第6話 何気ない

「後藤、ジム行かないか」

 佐々木さんが誘ってきた。その笑顔はやや無邪気な感じがする。昨日焼肉についていってやっただろ。なんだかグイグイ来るなぁ。

「いいです」

 断った。

「じゃあ…俺、今週は月、木って行く予定だから、後藤は月木以外で行けばいい」

 …はあ?

 なんだ、一緒に行きたいってわけでもないのか。

 なんでそんなにジムに行かせたいんだ。訳が分からない。

「行きたかったら勝手に行きます」

 ため息をつきつつ見上げたら、というか、睨みつけたら、佐々木さんは『そっか』と頷いた。

「じゃあさ、今日は一緒にどっか行こうか」

 はぁ?!

「『じゃあ』って何?!」

 思わず大きな声が出た。佐々木さんの表情が一気に曇る。

「だって」

 佐々木さんが唇を尖らせた。

「俺、後藤と一緒にどっか行きたい」


 出た。


 女子高生か!っていう心のツッコミ。

 それと、やっぱりそれか、っていう心の溜息。

 佐々木さんの『後藤とどっか行きたい』は、たまに、明確に、打ち出される。

 別に、俺と居たって楽しくないと思う。根暗だし、友達いないし、仕事できないし、運動できないし。

 だから、佐々木さんの『後藤とどっか行きたい』が恋愛感情だと分かってから、なんで俺なんだ…って、その理由を考えるようになってしまった。それが結構修行っていうか、苦行っていうか、嫌。

 自分のこと、そんなに好きじゃないのに、めちゃくちゃ自分のことを考えてしまう。しかも、結構なんでもできちゃう佐々木さんと、自分を比べ始めてしまう。そうするうちに、結局自分の良いところなんか全然見つけられずに、ひたすら暗い気持ちに嵌っていく。

 この気持ち、どうしてくれよう。佐々木さんに誘われるたび、感じなくていいはずの敗北感が俺の中を駆け巡る。

 深呼吸をして、呟いた。

「俺は、佐々木さんと、どっかに、行きたくないです」

 おもいっきり、つまらないって顔で言ってやった。

「後藤…」

 佐々木さんがしょげて、言葉を失っている。

「何?」

 わざと嫌な感じで先を促す。

「…残念…です」

 なんで、丁寧口調なんだよ、ちょっと面白いじゃんか。

 フッと笑ってしまった。

「あ、後藤笑った」

「笑ってないです」

 笑ったけど。

「じゃあ、今日はいいや。後藤が笑ってるの覚えて帰るよ」

 覚えて帰ってどうするつもりだ。

「笑ってないし、忘れろ」

「俺の記憶領域の使い方は俺の自由だ」

 まあ、その通りだけど。

「いつか、佐々木さんの脳から俺の情報全部抜き取ってやる」

 そう言ったら、佐々木さんがハッとした表情になった。

 俺を見る。

 視線がゆらぐ。

 頷いた。

「…消してくれ」


 佐々木さんは、俺の記憶を消したいらしい。

 俺も、石原さんがいなくなったとき何もかも忘れたいと思った。黙って遠くに行ってしまったことを恨んでしまいそうだったし、そういう扱いをされたことが悲しかったから。

 会えなくなるくらいだったら、忘れたいと思ったから。

 でも。

 俺、目の前にいるぜ。

 職場も一緒だし。

 どういう感情?

「佐々木さん…?」

 定まらない視線を捕まえるように目の奥を覗く。目と目が合っているのに、視線が合っている気がしない。

「…佐々木、さん?」

 もう一度声をかけたら、スッと佐々木さんが戻ってきた気がした。

「…うそ。消さないでくれ」

 そう言って、急に俺にしがみついてきた。佐々木さんからのボディタッチは珍しいから、ちょっと焦った。

「おい、ちょっと…離せよ」

 少し抵抗したら、俺を捕まえる腕の力が強くなった。

「自力で逃げてみろ」

 佐々木さんが俺をからかう。

「くそっ」

 佐々木さんに、腕力で勝てるわけないじゃん。そう思ったけど、振り払ったら案外簡単に身体が離れた。

「ちょっと…」

 何か言おうとしたけど、

「後藤を抱きしめたこと、記憶した」

 先に佐々木さんが、そう言って笑った。

 男らしい笑顔。

 石原さんが好きになった人。

 ああ、どうして、佐々木さんは、佐々木さんなんだろう。

 

 俺の中に、石原さんに対する感情とはまた違う感情が、佐々木さんにはある。

 それは自覚している。

「メシ奢ってくれるなら付いていってもいい」

 そう提案したら、佐々木さんの顔がパッと明るくなった。

 あんたはなんで俺が好きなの。


「ちょっと身体動かしてからさ、メシ行こうよ。」

 佐々木さんが、そう言って振り返った。バットを振る構えを見せる。

「バッティングセンター?」

「うん。当たらなくても楽しいから」

 そう言う佐々木さんは楽しそう。でもさ。

「当たらない前提で喋らないでください」

「ははは」

 佐々木さんが笑った。

「当たらないだろ」

「うるせぇ」

 背中をげんこつでパンチする。

「こらこら」

「痛くないでしょ」

 俺のパンチなんか。

「うん。全然痛くない」

 悔しいなぁ。何もかも負けている。


 佐々木さんは大人っぽい。

 歳は30前のはず。でも20代には見えない。

 ポーカーフェイスなのっぽ。見上げる顔はいつもだいたい同じ。

 あごから耳にかけてのラインがシュッとしている。唇を真一文字に結んでいる。

 俺がエサを撒くと、たまにいろいろ緩む。

 その様子を見るのは嫌いじゃないんだ。

 

 でも、これは恋ではない。

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