただ恐怖に表情が引き攣るだけで、エストリーゼの体は少しも動かない。


 一声すらも出ない。



 そこには、単なる非力な人間の少女がいた。


 その時。



「アポロン! それは赦されない!」



 エストリーゼが纏う衣装の裾から何かが飛び出した。


 それは腕を伸ばしてくる巨人の頭上を一周し注意を逸らすと、美青年の近くへと飛んでいく。



 宙を飛び、神のように美しい男に向けて諫めたのは一羽の鳥だった。


 人語を話す小さなふくろう



「なんてことだ! グラウコーピス、君は生きていたのか!」



 アポロンと呼ばれた青年は、驚愕の声をあげるとバツの悪そうな顔をした。


 そのまま急いで再びエストリーゼの周りに障壁を造る。



 またしても迫り来るキュクロプスの腕を跳ね返し、巨体は舞台を潰すようにして勢いよく倒れ込んだ。



「ふん、君が生きていたのなら仕方がない。グラウコーピス、これは貸しだよ」



 不満を一言。


 アポロンが流れるような動作で左腕を差し出すと、そこには光り輝く金の弓が出現した。



 空気を切るように添えられた指揮棒タクトは、一瞬で金色の矢に変化する。


 その動作は風のように優美で、寸秒の無駄もない。



 瓦礫に埋まった状態から体勢を整えると、巨人は再び襲って来ようとしていた。


 怒りに顔を歪め、その口からは長い牙を覗かせている。



 ビュッ。



 鋭利な刃が風を切り裂くような音と共に。


 グァガガガガァーーッ。


 突如、猛獣のような咆哮があがった。



 赤く血走った巨大な単眼に刺さっていたのは、アポロンの放った金の矢。


 矢は至近距離のため、猛烈な勢いを保ったまま不気味な瞳孔へと吸い込まれていた。



 細く淡麗な矢は深々と巨大な単眼に突き刺さり、どくとくと激しく血潮を吹き出している。


 巨大な腕で顔を覆い悶絶するキュプロクスから流れ出る血は、そのくすんだ土気色の肌とは対照的に鮮やかな深碧色だった。



 そして数秒後――。



 巨人の姿は輪郭を失うように消えていった。


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