第3話 わざと冷たくする
翌日も石原さんは出勤していなかった。上司に確認したら、向こうでの生活準備のために、もう出国していて、一週間は有給休暇扱いだという。
もう日本に居ないのだと知った瞬間めまいがした。
その話は廊下で聞いた。周りには誰も居なかった。
いつも、石原さんの話題が出ると、セットみたいに佐々木さんの姿を探してしまうけど、廊下だったから、ただ俯いた。
まじで。
まじで置いていかれたんだ。土曜日に会ったのに。
佐々木さんは…見送り、したのかな。空港まで。
石原さんのことを想うとき、どうしても佐々木さんがセットで頭の中に湧いてくる。
腹が立つ。
石原さんが好きすぎていつも佐々木さんに腹が立つ。
「え?見送ってないよ」
佐々木さんが言った。それを聞いて何故だかホッとした。しかし、
「空港まで車で送れって言われたけど断った。ペーパーだし」
と言われてイラっとした。
「…俺、いくらでも送ったのに」
運転、平気なのにな。信頼されていないのかな。
「お前に、海外に行くことを知らせたくなかったんだろう」
佐々木さんが、ズバッと俺に真実を突き付けてくる。
「…なんで…」
思わず声が漏れる。
…どうして俺に隠す。
「なんでだろうな」
佐々木さんが、俺の呟きに反応した。低くて、深くて、そして小さい声。
その声から、この人が俺にすごく親身になって、心配し、慰めようとしてくれる様子が伝わってくる。でも俺は、この人にはそういう態度はとってもらいたくない。
この人は…俺が欲しかったものに手が届いていた人だ。
届いていたのに。
俺と佐々木さんの何が違うんだ、…なんてのは愚問だと分かっている。
何もかも違う。
佐々木さんは背が高く、ガタイが良く、仕事もできて顔も悪くない。性格は独特だけど、割と真っ直ぐな人だと思う。俺は全部逆だ。比較対象にもならない。
だからきっと、佐々木さんがライバルでなければ、俺もこの人をもっと好きになれたのだ。
「…ふん」
いいや。佐々木さんと話していると、自分の足りなさが突き付けられて気が重い。
「帰ります」
わざとちょっと大げさに振舞って見せた。
俺はいろいろ足りてない。
でも、そんな俺のことを佐々木さんは好きだと言う。
佐々木さんは俺に冷たくされたときと、俺がガッカリしているとき、少し凹む。俺はそれを横目で見ている。
普段、あんまり感情の起伏が激しくないから、なんだかレアなものを見た気分になる。
俺の言動にちょっとだけ振り回される人がいる。そういう意地悪な快感がある。
自分の足りなさにムカついているとき、佐々木さんがちょっと凹むのを見て溜飲を下げる。最低だけど。
…最低、だけど、こっちは佐々木さんが存在するってだけでかなり傷付けられている。だからこれくらいは許してもらいたい。
そんなことを考えるくらい、俺は足りていない。
石原さんに幸せになってほしい。
佐々木さんに、石原さんを選んでもらいたいって思ってる。佐々木さんが石原さんを選んだら、多分石原さんは幸せだと思うだろう。たとえそれが一時的なものであっても。
そのために、佐々木さんが不幸であっても構わない。
そんなことを考えるくらい、俺は非道な駄目人間だ。
家に帰ると姉貴が帰っていた。
「あれ?文昭ジムは?」
「怠い」
「あんたが育ててるその筋肉、すぐ腐って落ちるわ」
「お前言い方」
「他にある?」
…無い。
「最近暗いけど何かあった?」
「無い」
好きな人が俺に黙って海外転勤しやがりました。しやがりました。
「ふーん」
姉貴は少し考えるようなそぶりだけ見せて、それから俺への追及をやめた。
「ま、1年お仕事続いて良かったじゃない。自分のことでも褒めとけば?」
そう言われてハッとする。
…そっか。就職して1年か。
いろいろあったな。
石原さんに襲われて、石原さんを好きになり、石原さんに告白し、石原さんに振られ、佐々木さんにに告白され、佐々木さんを振り、ええっと…男ばっかり!
「は~」
「何ため息ついてんの?お仕事ブラックで悩んでるとか?」
「違うよ」
ブラックじゃないよ。
「そうよね。帰るのそんなに遅くないもんね」
「うん」
そんな話をしながら、気が付くことがある。
「俺のことはいいよ。ちょっと疲れてるだけ」
「そう?」
「うん。心配ないから」
姉貴、心配してくれているんだ。
ごめんな、なんてちょっとだけ思ったりして。
「週末、ドライブ行く?文昭の運転で」
姉貴は姉貴なりに俺のことを心配してくれている。そのことが伝わってきてちょっとしんみりしたりする。家族っていいなあって思ったりする。
「ドライブね…。ま、弟誘ってないで彼氏でも作れよ」
「いやだ面倒くさい」
心底嫌そうな顔。
姉貴は家に彼氏とか、連れてきたことがない。見た目悪くないけど、正直かなり内弁慶の引きこもり体質だ。
本当に誰かこいつを家から連れ出して欲しい。それが佐々木さんにはできたのに。
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