第16話 足りない
「どうしたの?」
姉貴が訊く。
「いや、大丈夫」
頷いて見せて、玄関へ向かう。
「ちょっと出てくる」
そう言ったら、姉貴は『うん』って、ちょっと心配そうに頷いた。
心配かけるね。
今までもそうだったのか。
玄関を開けたら、門のところに佐々木さんがいた。
「…ども」
「ども、じゃない」
佐々木さんはやっぱりちょっと怒っていた。
「なんで怒ってるんですか」
「後藤が適当過ぎるからだ」
ムカッ。
「適当じゃありません」
「…お前なりに考えてるんだろうけど」
佐々木さんに睨みつけられたのは初めてかもしれない。
「俺には全く分からん」
全く分からん、ともう一度呟いて、佐々木さんは俺から視線を外した。
「全く…意味が分からん」
俺はゆっくり、門のところまで近づいていった。
「何のことですか」
なんとなく想像はついているが。
「お前さ、俺が片思いしている奴に弱いって言っただろ。石原に」
「言いました」
「なんでそういうことを勝手に」
「そう思ったから言っただけです。石原さんはアプローチを変えるべきだと思ったので」
門を挟んで見上げた。
佐々木さんの顔は怒っているけれども、悲しそうでもあった。
「馬鹿かお前、お陰で俺は」
そこまで言いかけて、佐々木さんは言葉を切った。
「…いや、それはいい」
何があったのか知りたいが、知る権利が俺にはない。ただ佐々木さんのお説教を聞くしかない。
「それより後藤は、どうして俺と石原をくっつけたがるんだ。お前は石原が好きなんだから、石原を落とすように努力すればいいだけだろう」
それは正論だけどさ。
「だって石原さんは俺のこと全く眼中にないですもん」
「は?」
「頑張っても、石原さんは落ちない。だから…」
「それは、諦めたってことか」
「…諦めたくはなかったけど、でも本当にどうにもならないと身に染みて」
仕方なく、そう返事をしたら、佐々木さんは大きなため息をついた。
「じゃあ…お前は勝手に諦めてろ。俺と石原のことに口出しするな」
痛いところを突かれた感じがした。
「…はい」
了承する以外に無い。
「俺が言いたかったのは、それだけ」
それだけのためにここまで来たのか。
「じゃあ」
佐々木さんが俺に背を向ける。
俺と、佐々木さんとの間に門がある。
俺にとって、石原さんを好きになった時点で、佐々木さんはライバルとなった。佐々木さんが俺を好きになったことで、俺は石原さんにとってライバルとなってしまった。
佐々木さんにとっては、石原さんがライバルだ。この絡まった糸を、佐々木さんはどう思っているのだろう。
「佐々木さん」
背中に、声をかけた。
佐々木さんがやや面倒そうな面持ちで振り返る。
「佐々木さんにとって、石原さんはどういう存在ですか」
訊いてみた。
「…どういうことだ」
「俺にとっては、石原さんは好きな人で、佐々木さんは…ライバルです。他の感情もいろいろあるけど、俺…今とても混乱してる」
どうしたらいいのか分からないほど。
佐々木さんは?
いつも理路整然としている佐々木さんは、この状況をどう思っているのだろうか。
本当は当事者に訊くことではないのかも知れないけど、この状況って特殊過ぎるから、だからあなたに訊きたい。
見上げたら、ずっと怒ったような表情だった佐々木さんの顔が、ちょっと笑ったように見えた。
「石原は同期だ」
簡潔な答えだった。
やっぱり、佐々木さんは気持ちの整理がついているのだ。
その先を、訊いてはいけないと思いながら、訊かずにはいられなかった。
「…俺は…?」
そう言った時、佐々木さんは黙って俺をじっと見た。
ああやっぱり言うんじゃなかった、と思ったが。
「後藤は、後藤だ」
佐々木さんは口の端を歪めてそう言うと、そのまま去って行った。
俺と、佐々木さんとの間に門があって、なんだか俺にはそれが強固な壁のようだ。
自分でもよく分からないけど、門が無かったら、佐々木さんを追いかけていたと思う。
追いかけて、どうしようと思ったのか分からない。
でも、胸の奥から這い上がってきた気持ちは「追いかけたい」だった。
ただ門があるから追いかけなかった。
佐々木さん性格の潔さと不器用さが俺の感情を揺さぶって、ただ抱きしめたいような、心細いような、不思議な気持ちになったのだ。
けれどもこれはおそらく、佐々木さんが酔った石原さんを介抱するのと似た感情ではないだろうか。
俺のほうこそ、当事者でなければ。
俺が当事者でなければ、もっと佐々木さんの力になれるのに。
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