第1話 王子

一話  


 心にわいたものは本当に求めるもの。

求めるのが正しいか間違いかを考えていたらそのうち

何を求めていたか忘れてしまうだろう。

きっと正しいか間違いかではなく

心にわいたときに求めようとしなければならないのだ。


 月が大地と向かい合い、虫たちが一斉に鳴き始める頃。樫の木であつらえた頑丈なベッド、窓には最上級の絹で織られたカーテン。城の中でも特に見事に作られた部屋に王子はいた。しかし、どんなに立派な部屋にいても、王子はとても不安だった。縁色にキラキラと輝く石が縁にちりばめられた鏡を、覗き込んで考えた。僕にできるだろうか──


 実は来週の月曜日に王子は国民の前に出て、正式に自分が国の後継者になる事を宣言することになっている。これは、この国始まって以来の国の決まり事で、父親もつまり今の王様も、王子と同じ位の年の頃に同じ宣言をしたそうだ。


 王子は来週の月曜日に十三歳になる。ちょうどいいので、誕生日を祝うついでに発表を済ましてしまおうと、この間の国の会議で決まった。正確に言えば、会議で決まったという知らせを今日の正午に聞いた。

 王子は何度か、この会議というものに出た事がある。父親、つまりは王様と何人かの大臣たちで、これから国をどうするか、隣の国との関係はどうしていくか、など長々と話し合うのだ。こういうのを「政治」と言って、国の将来にとってとても大切な事らしい。

 しかし、正直言うと、王子はこの「政治」というものにあまり興味がなかった。みな難しい言葉を並べ立てるが、内容の半分は良く分からないからだ。しかし、王様の後を継ぐ自分が「政治」に全く興味がないというのは困る。困るのは王子自身ではないのだが──取りあえず、今日はこの国について、自分が知っている限りの事を考えてみようと思った。


 部屋にこもっていても良い考えは生まれない。きっと鳥たちだって、籠の中じゃ本当の自分に気づけないはずだ──王子はこういう類の例えが大好きだ。ごくごく限られた空間で育った王子にとって比喩というものは自分とあらゆるものの接点だ。王子は部屋を出ると、ところどころに灯りがともされた、薄暗い城の廊下を歩きながら国について考え始めた。


 まずは、地理について考える事にした。この国は山と森に囲まれている。言い方が正しいか分からないが、王子にとってそれは「森のような山」で「山のような森」だ。だから、昔から人々は皆、この国を「山の国」と呼んでいる。しかし、王子は生まれてから一度も山の先を見た事がなかった。そして、山の先に行った人の話も聞いた事がなかった。 

 しかし王子には、人並み外れた好奇心があった。だから、王子は家庭教師の先生に何度か「山の先」について質問した。しかし、先生も「山の先」の事は何も知らないようだった。そもそも、この国にある書物には「山の国」と、その隣にある「海の国」の事しか書かれていない。誰も「山の先」や「海の先」について語りたがる者はいないのだ。

 そして、こうも聞いた事がある。

「山の先には魔物が住んでいる。山の先を知ろうとする事は、大きな恐怖を知る事だ」これは、「山の国」が出来た頃から言い伝えられている伝説なのだそうだ。「だから人は山を越えないものなのだよ」みな口を揃えて言った。


「海の国」は山の反対側の平らな道を、馬に乗って半日ほど進んだ場所にある。隣に海があるから、人々はこの国を「海の国」と呼んだ。

 海の国の人々は魚を取るために頻繁に海には出たが、誰も海の先に何があるのか知らなかった。

「海の先には魔物が住んでいる。海の先を知ろうとする事は、大きな恐怖を知る事だ」

 だから、誰も海を越えようとしなかった。


 王子は、この答えに心から納得する事はできなかった。しかし、だからと言ってきちんとした答えを、自分で見つける事もできなかった。この薄暗い廊下のように、漠然としていて心もとなかった。


 気を取り直して王子は、もう一度国の事を考えてみた。

 国には

 肌の黒い人、肌の白い人、あらゆる肌の色の人

 青い目の人、黒い目の人、あらゆる目の色の人

 鼻が高い人、低い人   背が高い人、低い人

 様々な人が住んでいる。

なぜだか分からないが、着ている服の種類はてんでバラバラだった。


 似たような格好をしている人たちもいるのだが、どういう区別やまとまりがあってそうしているのか、王子には検討がつかなかった。

「それは、それぞれが遠い昔から引き継いだ『伝統』というものを守っているからですよ」

前に先生がそう言っていた。

 つまり「伝統」っていうのは、お父さんやおじいさん、そのまたおじいさんの真似をする事なのだろう。これに関して王子はそれなりに納得していた。


 また、王子は人々の仕事に区別があることを知っていた。これは王子にとって、とても興味があることだからだ。

「山の国」の人々の三人に一人は作物や野菜を育て、自分たちで食べたりそれを売って暮らしている。

 そして三人に一人は「山の国」と「海の国」を行き来して商売をしている。いわゆる「商人」というやつだ。

 そして残りは、国を守る兵士や、家を建てる大工、もしくは料理を作る人などである。


 ちなみに、王子や大臣のような身分の人は「貴族」と呼ばれている。これは全体から見るとほんの一握りで、おそらく百人に一人くらいだろうと王子は考えていた。

 いつの時代もそうなのか分からないが貴族はなぜか一番偉く、成功した商人は一番お金を持っていた。そして、屈強な兵士たちは一番誇り高かった。しかし、土を耕す農民たちが一番幸せそうに見えた。


 王子はできることならば一番幸せそうな農民になりたいと思うことがある。

しかし、前にこの事を話した時に父親がとても悲しそうな顔をしたのを、今でもはっきりと覚えている。

 それ以来、王子は二度とそれを口に出していない。今でも時々そう思うのだが、だからと言って今の暮らしを不満だと思ってもいない。

 ただ、なぜ自分をふくめて「貴族」と呼ばれる人々が、みんなから偉いと思われているのかは分からなかった。王子が町を歩くと、皆が王子に身体を向けて丁寧なお辞儀をする。そして王子が過ぎ去るまでその場を離れない。

 人々がそれをするのは、王子が偉いからだ、と小さい頃から教わっているが

「偉い」とは一体なんなのだ? と、時々考え込んでは頭が痛くなった。


 とにかく、王子は「貴族」以外の人々と話しをして、どんな生活をしているのか知りたかった。しかし、大臣は「貴族」は「貴族」らしく「貴族」と親しくするのが決まりだと言う。

「それも一つの『伝統』なのです」

 大臣や先生はそう言っていた。

 それであれば人が引き継いだものを、ずっとずっと考えもなしに守っていくのが「伝統」の本当の意味なのだろうか?


 王子はこうも思う。

 そもそも「政治」が国にとって大切なものならば、「貴族」はもっと外に出ないといけないんじゃないだろうか?

 実際に見たもの、聞いたもの、触れたもの、感じた事、この経験を生かして話し合うのであれば、政治というものは王子にとって、幾分も楽しいものになるのだが……

 

 他に方法を知らなかったので、みんなの事を知りたい時、王子は城の屋上から町を眺めた。

 円の形に広がる城下町は国で一番賑わう場所だ。晴れた日はいつも、商人たちで溢れ返っている。

 城の屋上から見ると人々は「蟻」のように見えた。王子は悪意なく、この国をひそかに「蟻の国」と名づけて楽しんでいた。

 

 はっきりとは見えないが、きっと、あそこに見えるのは商人で、珍しい商品を道に並べて、町の人たちの注意を引くために大きな声を挙げている。

 町から離れた、遠くに見えるのは農民で、彼はきっと人参を育てている。

 太陽の燦燦とした日を身体いっぱいに浴びて、肥えた大地と触れ合っている。そして、汗がしたたり落ちるその顔は、満面の笑みに溢れているに違いない。

 夕食に食べたシチューに入っていた人参も、種の頃から食卓に並ぶまでこういう物語を経験している。

 だから人参はあんなにおいしいのだろう──


 時折、王子は町の外れにある国が管理する図書館にも目をやった。

 国の図書館にはありとあらゆる文字で書かれた、ありとあらゆる技術や学問の本があるそうだ。

 勿論、王子には読めない

 しかし、国のほとんどの人はこの国が広めた文字しか知らないため、王子に限らずほとんどの人間が無数の本に目を向ける事はなかった。

 だから読めるのは、一部の学者か王室の関係者だけだった


 本がどこから集められたか分からないが、とにかくそれはあらゆる知識の宝庫と言って良かった。

 もしかしたら探している「答え」はあそこにあるのかもしれない……

 王子は前にそう考えた事があった。それで何度か城に訪れた学者に、本を読んでくれるようせがんだのだが、偉い学者は言った。

「目を向けない方が幸せでいられる事もあるのです」


 気がつくと王子は廊下から階段を登り、お気に入りの屋上に来ていた。

 月を見上げて、その薄明かりで照らされる町を眺めた。

 今夜は少し風が冷たい。 

 その風に身を任せて王子は思った。

 この風は僕に何か伝えようとしているのだろうか?

 きっと、答えはもっと別の場所にある──

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