第7話 嫌いになれない

 バットを振れども、まったく当たらない。球速、最低設定なんだけど。

 こんなに当たらないものなのか。

 俺よりも30キロ速い球を打ち返しまくっていた佐々木さんが、こっちに来る。来るな来るな。

 佐々木さんが、フェンスの外側から『とりあえず、背筋伸ばそっか』と声をかけてきた。

「…はい」

 そっか、飛んでくる球にビビッて、背中が丸くなっていた。

「あと、目を離さない。打ち返す瞬間まで球、見て」

「はい」

 言われた通りにしてみたけど、次も外した。

「ああ、少し振るのが遅いかも知れない。今イチ、ニ、サン、で振ってるとしたら、イチ、ニ、で振ってみて」

「はい」

 イチ、ニ…あ!

「当たった」

 真っ直ぐは飛ばなかったけど、バットと球が当たった。振り返る。佐々木さんがニコニコ

「うまいうまい」

 イチ、ニ…。

 イチ、ニ…。

 ああ、当たるようになってきた。

「速度上げてもいけると思うよ」

「いや…今日は、まだ」

「じゃあ、また来る?」

「はい」

 いや…待てよ。

 また来るって、一緒に来るってことかな。それって、いいのかな。

 職場の先輩と後輩としてだったら全然構わないんだけど、佐々木さんはそうは思ってない。そんな人と、一緒に来る約束みたいなことを言っていいのかな。それって変に期待させるんじゃないのか…。

 …いや、俺、先の約束はしないけど、今日みたいに付いてきてしまっている。それだけでも充分期待させているのかも知れない。

 どうして付いてきてしまうのかな。

 どうして、すぐ誘いに乗っちゃうのかな。

 なんか、もっとキッパリ切り離したほうがいいんだろうな…。佐々木さんは今の状態でも良いと言うんだろうけど。


 色々頭の中でグルグルする。

 バットを振る。

 バットに球が当たる瞬間、すべての思考が消えている。

 何も考えなくていい。

 バットと球が当たることだけに集中すればいい。

 それは逃避だ。

 佐々木さんとの関係をどうしていくか。

 逃避。

 バットと球と佐々木さん。頭の中をグルグル巡る。

 その瞬間は、あんまり好きでもない自分のことも、めちゃくちゃ大好きな石原さんのことも忘れていた。

 

 だんだん、前に飛ぶようになってきた。


 一人で来ても、多分上達はしない。客観的に見てくれる佐々木さんがいて、そのアドバイスがあって、球が前に飛んでる。

 教えるのが上手なのかも知れない。

 佐々木さんとは、課は同じだけど係が違うから、直接仕事を教えてもらうことがこれまで無かった。でも、こうしてみると、なんだか一緒に仕事をしてみたい気がする。他の課の人まで色々相談に来ているのは、単に知識が多いだけでは無くて、説明が的確だとか、他の要因があるのだろう。

 少し疲れたので休むことにした。ベンチで座って、入れ替わりに打ち始めた佐々木さんの背中を見つめた。石原さんが好きになるのは分かる。佐々木さんが精神的にも大人で、安定しているから、そばにいるとホッとする部分がある。石原さんは不安定な人だ。

「焼き鳥、どう?」

 スイングしていた佐々木さんが、振り返りざま突然言った。

「はい?」

 聞き返す。

「メシ。焼き鳥で」

 ああ、そっか、元はと言えば晩御飯の約束をしてたっけ。

「良いっすね」

「じゃ、決まりで」

 佐々木さんがバットを構え直す。

「はい」

 さっきは、『奢ってくれるなら』なんて言ったけど、今日はちゃんと自分で払おう。

 佐々木さんのバットに球が当たってカキンと音がした。




「佐々木さん、お店いっぱい知ってますよね」

 焼き鳥、めちゃ旨い。

「一人暮らし7年目にもなると」

 カウンターに5~6人座れるのと、他に四人掛けのテーブルが5セットという小さめのお店。すでに少し混み始めていたので、俺と佐々木さんはカウンターで並んで座った。

「そっか。家で作ったりしないんですか」

「いや、簡単なものは作るよ。炒めるだけとか、鍋とか」

「一人で鍋ですか?」

「野郎は結構やるんじゃないかな。材料全部入れりゃいいし」

 一瞬、鍋ならうちに来たらいいのに、と思ったけど、言っちゃいけないと思って言わなかった。

 一度だけ、佐々木さんを我が家に呼んだ。お父さんが急な出張で帰らないと分かった時に、じゃあ食材余るし、と思って声をかけたのだ。お母さんも姉貴も、佐々木さんについては高評価だった。挨拶がしっかりしていたとか、食べる様子がきれいだったとか、声があんたと違って低くていいとか、ほっとけよというような事も言っていた。

 あの時は、佐々木さんが俺に気があるとは知らなかった。


 あの時のままが良かった。

 佐々木さんが、俺を好きだと言ったから、だから余計な気を遣う。今だって、鍋にも誘えない。メシだって、条件付きじゃないといけない。

 以前は石原さんを巡るライバルとして一方的に嫌っていたけど、佐々木さんのことをよく知って、今ではどうしても嫌いになれない。嫌いじゃないんだったら普通に接したいし、遊びにだって別に行っても良いと思うのに、今度は佐々木さんの恋愛感情が邪魔して素直に付き合えない。

 告白される前に戻りたい。


 …あ…。

 

 これかな。

 佐々木さんが、さっき言っていたのは。

 記憶を消したいと言っていたのは。

 目の前にいる俺を、好きなった記憶を消して、ただの先輩と後輩に戻りたいって…思ってる?

 ちらりと佐々木さんを見上げた。


 その佐々木さんの向こう側に………………。


「石原さん!?」


 石原さんがいた。

 




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