第8話 三角
「よぅ」
佐々木さんの向こう側。
石原さんだ。濃緑のパーカーにジーンズ姿で立っていた。
声をかけられた佐々木さんが、ビクッとして石原さんの方を振り返る。
「石原、お前…」
佐々木さんが何か言いかけたが、それを待たずに石原さんが被せた。
「仲良くやってんじゃん」
石原さんだ。
「お前、いつ帰ってたの」
「今日。それより、うまいこといってんの、お前ら」
「いや、メシ食ってるだけだよ」
石原さんだ。
「頑張ってんな、佐々木」
「そういうんじゃないよ」
石原さんだ。石原さんだ。
本物だ。
石原さんが、佐々木さんに話しかけている。少し前まで見慣れた風景だった。
焼き鳥に視線を戻した佐々木さんの、眉間に皺が寄っている。珍しい表情だと思っていたら、石原さんが佐々木さんの肩に腕を回した。
「お前にしちゃ、頑張ってる感じ…じゃね?」
「だから、そういうんじゃないって」
反論する佐々木さんに、石原さんはずっとニヤニヤしている。
「佐々木がねぇ」
ニヤニヤ。
あれ?
ニヤニヤ…?
あ。
まさか石原さん、俺と佐々木さんのメシがデートか何かに見えている?
違う違う違う違う違う!!!
思わず、佐々木さんの腕を掴んだ。
違うって、ねえ、佐々木さん、もっと違うって言ってくれ!
佐々木さんは石原さんと俺に挟まれて、物凄くうっとおしそうな顔をした。こういう顔も珍しいと思いながら、自分で弁解するしか無いと悟る。
「あの、石原さん、メシ、メシです!俺、メシで!」
…何言ってんだ、俺。
石原さんが俺にチラッと目線をくれた。流し目みたいにチラッと。
わああああ!
顔に血がのぼるのが自分でも分かる。
石原さんがニヤニヤしたままなのがイヤだけど、その流し目は美しすぎる。
綺麗。なんて綺麗なんだろう。
「石原さん…」
顔が好きすぎて、息が止まりそう。胸が苦しい。一回に吸える酸素が少ししかない。これまで、どうして俺に黙って行ってしまったのかなんて考えてしまっていたけど、もうこんなに綺麗だから、…何も聞かなくていい。石原さんは、石原さんの自由意思で生きるべきって当たり前のことを思い出した。俺に何か説明する義理も責任も無い。
…って心の整理ができた時、佐々木さんが口を開いた。
「お前さ、なんで後藤に黙って行ったんだ」
いや、もう良いです。
佐々木さんの腕を掴んだまま、もういい、もういいと揺する。
「佐々木さん、いいです、やめてください」
でも、佐々木さんはそんな俺のことを無視して石原さんに問いかけた。
「俺、後藤に言っとけって言ったよな、お前に」
「そうだっけ」
石原さんがとぼける。
「お前さ、そういうことはきちんと」
「はいはい」
石原さんが、面倒くさそうに佐々木さんから離れた。
「佐々木はそうやって後藤を可愛い可愛いって庇ってればいいよ」
「そういうことじゃない」
「めんどくせぇなぁ。俺がデートの邪魔したから怒ってるんだろ」
「デートじゃない。飯食ってるだけだ」
「デートでいいじゃん、もう」
二人で俺を無視して会話をしているが。
なんだろう、このモヤモヤした感情。
完璧に美しい石原さん。
佐々木さんをからかう石原さん。
以前と、少しも変わっていない石原さん。
かたや、俺を心配し、メシに誘う佐々木さん。『ちゃんと言ってから行け』と、石原さんに説教をする佐々木さん。
俺が好きなのは石原さん。
目の前で俺を庇う佐々木さん。
なんだ、この構図。
「佐々木が後藤を誘ったんだろ」
うん、俺が食べられないのを心配して。
「そうだけど、変な意味は無い」
うん。分かってた。
「お前は前から後藤がお気に入りだもんな」
それも知ってる。
「だから、違うって」
うん。分かってる。今はただ俺を心配してくれていること。
ガタン。
思ったよりも大きな音がした。
「デートじゃないです、そういうんじゃない」
あ、俺。
思わず立ち上がっていた。
二人がびっくりしてこっちを見た。
…あ。
佐々木さんの表情が、絶望的に凍り付いている。
違う、違うよ。デートと思われたくないっていうより、佐々木さんが俺を心配してメシに連れ出してくれているの、分かってるし、石原さんにもちゃんとそれを伝えたかっただけで…。
その顔、ショックだった…?
いや、でも…。
それは、そういう意味で受け止めるなら、分かってただろ。
俺は、ずっと断ってきた。
何を今さら…。今さら、そんな顔して傷つき直すなよ。
…いや…。
佐々木さん、ごめんなさい。本当に。何も考えずにすごく衝動的に言ってしまった。だって、俺にだって言いたいことがあったから。
モヤモヤしたし、それに俺を無視して二人で勝手に話を進めている状況ににイラついてしまったし。
ほんの1、2秒の間、凍り付いた表情の佐々木さんと目を合わせていたと思う。
佐々木さんが俯いた。
佐々木さんから先に、俺から目を逸らした。
ごめんなさい。
俺は、石原さんに向き直った。
「…黙って海外行っちゃって、俺、寂しかったですけど、石原さんにも想いとか事情とかあるから、だから、いいんです」
「あ、うん」
石原さんもちょっと固まっている。俺はズボンのポケットに手を突っ込んだ。財布を取り出す。五千円札があったので、カウンターに置いた。
「ごちそうさまでした」
カウンターに声をかけ、店を出た。
混乱していた。
これまでも佐々木さんの好意を断り続けてきた。
今日は、佐々木さんが言った、デートじゃないって言葉をなぞっただけだった。
大好きな石原さんに会えて、とても嬉しかった。でもあのタイミングでずっと一緒に居たいと思えなかった。石原さんが何を言っても、もう石原さんだから仕方が無いと思ってしまう程石原さんが好きだけど、今日は初めて少し意地悪が過ぎると思った。
そうだ。
思えば石原さんは今日、俺を無視してずっと佐々木さんをからかっていた。俺にはそれも堪えた。石原さんは頭が良い。あれは俺に対する当てつけ的な表現でもあった。
付き合うつもりが無いのにフラフラと一緒に晩飯を食っている自分。
そのせいであんなことを言われる佐々木さん。
…すごく、苦しい。
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