第3話 ケイとアベラ

一度 心に恐れの種を植え付けられてしまうと

気づかない間に 恐れの種は芽を出す

恐れを刈り取る事を 心が決めない限り

恐れは永遠に貴方を支配するだろう


 空は晴れ渡っていた。

 空全体から、この国には光が降り注いでいた。

 光がないところはなく、光は皆に平等だった。


 この国の民はとても幸せである。

 まさに、絵に描いたような幸せがこの国にはある。


 人々の顔には笑顔が溢れ、国のいたるところから、歓声と笑い声が繰り返し聞こえてくる。


 ひとつ

 この国の土地はみなの土地だ。

 誰か一人のための土地ではない。

 ふたつ

 この国の作物はみんなの作物だ。

 誰か一人のための作物などない。

 

 この太陽も、空も、雲も、広大な森も

 地平線の彼方までひろがるあの海も

 全ては皆のものだ。

 誰か一人のためにあるものではない。


 この国に住む、ケイとアベラは、とても仲のよい姉妹である。

 ケイが腹をすかせれば、アベラは自分の食事も彼女に与えた。

 また、アベラも色とりどりの貝殻で作った装飾品を、ケイに与えて喜ばせた。


 この国の人々は、他人に与える事を正しい事と信じている。

 この国には王も貴族もない。

 皆で話し合い、話し合いのために知恵のあるリーダーがいるだけだ。

 リーダーのことを、皆は敬意を込めて長老と呼んだ。

 本当に、国の誰もが長老のことを尊敬していた。


 天候が悪い日々が続いて、食事にありつけないようなこともたまにはあったが、それでも不満を口にする者はだれもいなかった。

 この国では誰もが平等で 誰もが仲間だった。

 全員がそう信じていた。


 ある、太陽が沈みかけた午後の出来事。

 ケイは山で木の実をあつめていた。いつも貝殻の装飾品をプレゼントしてくれるアベラに、今日は自分が木の実を連ねた首飾りを作ってあげようと、思いついたのだ。

 アベラに喜んでもらいたいと、ケイは色とりどりの木の実を探して、山の奥まで進んでいった。


 ケイが山奥にある小川の近くまで足を進めると、突然、森の木々がざわめいた。 

 それと同時に、森の鳥たちは一斉にその場を離れた。

 そして、ざわめきが止んだ瞬間に、どこからともなく髪の長い女性がケイの目の前に現れた。

 淡い色をしたローブのようなものを頭からかぶり、長い髪は地面に届きそうなほどだった。

 不思議なことに、顔を覗き込んでも若い娘なのか、老女なのかも分からなかった。


 しかし、次の瞬間に、この女性の容姿のことなどケイは全く気にならなくなった。

 その女性の手元に目を落とすと、そこには黄金色に輝く見た事の無い塊があった。キラキラと輝くその塊は、小さな太陽ではないかとさえ思えた。

 ケイはその神々しい光に魅了され、しばらく呆然とそれをみつめた。

「こんな美しいものは今までに見た事が無いわ! 」

 ケイは気がつくと自然と言葉を発していた。 


 すると、その女性は、その塊をケイに笑顔で差し出してにっこりと頷いた。そして、塊を手渡すと霧のようにスーッと、その場から姿を消してしまった。

 お礼を言う事ができなかった事を悔やみながらも、ケイは一目散に山を下った。

 アベラにも、国の皆にも、早くこれを見せてあげたいと思ったのだ。

 そして、山を降りると一番はじめにアベラのところへ持っていった。

 黄金色の塊を目にすると、アベラはそれをとても欲しがった。

 ケイは、これは国の掟に従って皆のものにするべきだ、と主張した。

 しかしアべラは首を横に振った

 本当のところ、黄金の塊を自分だけのものにしたくて仕方が無かったのだ。

 アベラはその話の間、ずっと黄金の塊を見つめていた。

 あまりに見つめるので、黄金に吸い込まれてしまうのではないかと心配になるほどだった。

 その様子を見てケイは諦めて、黄金のかたまりをアベラにあげることにした。


 その翌日、ケイの周りには国中から人々があつまっていた。

 まばゆいばかりに輝く黄金の噂は、一夜にして国中に広まっていたのだ。

 小さなこの国で、黄金の噂を知らないものはいなくなった。

 そして人々はこぞってケイに尋ねた。 


「どこに行けばそのような美しい黄金を手に入れる事ができるんだい? 」

 ケイは心の底からうんざりしていた。確かにこの黄金のかたまりは美しい。

 しかし、黄金が光を放てば放つほど、人々の心からは光が失われるように思えてならなかった。

 来る日も来る日も、人々がやって来てはケイに黄金のかたまりのありかを尋ねた。

 あまりに多くの人が聞くものだから、ケイは地図を書いた。

 そして、地図と一緒に「さようなら」の文字を書いてどこかに行ってしまった。

 

 ある日、それを見兼ねた長老が皆に言った。

「お前たちはなぜそのようなものに心を奪われる? 」

 誰かが言った。

「見たこともないような美しいものだからです」

 長老は言った。

「与えることが正しいことではなかったのか? なぜ、皆のものでは満足できないのだ? お前たちは正しく生きる道を忘れてしまったのか? 」

「では長老、美しいものを求める心は悪なのですか? これは人の素直な心のありようではないのですか? 」

「美しいものを求めるのは悪ではない。

 しかし、美しいものを求めることで、世の中で一番 美しいものを失ってしまっても良いのか? 」

 別の誰かが言った。

「世の中で一番美しいものは、この黄金の塊に決まっている! 」

 どれだけ長老が話しても、もう誰の心にも長老の言葉は届かなくなっていた。


 それから数日後、ケイが森で出会った髪の長い女が突然、町に姿を現した。

 ケイから黄金のかたまりを手に入れたいきさつを聞いていた人々は、皆この女のまわりに群がった。


 女は言った。

「お前たちは、この黄金がそんなに好きなのかい? それでは好きなだけあげようじゃないか。こんな美しいものは他にないものね。

 ただし、こんなに美しいんだ! 私もただじゃ渡せないよ。

 そうだ! これに見合う美しい貝殻と交換しようじゃないか? 美しい貝殻をもってきた者には、それに見合った分の黄金をあげるよ」

 女の話を聞いた人々は、白い砂がしきつめられた浜辺にあつまった。

 そして我先にと、美しい貝殻を探し始めた。

 ある者は見つけられずに、他のものから貝殻を奪った。

 またあるものは、人が見ていぬ隙に他のものの貝殻を盗んだ。

 こうしているうちに、浜辺から美しい貝殻は全て消えた。

 

 数日後、女はまた町に下りてきてこう言った。

「私にはまだたっぷりと黄金があるんだ。これに見合うだけの立派な羽根をもっておいでよ。そうだね、一番立派な羽根を持っているのは鷹だろうね。

 今度は鷹の羽根と交換しようじゃないか? こんなに美しい黄金がもらえるんだから、いい話だろう? 」

こうして空から鷲がいなくなった


その後も、人々は黄金をもらおうと女を待ったが、その女が町に現れる事は二度と無かった。


 こうして人々は仕方なく、皆で黄金を交換し始めた。

 皆が皆、黄金が欲しくてたまらなかった。

 この頃には、人々にとってもはや正しい道など、どうでも良くなっていた。黄金はこの国で他の何にも勝る、最も価値のあるものになった。


 ある時、女から一番、黄金をもらっていた男が言った。

「私はこんなにも沢山の黄金を持っている! だからこの黄金をしまっておく場所が必要なのだ。今日からこの場所は私の土地とするから、私以外のものはここに立ち入らないように! 」

 男が皆に少しずつ黄金を分けたので、皆喜んで男が言う事に従った。

 そして、皆がこの男のやり方に習った。

 

 黄金を沢山もっていたものは広い土地を手に入れた。

 あまりもっていなかったものは、狭い土地に住んだ。

 黄金を一切もたなかった長老の居場所は、もうどこにもなかった……


「世界で一番の美しさが失われてしまった。

皆がこの美しさを失わぬように、神は奪い合うことなく誰もが楽しめる太陽の暖かさを、空の雄大さを、海の豊かさを、土に根を張る木々の強さをさずけてくれたというのに……」

 長老はこう嘆くと国を去った。

 

おもいやりという

 世界で一番美しいものの大半が、この時期に世界から失われた。


 話を聞き終えると、王子は悲しい気持ちで胸が一杯になった。湧きあがる悲しみを誰にぶつけていいかも分からず、そのせいで余計に悲しくなった。

 そして、今、この世界にはどれだけの思いやりが残っているのだろう──

 考えてあたりを見回した。

 しかし、どれだけあたりを見回しても、王子が探している答えは見つからなかった。


 しばらくしてゴトーは、再び王子の目をじっと見据えて言った。

「王子、この世界はまるで今の物語の後の世界のようでしょう? 多くの人が美しいと思うもの、魅力的だと思うもののためなら他人の事は顧みなくても良いと思っている 」

 王子が黙って頷くと、彼は口を強く結んでからもう一度口を開いた。

「そして、もし心の底ではそれを間違いだと思っている人がいたとしても、世界の決まりに逆らうことができないでいる。逆らってしまえば、物語の長老のようになってしまいます。自分の居場所をなくしてしまう事や、皆に相手にされないのを自分から望む人はいないでしょう? 」

 王子は納得して彼の言葉に頷いた。


 しかし、彼は続けてこう言った。

「しかしですね、はっきり言ってしまうと私にもよく分からないのですよ。何が正しくて、何が正しくないのか……だから、物語の後の世界が本当に間違っていると、私に言い切ることはできないのです 」

 それを聞いて、王子の心は急に薄い雨雲に覆われた。目的地の書いていない地図を手にして手探りで進んでいるような、そんな不安が王子を襲ったのだ。

 王子がそう考えながらうつむいていると、不安を払いのけるように、彼は自信に満ちた表情で言った。

「しかし、私はこう考えます。本当は何が正しいのか分からなくても、今の自分が正しいと思う事を信じればいいではないかと! 王子、その人にとって一番信頼できるものはなんだと思いますか? 」

 王子は質問されて顔を上げると、少し首をかしげた。

 王子の目をしっかりと見つめると彼は言った。


「それは自分の心です。心は常に自分に寄り添っている。生まれたその瞬間から……そしてこれから先もずっと。

 だから、迷ったときはいつも自分の心を信じればいい。今が答え探しの道の途中だとしても、それに従えばきっとふさわしい場所にたどり着く事ができるはずです」

「こころ……」

王子が呟くと彼は続けた。

「そうです。心です……ある人はそれを魂と呼ぶかもしれませんし、また精神と呼ぶかもしれません。呼び方は自分にとって一番しっくりくるもので良いでしょう。

 勿論、形がないからと、それを無視する人も大勢います。しかし自分に常に寄り添っているこの形ないものを、私は『形がない』というだけで否定する事はできません。大方の意見とは反対に、私にとってこれほど確かなものはないのですから! 」

 そう言っている間、彼の顔は自信に満ちていた。

 その顔は貴族の顔よりも高貴で、名のある兵士の顔よりも尊厳に溢れていた。

 その顔を見て、王子の心にかかっていたモヤモヤが一気に晴れたような気がした。ちょうど、雨上がりの空のように爽やかな気持ちだった。

 気を取り直した王子は、そこでまた考えた。

 ゴトーがしてくれた話は、今まで大臣も学者も教えてくれなかったような話だ。そういう意味ではゴトーは王子にとって、「本当の知恵」が詰まった本のように思えた。


 だから、もっと彼から話を聞けば、きっと彼のように自信に溢れた人間になれるに違いない、と考えた。

 きっと国を立派に治める王になるには、彼のような自信が必要なのだ。

 期待を込めて王子は聞いてみた。

「貴方がなぜ他の人たちと違うのか、その理由が分かりました。それに生まれて初めて心から納得するっていうのがどういう事なのか、分かったような気がします。

 でも、まだ僕は自分の考えにちっとも疑いのない貴方とは大違いです。いきなりお邪魔して何度も話をせがむのは、失礼だと分かっているのですが……どうしても、もっと話を聞かせて欲しいんです。もう少しだけ貴方の話を聞かせてもらえないでしょうか? 」

  王子がそう聞くとゴトーは言った。


「私の時間ならば、いくら王子に差し上げても構いません。しかし、ですね、私は王子が考えているほどたいそうな男じゃないのですよ。どれだけ私が話をしても、王子はきっと満足しないでしょう」

 そう聞くと王子は落胆して頭を下げそうになったが、それを制止するかのように彼は口を開いた。

「王子、がっかりするのは早いですぞ! こういった類の話をするのに、私よりももっと適任の人がいるのですから。

 先ほどの話は、ある老人から聞いたと申しましたが……その老人を王子に紹介いたしましょう。彼であれば、きっと王子が進むべき道を示してくれるに違いありません」

 それを聞いて、王子はキラキラと目を輝かせて大きく頷いた。

「老賢人は一人、森の奥で慎ましく暮らしています。王子、彼の小屋までの道順をお教えしますので、しばらく私についてきてもらえますかな? 」

 王子は笑みを浮かべ、再び大きく頷いた。

 ゴトーに続いて、腰掛けていた噴水の縁から立ち上がると、堂々とした足取りで彼が進む道を、彼に習って出来るだけ堂々とした足取りで進んだ。

 ふと空を見上げると、太陽はまだ空の頂上にはなかった。

 東の空から二人を見下ろす陽の光を背にして、二人は「みんなの庭」を後にした。


 彼について、歩く道中、王子は考えを巡らせていた。

 正直に言うと王子は英雄ゴトーが国で一番の知恵者だと信じていた。彼ほど尊敬に値する人間を見たことがなかったのであるから、そうと信じ切っていたのだ。

 しかし、その彼に知恵を授けるほどの人がいるなんて!

 想像しただけで、嬉しさと興奮で王子の胸は高鳴った。

 彼のいう老賢人について、質問したい事で頭は一杯だったが、聞きたい事が多すぎて王子は一番聞きたい質問をするだけで精一杯だった。

「ゴトー! その老賢人というのはどれ程の知恵を持っているのですか? 」

 彼はいつも通り、自信に満ちた口調で答えた。

「身なりの立派な学者が束になっても敵わない程の知恵を持っていますぞ」

 そう聞くと余計に嬉しくなって、王子は先ほどよりも堂々とした足取りで歩みを進めた。


 二人は広場を出てから、森へと続く緩やかな小道をしばらく進んだ。

 石やレンガで出来た建物は歩みを進めるたびに少なくなり、青々と茂った緑や、はつらつとした木々が二人を囲み始めた。

 商人や町の人々の声も、だんだんと鳥のさえずりに変わっていった。

 どれだけ歩いただろうか──

 王子が額の汗を拭いながらふと空を見上げると、さっきまで東の空にいた太陽が頂上近くまで上っていた。

「さぁここです! 」

 ゴトーは唐突に足を止めると、王子の方に向き直って大きな声で言った。

 そこには大きな白い石が二つ、小さな道を挟んでまるで門のように置かれていた。王子には何かの入り口を示す門のように見えたが、良く見ると植物のツタが絡まっていて、お世辞にも綺麗とは言えない石だった。普通の人であればきっと見過ごしてしまうだろう。


 しかし、今の王子にとっては世界中に置かれたどの石よりも重要な石だ。王子は石の事を覚えているように、二つの石に「知恵の門」と名前をつけた。

 王子がそんな風に考えていると、彼は「知恵の門」のそばの地面を剣の鞘を使って熱心に掘り起こし始めた。

 そして、しばらく掘ると身体をかがめて穴を覗き込み、得意げな表情で土の中から何かを取り出した。

 取り出したモノから丁寧に土を払うと、彼は王子の目の前に右手を差し出して嬉しそうに頷いた。


 彼の手に目をやると、そこには見たこともないほど白く、キラキラと輝く卵が握られていた。王子が卵にみとれて呆然としている間に彼は話し始めた。

「王子、老賢人の小屋はこの道をひたすらまっすぐ進んだところにあります。大きく右にそれたり、左にそれたりしなければ、難なく小屋にたどり着けるでしょう。それで、私の手にあるこの卵はと言いますと…… 」

 彼が一旦話を止めると、王子はゴクリと唾を飲んだ。

「これはですね……老賢人が不思議な仕掛けをした卵なのだそうです! 勿論、どうやってそんな仕掛けをしたか私には分からないのですが、この卵は土から掘り出して、決まった時間がたつと真二つに割れてしまうのだそうですよ。おそらく老賢人から訪問者への試験のようなものなのでしょう。

 王子、要するにですね、卵を割らずに彼の元にたどり着けばよいのですよ!ですから、王子、くれぐれも寄り道などせずに真っ直ぐに彼の小屋までお進み下さい」

 そう言うと彼は、王子に輝く卵を手渡した。

 卵は王子の知っている卵よりも少し重く、そして少し暖かかった。

 王子はゴトーに丁重にお礼を言うと、彼に急き立てられるようにして老賢人の小屋への道を進み始めた。後ろを振り返る事はなかったけれど、彼が晴れ晴れしい顔をして王子を見送っているのは分かった。

 王子は卵を強く握り締めると、しっかりとした足取りで道を急いだ。


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