第15話 佐々木さん

 俺、めっちゃ失恋してるじゃん。

 そう思いながら歩いた。

 佐々木さんはこれから石原さんを滞在中のホテルかどこかに送る。そうすると、きっと石原さんは佐々木さんに絡むだろう。迫るような態度を取る。キスもするかも知れない。もう少しきわどいことも。

 そして、佐々木さんは必ず受け流す。


 下心は湧かないのか?

 湧かない。

 ずっと、友だちか?

 …友だち。


 佐々木さんが、受け流すことが二人の関係を正常に保っている。


 二人とも分かっている。

 もう戻れないし、もう一歩も進めないことも。



 俺、なんのためにいるんだ。てっきり石原さんに咬ませ犬として使われていると思っていたのに。

 ただの暇つぶしじゃん。

 はは。

 失恋とか、そういうレベルでもないや。

 石原さんは覚悟を決めている。おそらく佐々木さんも揺るがない。石原さんにとって俺はずっと『会社の後輩』だ。多少からかうと面白い程度で、佐々木さんとの絡みが無ければ無視できるほどの存在だ。




「地獄の膠着状態」

 家に帰ってから、酔っていたからか、ついそんなことを呟いた。

「なにそれ」

 姉貴に聞かれてた。

「好きな人が俺を好きにならない」

 口が滑った。やっぱ酔ってる。

 案の定は姉貴が反応した。

「こないだの話と違う」

「…こないだ?」

 少し考える。頭が回ってない。

「誰かに好かれて困ってたじゃん」

 ああ…。

「それはそれ。解決させるから忘れて」

 俺もね、俺も覚悟決めないとね。

「文昭の職場って、そういうの多いの?」

「さあ…」

 知らない。

「まあ、そういう年齢か」

「…さあ…」

 分かんない。

「もうちょっと飲む?」

 姉貴が冷蔵庫のドアに手をかけながら訊く。返事をしなかったら缶ビールを二本、持って戻ってきた。

「自分が飲むんじゃん」

「弟の恋バナ聞くの、酔わずに付き合えないわよ」

「そんなもん?」

「そんなもん」

 プシッ…とプルトップを引く音。

「でも、俺、なんか話せないわ」

「そうなの?」

「話したくないとかじゃなくてさ」

「…?」

「複雑な話じゃないんだろうけど、俺の中でまだ複雑なままだから、多分うまくは話せない」

「地獄の膠着状態のこと?」

「うん…」

 まあね。

 俺、飲もう。

「まじで、その、文昭のこと好きになってくれる人で落ち着けば?」

「ははは」

「笑ってないでさ」

 だめだめ、俺のこと好きになってくれたの、佐々木さんだもん。好きな人の好きな人だもん。

「くくく」

「もう、何笑ってんの」

 缶を傾ける。佐々木さんのことを考えながら。

「あんたさ、色々と経験足りないでしょ。人と本気で向き合う機会も少ないし。誰かと付き合うのって成長できると思うけど。それに、案外気が合うかも知れないよ」

 姉貴のアドバイス。確かにね…って気がしつつ、佐々木さんとは付き合えないって改めて思った。

 佐々木さんとは付き合えない。良い人だって知ってるけど。佐々木さんと一緒に居たら、多分ずっと石原さんのことを思い出すし、石原さんに悪いやって思っちゃうし。

 あと俺、いつか多分佐々木さんの気持ちを疑うようになると思う。

 やっぱり石原さんのことが好きなんじゃないかって。

 石原さんは魅力的だし、あの二人の関係性には口を挟めない。佐々木さんと付き合うとしたら、石原さんの存在や二人の関係性をあまり知らない人がいい。


 佐々木さん。


 佐々木さんが、今ここに現れて言うとする。石原はホテルに置いてきた。ちゃんと寝かしつけてきた。あの場所で待っていたのは後藤だった。後藤に話があって待っていたんだけど、酔って座り込んだ石原のこと、友だちとして放っておくわけにはいかなかった。

 そもそも、お前が石原の面倒を見ずに置いていったんだろう。俺が居るのに気づいて、世話を押し付けたのはお前だ。


 …うん。そう。


 わざと、置いていったんだ。石原さんのこと。石原さんが好きだし、石原さんに幸せになって欲しいし、石原さんの目下の幸せは、佐々木さんに迫って断られることだから、その儀式をさせてあげたかったんだ。


 バカなんじゃない?

 石原さんの声。


 お前に同情されるなんて、俺も落ちぶれたもんだね。


 …そんな、つもりは…。


 いつの間にかダイニングテーブルに突っ伏して、眠ってしまっていた。

「ほら、文昭。寝るんだったら部屋に戻んなさいよ」

 姉貴が俺を揺すって起こす。

「ああ、ごめん」

 自分でも気づかないうちに缶ビールを一本、カラにしていた。

「片付けとくから」

 その空き缶なんかを集めながら、姉貴が俺を急かす。

「…ありがとう」

「まあとにかく、寝なさい」

「うん」

 変な夢、見たし。

「あんたのスマホ、鳴ってたかも」

「え?」

「カバンのあたりから振動音してた気がする。でも違うかも」

 このタイミングだったら佐々木さんしか無いよな。

 石原さんから逃れたのかな。

 ま、いいか。

 部屋、戻ろう。


 立ち上がった時だった。

 持ち上げたカバンからスマホの振動音がした。

 ごそごそと、出してみる。

 うん、やっぱ佐々木さんだわ。

「はい」

 出てみた。

『お前、外出てこい』

 意外なことに、めちゃくちゃ怒っている佐々木さんの声がした。

「そと?」

『玄関の前にいるから。出てこい』

 まじ?

「なんで怒ってるんですか」

『お前があいつに余計なことを言うから…』

「余計なこと?」

『ああもうとにかく…出てこい。俺がこのインターホンを押す前に』


 おっと。それは困る。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る