第23話 待っている

「後藤が好きで」 


 何かが崩れてしまう気がしてゾッとした。

 

「一緒に居たい」


 泥沼って、もっとドロドロしてると思ってた。でも実際自分が浸かってみると、意外にも純な想いの連鎖と絡まりの産物だった。

 サラサラしてる。


 でも抜け出せないという意味で立派な泥沼だった。



 佐々木さんの告白は、例えば尊敬していた先生に恋愛感情を抱かれてしまっていた、そんな不安と嫌悪感を感じさせた。ただ、感じたのは俺の勝手で、あの人は俺の先生でもなんでもなく、同じ課の先輩、それだけだ。

 ゆっくりと時間をかけて佐々木さんを「石原さんの好きな人」として認識したり、「良い先輩」と認識したり、「変人」と認識したり、その時々本当にいろいろなふうに捉えて、自分の中で租借しながら少しずつ、「傍に居るのに心地良い人」として扱うようになっていって、そこにかなり重い告白。

 認識の修正。修正。修正。修正。修正。

 ねえ。

 一体あんたは、俺にとって何なの。




 日曜日。

 一人で美術館にいた。

 久しぶりだった。

 熱が下がらず翌日の金曜日も休み、土曜日に熱や痛みが引いたところだ。

 もう少し家に居たほうがいいのかも知れなかったけど、部屋で横になっていると色んな夢を見て、うなされるので気分転換したくなった。全然無関係なものを見て、頭を空っぽにしたくなったのだ。

 ジョン・コンスタブルの風景画。初めて見た時に、どの絵も空の様子に支配されている気がして奇妙な違和感を感じたが、後にコンスタブルが空を描くことにこだわりを持っていたと知って納得した。

 今では好きだ。描き込まれた雲の様子などをじっくりと鑑賞する。

 理由や理屈が分かると好きになるものもある。嫌いになるものも。

 こうやってあまり人と交わらず、一人で静かに暮らしていたい。人を好きになるということは、俗世に自らまみれていくこと。

 とても疲れる。疲れた。

 もう、いいや。


 さよなら石原さん。大好きでした。

 さよなら佐々木さん。あなたのことは良く分からないままでした。


 変な話、この数日間うなされたのは、ほとんど佐々木さんのことを思い出した時だった。俺、人に好かれるのが苦手みたい。人にこんなふうに好かれて、気持ちをぶつけられるのは初めてで、持て余してしまう。だから佐々木さんの気持ち、困ったなと思いながらどこか他人事のようで、深く考えることをしていなくて、どうも自分の中で整理ができていなくて、ごちゃごちゃして。

 佐々木さんとのことを思い出してはうなされた。その間いろんなことを思ったけど、だからといって気持ちが整理されたわけでも昇華されたわけでも無くて、熱がさがっても未だによく分からないモヤモヤが残ってる。

 けど、もういいや。



 『白い馬』っていう絵が好きだ。タイトルの「白い馬」は風景の一部として、そんなに大きくなく描かれている。しかも後ろ姿を。

 立ち止まって、じっと見た。

 


 2時間ほど居て、美術館の外に出た。午前中から居たのに、時計を見ると昼をとっくに過ぎていた。このままどこかに食べに行くか、どうしようかなと思う。

 そんなに腹減ってない。どこか喫茶店に入って、買ったパンフレットでも見よう。少し時間を潰さなくてはいけない。


 今日はコーヒーを飲みたい気分だな。

 そう思いながら歩いていたら、少し先のベンチに見知った人が座っていた。その人が、こちらの気配に気付いて顔をあげる。

 俺の姿を認めて、表情を固くする。





「後藤」


 佐々木さんだった。





 話しかけられるのが久しぶりで、気持ちがざわついた。

「コーヒー飲みたいんですけど、一緒に行きますか?」

 気付いたら、誘ってた。

「うん」

 頷いて、佐々木さんがベンチから立ち上がる。

「もう、身体大丈夫なのか」

「ええ、病院行って薬もらって、昨日で熱も下がりました」

「そか。良かった」




「ずっと待ってたんですか?」

 あそこで座っていたということは、俺が美術館に入るのを見たか、美術館の中で見たかして先に出て、待っていたということだろうか。

「いや、ずっとでは」

 俺、2時間くらい中に居た。かなり待ったかも知れない。でも佐々木さんが言わないならそれ以上は聞かない。

「今日、仕事ですか?」

 佐々木さんはスーツを着ている。

「うん。朝、少しだけ。昨日の夜にトラブルがあって、タイムアウトして一旦帰って」

 あんまり、寝てないのかな。

「大変でしたね」

「…うん。でも、会えたから」

 会えた?

 誰に。


 …俺か。


 そうきたか。


「後藤は?」

「ちょっと、頭冷やしに」

 そう言ったら、佐々木さんが笑った。

「ん?」

「頭冷やしに美術館に来るなんて、後藤らしいな」

「そうですか?いい感じにスッキリしますよ」

 多分、だからこそこうして佐々木さんと並んで歩いていられる。



 時々寄る喫茶店に入った。二人分のオリジナルブレンドを注文して、窓際の席に向かい合わせに座った。

「それで、何ですか?」

 待っていた理由は。

「何もないよ」

「何も無しであんなところで待たないでしょ」

「そう言われればそうなのかも知れないけど、本当に、なんとなく待ってた」

 なんだ、それ。

 じゃあ、ずばり訊いてみよう。


「…もう終わりですか?こっちを見ないふりをするのは」

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