第18話 その意味
俺にとっての石原さん。
俺にとっての佐々木さん。
外回りから帰ってきて、真っ先に見てしまうのは佐々木さんの席だ。4月に入り、石原さんは約束通り出国の連絡を俺に寄越して、そしていなくなった。
俺と佐々木さんは、異動もなくそのまま同じフロアで顔を合わせている。これがなかなかキツイ。
あの日以来佐々木さんは俺に構うのをやめた。当然と言えば当然の状態になった。
昼飯も一緒に行かないし、定時後に誘われたりもしない。
これまでも、俺から佐々木さんを誘うことはほぼ無かったので、この状況を作り出しているのは佐々木さんの匙加減一つだ。逆に言うと、これまでの俺の環境を作り出していたのも佐々木さんということになる。
これまでの俺の快適環境を作っていたのは佐々木さんだったのだ。
佐々木さんの立場から考えて、自分を振って他の奴に売り飛ばそうとしていた俺に親切にする必要は全く無い。また、同じ部署、同じフロアで仕事をしているとは言え、違う係の後輩である俺をフォローする責任なども全く無い。
そういうのは俺だってちゃんと分かっているし、声かけてもらえないから寂しい、とかは実はあまり感じていない。
それでも、毎日佐々木さんの席を確かめる。
他の人は気づいてない程度に、元気がなさそうな日とか、顔色の悪い日があるよね。あんたはあんまり態度に出さないけど。
大丈夫かなって思ったりする。勝手に思って、何の処理もしない。次の日に普通にしていたら、なんだか安心する。
そうやって、なんとなく観察して、以前はそれで時々目が合ってた。佐々木さんも俺を観察していたからだ。
最近は目が合うことも無い。
つまり彼なりに、俺の観察を終了したということなんだろう。
全然構わない。見られるのに慣れていない俺からしたら、目が合わないっていうのは非常に気が楽になった感じさえある。
なのに、なんだろうな、今の状況が俺にはしんどい。
うちの係は石原さんが異動した分が単純に人員減となってしまったので、なかなか忙しい。そんなこともあって、4月に入ってからはジムに一度も行っていない。佐々木さんは行ってるんだろうか。わかんないや。けど、多分定期的に通うだろう。なんかそういうの、真面目な人だ。
時々思うことがある。
一年前に俺がここに来た時に、石原さんが居なかったら、どうなっていたかなって。
そういうことを考える。
石原さんが居なかったら、俺は自分の性的志向を考え直したりしなかっただろうな。
石原さんが居なかったら、佐々木さんは俺を好きになっていなかったんじゃないかな。
石原さんが居なかったら、俺と佐々木さんとは、普通の先輩と後輩だったかな。
俺は佐々木さんを良い人だと思って、姉貴に斡旋していたかも知れない。少なくとも、今みたいな状況にはなっていなかったんじゃないかな。
……。
けど、石原さんが居なかったらっていうシミュレーションを続けていくと、必ずぶつかる壁みたいなものがある。
それは、全てが佐々木さんの行動次第だっていうことだ。
もしも石原さんが存在していなくても、佐々木さんが俺を好きになったなら、今に近い状況になる。
俺が自分を変えられても、俺が自分を抑制できたとしても、佐々木さんの気持ちや行動は予測できず変えることもできない。
そんなことをぼんやり考えながら彼の席を見る。誰も居ない席をいつの間にか眺めていることもあれば、その大きな背中が目に入ることもある。
ああ、俺がやっていること、思っていること、全部全部無駄なんじゃないか。
石原さんが出国する日、本当に連絡が来た。それもメールじゃなくて、電話が鳴った。
「は、はい!」
仕事中だった。出先から、駅に向かっていた時。
『後藤?』
声がちょっと掠れていた。
「後藤です!」
緊張してしまって、変な返事をした。石原さんの気配が笑った。
『もうすぐ搭乗する』
「え?」
『これで義理は果たしたから、次帰国するときとか、連絡しないから』
そりゃそうですよね。別に付き合っているわけでも無し。
「…はい。分かりました」
『またそのうち一緒に仕事することもあるんじゃねぇの?よろしくな』
俺は黙って頷いて、それから「はい」と返事をした。
『それとさ…』
石原さんが、言い淀む。
『それと…後藤が居てくれて、良かった』
「…はい?」
『なんか、いろいろ、動けた。良かった』
ああ、そういうことか。
でも、それって俺のおかげとかじゃないよな。うんともすんとも言えやしない。急に、言葉にできないような静かな気持ちが襲ってきた。
『じゃあな』
「…はい。お元気で」
お元気で、なんて。
ありきたりの言葉しか出てこない。石原さんはどう思っただろう。
この人に二度と会えなくても、またすぐに会えたとしても、俺の人生は今後、あまり変わらない気がした。めちゃくちゃ好きで、一年間もがき苦しんだ。あれほどの気持ちにはもうならないだろう。ひたすら暑苦しい「好きです」の想いが、すっと冷めた気持ちの中にある、変化のない「好きです」に変わったような感じだろうか。俺がどんな状態でも、石原さんの俺に対する態度は変わらない。というよりも、俺が動けば動くほど、石原さんも佐々木さんに対し行動していたわけだ。
「意味、無いじゃん」
いや、意味はあった。
石原さんが『良かった』と言ったのだから、意味はあったのだ。
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