第24話 祈り

 

「…もう終わりですか?こっちを見ないふりをするのは」

 訊いてみた。

 佐々木さんは動揺する様子も無く、ただ「そうだな」と呟いた。

 真顔でテーブルの上の砂糖壺を眺めている。

「でも」

 ふと顔を上げた。

「まだ、迷ってる」

 なんだ、それは。

「どういうことですか」

「気持ちを隠せなかったら、後藤に迷惑がかかるから、迷ってるんだ。でも、普通にコミュニケーションは取った方がいいと思ってて。仕事でも、他でも、手伝えることは手伝いたい」

「手伝ってもらわなくていいです」

 強がってみる。

 本当は、ありがたいのに。

「うん、本当は後藤は俺の助けなんて必要ないって、分かってる。でも」


 コーヒーが目の前に置かれた。

 ウェイターが去るまで、お互いに黙っていた。

 佐々木さんがブラックのままコーヒーを一口飲んだ。カップをソーサーに戻す。その動作を、俺はなんとなく眺めていた。


「後藤には迷惑だろうけど、俺の自己満足で勝手に動く」

 佐々木さんがそう言って、俯いた。

「何かしたいっていう気持ちを、止めるのが苦しい。この前も、しんどそうだと分かっていたのに手が出せなかった」

 いつもより、よく話す佐々木さん。しばらく話していなかったからか。

「後藤に手出しできないから吉田さんに声かけるしかなくて、俺だって大したことできないけど、もっと早くから助けたかった。あんなふうに倒れるのを、見るのがつらい。倒れた後藤に、何もできないのがつらい」

「それは」

「後藤が倒れた時、家を知ってますと名乗り出て、送っていきたかった」

 

 佐々木さんが、俯いたまま祈るように両手を合わせて額にあてた。

 今、俺また盛大に告白されてるんだなって思った。

 目の前のこの人は、種類はどうあれ、めちゃくちゃ俺のことを心配したり想ったりしている。

 この人は、俺のことがめちゃくちゃ好きだ。

 こんなことは、今後の人生でも無いだろう。


 俺だって、佐々木さんのことは好きだ。

 でも、種類が違うと思うから。



 

 しばらく黙って、窓の外を見ていた。

 目の前に、祈る人。

 俺に対して祈る人。

 俺を想う気持ちをどう殺そうかと祈る人。

 窓の外を見ながら、人を待っている俺。

 腕時計を見る。



 もうそろそろ来るはずなのだ。

 


 ああ、来た。

 でも向こうは、こっちが喫茶店に居るのは知らない。

 スマホを取り出して、電話をかける。

 小声で告げる。



「石原さんですか?目の前の喫茶店にいますよ」



 佐々木さんが、ギョッとして顔を上げた。

 信じられないという表情で俺を見た。





 熱が下がるかどうかの頃に、石原さんから電話があった。

 週末に帰国するという。

 どうして俺に連絡してきたんだろうと思った。でも理由は聞かなかった。会えるか、と訊かれたので、大丈夫ですと返事した。

 石原さんとの待ち合わせまで、気持ちを落ち着けたいと思って美術館へ行くことにした。石原さんと出会うより前から知っている絵を、たまたま見ることができたのは良かった。

 人生経験を経ると違って見えるのか、なんて思っていたけど、絵は絵だった。

 ただ俺の気持ちを落ち着けてくれた。


 美術館を出て、佐々木さんがベンチに座っているのに気付いた時、すごく不思議な気持ちになった。

 ああ、なんか全部運命なのかも。

 そういう気持ちがしてきて、腹を括って、誘った。



 喫茶店に入ってきた石原さんが、一瞬ギョッとしたのを俺は見逃さなかった。

 しかし、すぐに平常運転の表情に戻り、『よぉ』と言いながらこちらに近づいてきた。

 ストンと佐々木さんの隣に座った。

 それがめちゃくちゃ自然で、定位置な気がした。

「なんで佐々木が?」

「たまたまそこで会いました」

「ふーん」

 石原さんは、なんとなく小さくなって座っている佐々木さんをジロジロ見た。

「…後藤って、よく分からない奴だね」

「そうですか?」

 それから、佐々木さんにも声をかけた。

「お前もバカだね」

「お前に言われたくない」

 石原さんの方を見ることもせず佐々木さんが反論する。

「何この状況」

 石原さんが俺に訊いた。

「俺にも分かりません」

 素直に答えた。

「石原さんに電話いただいて、会うことになって、そうしたらたまたまさっきそこで佐々木さんに会ったから、まあせっかくだからと思って連れてきちゃったんですけど」

 そう言ったら、石原さんは佐々木さんのことを一層舐めまわすように眺めて、鼻で笑った。

「でも、あれだろ。佐々木は俺が来るの知らなかっただろ。来るって分かってたら、ここに居ないよな」

「…そうだな」

 2人の間の空気は、なんだかこれまでと違う。俺が石原さんを道に置いたまま帰って、それを佐々木さんが介抱した日に、何があったのか。

 佐々木さんが怒って俺の家まで来るまでの、あの間。




「帰るよ」

 佐々木さんが立ち上がった。

「後藤、さっきの話は忘れてくれ」

 俺にそう告げて、店を出る。

「おい、佐々木」

 石原さんが後を追う。





 窓から、2人の様子が見えた。


 速足の佐々木さんを、石原さんが走って追う。

 俺からどんどん遠ざかっていく2人。そして距離を詰めてゆく2人。ドラマでも見ているようだ。最初からずっと俺は部外者だったと思う。

 出会って7年の2人。いろんなことがあっただろう。俺の知っていることなど少ない。



「あ」

 自分に、驚いた。

 俺、泣いてる。

 何で?




 俺が涙を堪えられないのは、このドラマの誰に感情移入しているからだろう。




 石原さんが、佐々木さんに追い付いた。







 

 

 

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