第25話 甘え
石原さんが、佐々木さんに追い付いた。
喫茶店の窓から、何かの動画でも見ているような感覚で、俺はそれを眺めていた。
石原さんが、佐々木さんの肩を掴んで振り返らせる。佐々木さんがそれを振り払う。
石原さんが、ふざけたみたいに佐々木さんに絡んで、それからぎゅっとしがみついた。しがみついている様子に胸が締め付けられる。でもそれは、石原さんが他の人を好きであることに嫉妬しているからでは無い。
石原さんに幸せになって欲しいからだと思う。
石原さんにすごく感情移入している。
『佐々木さん、もう観念してやってよ』って、心のどこかで思ってる。
すごく勝手なことだと分かっているど、俺は石原さんの側に立っている。
佐々木さんは年齢よりも落ち着いていて、なんか頼れて、マイペースで優しくて、でも簡単にはこちらの思惑に乗ることがなく、冷静さが時にすごく冷た感じられることもある。芯が通っているからこその冷たさ。でも、だからこその安心感がある。
ああ、だから。
だから、佐々木さんは石原さんに靡かないことも知ってる。
知ってる。
テーブルにあった紙ナプキンを1枚取って涙を拭いた。
最近の自分は涙もろくて恥ずかしい。
2人がこれからどうなるか俺には分からない。
これ以上は介入しない。
今日3人が同時にここに集まったのは運命だと思っている。今後自主的に何かすることは無いだろう。
うん。
レシートを持って立ち上がる。
支払いを済ませて店を出た。
遊歩道のど真ん中で揉みあう2人。中学生のようだ。
これで、このドラマを見るのは終わり。終わりね。
じゃあね。
2人がじゃれているのとは違う向きへ歩き出す。
明日からは、佐々木さんと普通に話そう。あの人が俺をどう思っているかは気にしない。今日のことも含めて向こうがこっちを避けるならそれもまた良いんじゃないかな。
今日会ってみて思ったけど、石原さんを好きだった気持ちが、昇華された感じがする。同調し過ぎたせいかも知れない。それとも涙で流れていったのか。
ほんの少し憧れが残ってる。あの性格が羨ましかったりもする。
「後藤!」
そんな石原さんの声が後ろから聞こえた。
振り向くと、スーツ姿の佐々木さんの腕を捻り上げて、石原さんが俺を手招きしていた。
「ちょっと来い!」
何言ってんだか。
「いやですよ!」
石原さんに逆らうのは2回目か。
「こいつがどうなってもいいのか!」
物騒な言葉だけど、声が笑ってる。捻り上げられた佐々木さんから『痛い、痛い』と変な声が漏れる。
「いいですよ!佐々木さんが、どうなったって」
そう叫び返したら、石原さんが佐々木さんを連れてこちらへ向かって歩き出した。逃げてやろうかと思ったけど、なんとなくこの中学生みたいな空間に居たくもあり、足が少し迷って逃げ遅れた。
石原さんって、そういうのも見逃さない人だ。
「お前ね、佐々木がどうなってもいいなんて、それはお前、お前の甘えだからな」
だいぶ近づいてきて、石原さんが俺にそう言った。
「甘え?」
「お前は、佐々木が頑固で、変わらないのを知ってる。それに甘えてるんだよ」
そう言って、連れてきた佐々木さんの腕をもっと捩じり上げた。
「いててて、ちょ、石原、マジで痛いって」
「痛くしてんだからあたりまえでしょ」
「石原さん、俺が甘えてるってどういう」
俺の質問が終わらないうちに、石原さんは捻り上げた佐々木さんの腕から手を放した。
そして、間髪入れずに彼のネクタイを強く引いた。
ネクタイを強く引いて、引き寄せて、キスをした。
俺の目の前で。
心臓が、心臓が跳ね上がる。
「ちょっと、石原!」
佐々木さんが石原さんを突き飛ばす。
石原さんは佐々木さんのネクタイから手を離さない。
バランスを崩してその場に2人で倒れ込む。
立ち尽くす俺。
倒れた石原さんが俺を見上げてニヤリと笑った。
「後藤、お前、今どっちに嫉妬した?」
俺に訊いた。
どっちって…。
それは、そんな…。
「後藤、今は俺から佐々木にキスしたけど」
石原さんは挑発的な顔で俺を見上げている。
「佐々木から俺にキスしたらどう思う?」
どうって。
想像した。
佐々木さんが、すべてを受け入れて石原さんにキスをするところ。
想像して、いや、そんなのあり得ない、と思った。
気持ちがザワザワした。
嘘だ。
佐々木さんから石原さんにキスしたら。
『嫌』だなんて。
そんな。俺。そんな。
「嘘…」
口元を手で覆う。自分が信じられない。
「お前が俺に佐々木を押し付けるたびに」
石原さんが続けた
「佐々木が俺のことを断るのをお前は知ってる」
握りしめたままの佐々木さんのネクタイをまた引いた。
佐々木さんが、首が締まるのか苦しそうに手を首に当てた。そのまま、緩められないか、ネクタイの結び目に指を絡めてもがいている。
「お前が俺に佐々木を押し付けるたびに」
石原さんが、ネクタイから手を離した。
「お前は佐々木の気持ちが変わらないのを確かめてるんだ。それが甘え以外の何なんだ。佐々木の気持ちが変わらないのを知っているから、平気で俺に押し付けられるんだ。お前は、佐々木が好きなんだよ」
決定的な一言を言われて、混乱する。
彷徨った自分の目が、佐々木さんを捉えた。
佐々木さんは、喉に手を当てたまま複雑な表情でこちらを見上げていた。
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