第19話 たちの悪い

「だいじょぶ?手伝うから言ってよ」

 俺の手元の資料を覗きながら、吉田さんがそう言った。

「ありがとうございます」

 ペコリとお辞儀をする。

「すいません。なんか思うように進まなくて。俺、石原さんに頼りっぱなしだったから」

 以前より、いろいろ遅くなってる。一人だとやることが遅くて…。

「ん~、まあ石原も仕事の進め方が独特だったし、完全に真似する必要も無いから」

「…はい」

 吉田さんが言っていることも分かる。けど、なんか悔しいから頑張ろうって思ったりする。

「その案件ってさ、クライアントとどこまで話詰めてるの。スケジュール見せて」

 吉田さんに言われるまま、データ画面を提示した。

「あ~、もうここの確認も済んでんのか。どこで引っ掛かってる?」

「いや、引っ掛かっているといういより・・・」

 俺が抱えているうちの一つの案件のことをそんなふうに吉田さんと話していたときだった。ふと違和感を感じて画面から目を離し、何気なく顔を上げると、佐々木さんがこちらを見ていた。

 あ……。

 佐々木さんはこちらを伺うような表情をしていたが、俺に気付いてスッと自分のPC画面に視線を戻した。

 そこから、吉田さんとの会話がすんなり頭に入らない。

 単語が途切れ途切れに脳に届いて、それを文章に修復しながら佐々木さんのことを考えてしまって。

「はい、一度…確認してみます。夕方もう一度進捗状況報告するんで、見てもらっていいですか?」

「ん、そだね、そうしよっか」

 なんとかメモを取って、吉田さんに礼を言う。夕方に再確認を入れておけば、今もし頭が回ってなかったとしてもリカバリできる。


 ふ~っ。


 なんだ、あれ。

 全然目が合わないから俺のことを見ていないと思っていたけど、違ったのか。

 俺が顔を上げないと分かっている時だけ、見ていたのか。

 それとも、さっきはたまたま…。

 だってあれからは一度もこっちを見ている感じがないもの。

 俺の仕事が遅いのが聞こえてきて、何やってんだって思ったのかも知れない。

 佐々木さんの変な面倒見の良さとか、心配性とか、そういうのが発動してこっちを見てしまっただけかも知れない。

 たぶん、うん。

 佐々木さんは盗み見たりしない。

 俺に対してとても怒って、そうして縁は切れた。

 うん。

 ……。

 って、あれ?

 なんでまた考えてるんだ。

 たまたまにしろ何にしろ、佐々木さんの意志でやっていることを俺があれこれ考えても仕方ないじゃないか。

 佐々木さんの用意した居心地の良い場所で、佐々木さんの気持ちを犠牲に安穏と過ごすのはダサいって気付いて、だから、だから俺は俺のブレない軸を持たなきゃって思ってて…。

 でも、思い出せない。

 俺の軸ってなによ。

 いや。

 認めろ、俺。

 さっき、佐々木さんがこっち見てるの気付いてホッとしただろ。


 ああもう最悪。


「呪いだ、呪い」

 ぶつぶつ言いながら玄関で靴を脱いでいたら姉貴に聞かれてた。

「何?オカルト?」

 めんどくさ。

 …会話がめんどくさいんだ。

「それよりタチ悪いやつ」

 言い捨てて洗面所へ向かう。手を洗って呪いを落とす。

 鏡の中の自分は、前よりちょっと頬がこけている。こっちは石原さんの呪いだから甘んじて受け入れよう。

 よろしくないのは佐々木さんの呪いだけだ。佐々木さんのことが気になってしまう呪い。佐々木さんに甘やかされるのが当たり前のようになってしまう呪い。佐々木さんのお世話が心地よくなってしまう呪い。石原さんが捕らわれた呪い。完全に距離を置くことにした原因となった呪い。佐々木さんが提供するなんか丁度いい空間っていうか、出ていくの嫌になっちゃうぬるま湯っていうか。あの困ったやつ。なんか多分無意識にやっちゃってるあのタチの悪いやつ。天然の。

 …女子にも普通にモテるよな。

 就職してからの自分は石原さんが好きになって、でも距離があって憧れが強くなっていった。

 今では思い出も霞んでアイドルに憧れてたみたいな薄らぼんやりとした記憶になっている。

 一方で佐々木さんの記憶はややくっきりしている。気持ちが悪いとどこかで思っていたからだろうか。

 なんで片思いしていた『良い思い出』の方をモヤモヤにさせちゃってるんだろうな、俺。佐々木さんがこの家に来たこととか、ふんわり抱きしめられたこととかがやけに生々しく思い出せてしまう。

 

 顔をゴシゴシ水で洗う。なんか余計な事を考えそうで嫌。呪いの解き方が分からない。石原さんなら俺を救える?


 逃げ出した俺にお前が救えるわけがない。


 ふと、そんな声が耳に聞こえた気がした。顔を擦っていた手を止める。

 洗面所に、水の流れる音だけがジャージャー響いてる。


 俺が誰かを救おうとすることなんてあるか。


 石原さんが、そう言いそうな気がした。

 そう。石原さんは誰かを救おうとしたりしない。

 でも、石原さんは存在そのものが俺の救いだった。


 

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