第20話 動揺と妄想



「で、呪いって?」


 脳内で石原さんの虚像と語っていた俺を我に返らせたのは姉貴だった。いつの間にか洗面所に入ってきていたのだ。

「なんでもないよ」

 話はあまりしたくないから、不機嫌そうに言い返した。そんな俺の後ろから、姉貴が一つ情報を放り込んできた。


「今日、佐々木さんに会ったわよ」

「え?」

 ピクッと反応してしまった。今日?

 顔を上げる。

 鏡越しに姉貴と目が合った。

 ニコニコでもニヤニヤでもない笑顔でこちらを見ていた。

「ど、どこで」

 つい訊いてしまった。それから、反射的に訊いてしまったことにイラッとした。

 原因は、この話題に食いついてしまった姉貴への敗北感と、『結局気にしているんでしょ』っていう佐々木さんへの敗北感。

 いや、どっちよ。

 どっちも。

「駅のね、ほら、前に会った場所のあたり」

「偶然?」

「そう。たまたま」

「ふーん」

 なんの話、したの?

 なんて。

 そこまでは、聞きたくない。

 いや、本当は知りたい。

 タオルで顔を拭う。


「なんか…言ってた?」

 恐る恐る、尋ねてみる。

「挨拶ちょっとした感じ」

 姉貴の返事は普通。

 じゃあさっきの謎の微笑みは何だよって話。

「挨拶って…」

「文昭のことよろしくお願いしますね、って言ったら、『彼は良くやっていますよ』って言うの」

 ああ、なんか分かる。

「自分が助けるようなことは何もなくて、って言ってた」

 …言いそう。

「文昭の頼りにしていた先輩が異動になったから、大丈夫かなって心配してたけど、その必要もなかったって。でも多分大変だろうから、おうちじゃ疲れてるんじゃないですか?って」

 ……。

「自分には何にもできないけど、おうちに帰ったらお姉さんやお母さんがいるから安心ですねって言って、うちのことも褒めてくれて。

佐々木さんって、なんか良い人ね」

 …うん。

「ほんとは助けてもらってんでしょ」

 ……。

 

 あの人の席を毎日確認して、姿を確認して、精神的に、支えにしているところはあったかも知れない。

 でも会話はなくて…。

 だって、甘い顔できないって思ってるし、決めたし。

 でも、だから、今ちょっと不安定なのかな。俺。

 だって…。


「あとさ、前にうちに来た時より大人っぽい感じがした。痩せた?ってのとも違うかな。雰囲気ちょっと変わった気がした」

 ん?

 ちょっと変わった?

 調子が悪そうな日とか心配したりしてたけど、以前と変わったかなんて分からない。そんなの気付かなかった。

 毎日見ているから見過ごすのかな。

 毎日見てるから。

 ただ、節穴で見てるだけ。

 俺の腐った節穴で。



 話はそれで終わりだったみたいで、いろいろ考えているうちに姉貴は洗面所からいなくなっていた。

 なんか、もうちょっと聞きたかった。彼は良くやっていますよって言った時の…様子とか、あと、雰囲気どう変わったって思うのか、とか…。

 今日は目が合っちゃったしさ、気になるし。

 …ああ、どうしたんだろ、俺。このところすっかりふっきれて、離れてたのに、そう思ってたのに、ちょっと目があったぐらいで動揺してる。

 スマホ、持ち上げて、無意識にメアドを調べてた。無意識に。

 そんなにメールしたことないでしょ、俺。どうしたの。


 

 日中目があったせいか、姉貴とそんな話をしたせいか、夢に佐々木さんが出てきた。会社で見たことない女子と、佐々木さんらしくないほどベタベタしながらこっちに向かって歩いてきた。

 慌てて、隠れた。

 楽しそうだった。あのちょっとだけデレた表情を、俺にたまに見せていた。

 そうだ、俺に告白する前から、あの表情は時々見せていた。

 …俺と話せて、嬉しかったんだなって思った。

 それを今はあの人に見せている。

 好きな人が、出来たんだな。

 石原さんでもない、俺でもない選択肢。そりゃそうだ。佐々木さんの未来は星の数ほど無限の可能性があって、開けている。

 でもそのうちの一時期、俺と話せて嬉しかった時期があったんだなって、冷静に考えた。なんかちょっと胸を締め付ける切なさを感じながら、でもどこかホッとしている自分がいた。

 気が付いたら俺は美術館にいて、佐々木さんも彼女もいなくなっていた。

 俺は会社に入った後のことを全部忘れて、見たことも無い抽象画を観察していた。昔よく使ってた鞄を持っていて…学生時代に戻っているけど、気付いてない。

 この中心の赤い線は何を表しているのか、などと小難しいことを考えていて、それが意外と気分が良かった。

 あ、そうか。

 これ、この絵、見たことある。

 俺の描いたやつだ。

 そっか、俺のが飾られているのか。

 気付いた瞬間、佐々木さんが現れて、俺の肩に腕を回した。


 

 俺氏、油絵の抽象画なんか描いたことないでしょって思いながら目を覚ました。



 出勤したら佐々木さんはもう自分の席にいて、ちょうど吉田さんと話をしていた。ニコニコしている横顔は、姉貴が言ってたような変化があるようには見えない。

「おはよございまーす」

 いつも通り小声であいさつしながら部屋に入り自分の席に着く。

 もういいや。姉貴の話は気にしないでおこう。

 ふぅ。

 こんな状態になってなかったら、昨日姉貴が…なんて話しかけたりするんだろう。もしくは佐々木さんから話しかけてくるかも知れないけど、まあそれも無い。

 夢のことをふと思い出した。

 大学の同級生みたいに、佐々木さんが俺の肩に腕を回して、一緒に絵を見てた。

 そんなシチュエーション、今まで無かった。

 でも多分、それは俺が一番望んでいる状況かも知れなかった。

 石原さんのいない世界で佐々木さんと友だちとして出会う。そんなの、絶対にありえない世界だと分かっていながら。



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