放蕩息子
高橋幸次郎の生まれたのは大阪である。代々両替商を営む家だったが祖父幸太郎の代に東京に移り銀行業務を始めた。
銀行から多くの企業を設立し高橋財閥を作り父幸三郎は男爵に叙せられた。
幸次郎が生まれたのは大阪だが物心ついた時には目黒の屋敷で育てられていた。
父は財界人としてもまた地元の顔役としても有名で幸次郎を「目黒の若様」と近所の人は呼んだ。
顔役というように多くの人が金の無心やトラブルの解決のため多くの人が屋敷を訪れた。
堅気もいたがヤクザもいた。今では問題だが当時は例えば相撲や歌舞伎の興行に地元のヤクザが行っていることがほとんどで目黒界隈を縄張りにしていたのが香具師の元締めである「目黒の孫六」こと鈴木孫六である。
興行から祭りの屋台まで孫六が取り仕切っていて警察でさえ文句を言うことができなかった。
幸次郎が会った時の孫六は60過ぎの温厚で小柄な好々爺であったが頬に刀傷の跡が残っていた。実の祖父を「幸じいちゃん」といったのに対して「孫六じいちゃん」と幸次郎は慕っていた。
のちに「どちらの爺さんも食えねぇ奴だったな」と幸次郎は笑っていた。
表の顔は幸太郎、裏の顔は孫六といったところであろうか。
祖父や父は江戸の人間であったので孫六のような香具師の存在の必要性を感じていた。商売をしているとどうしてもトラブルを抱えてしまう、それをいちいちお上に訴えるというのは非効率であり解決することも少ない。地元の元締めがそれを行うのはまっとうな事である。
幸次郎は商売を祖父や父に学び喧嘩を孫六に学んだ。
学習院の小中に通ったがこの時のあだ名は「喧嘩高橋」だった。幸次郎から喧嘩を売ることはしなかったが売られた喧嘩は全部買った。
学習院は華族の子弟が多かったから周囲は「腫れ物に触る」ように接した。
唯一仲が良かったのは明石陸軍中尉の長男源太だった。最初は喧嘩をした仲であったが二人ともどこか「仲間はずれ」という感覚をもっていたのだろう。あっという間に無二の友になった。
源太を孫六のところに連れて遊びに行った時香具師の元締めの顔をみても動揺しない源太の姿をみて「坊ちゃん、この旦那は将来大物になりますぜ。今のうちに義兄弟の契りを結んでおくのがいいでしょう」
と孫六は言った。
「孫爺い、でも俺たちはまだ酒は飲めないんだよ」と孫六の提案を断ろうとしたら
「おいらは立って歩いた時から飲んでますよ、それにこの目黒の孫六が立ち合い人になりましょう」
そういうと祖父や父の間に立ち義兄弟の杯を交わした。
まあ優等生ではなかったが度胸はあり腕っぷしも強かった、それになかなかの美男子であったため女子からの人気が多かった。
しかしその腕っぷしのお陰で学校内で喧嘩沙汰を起こしてしまいとうとう祖父や父も困ってしまった。
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