第2話 理解に苦しむ

 思わず手が止まる。でも、止めちゃいけないんだ。佐々木さんのこの手の話、乗っちゃいけない。無視しなくちゃ。無視しなくちゃ。



『お前が学生のままだと俺はこれ以上進めない』



 って、何言ってんの。どこへ進む気だ。どうして俺が学生っぽかったらあんたが進めないんだ。っていうか俺に断りもなく勝手に俺を巻き込んで進む準備をするな。

 バカじゃねぇの。

 なんでそんなに勝手なの。

 どうしていつも俺の気持ちを無視するの。お前ら二人して…。

 なんなの、その無駄な仲良し。

 クソッ。

 なんなの、その仲良し。

 お前ら、くっついてしまえ。大っ嫌い。


 呪いの言葉は脳内に溢れる。


 それらを無視するために、丼をかきこむ。

 佐々木さんを無視するために。

 佐々木さんにこれ以上話をさせないために。

 あと、石原さんのこと、忘れたいから。

 俺のことを、これっぽっちも好いていない石原さんのことを、忘れたいから。


 気が付いたら、半分くらい食べ終わっていた。あんなに食欲が無いって思っていたのに。俺って簡単な奴だ。…多分佐々木さんの挑発だ。それに乗ってしまったんだ。

 結局いつも佐々木さんの思い通りになってしまう。

「はあ…」

 ため息をついた。

 箸を置いた。

「どうした?」

 隣でマイペースに食事をしていた佐々木さんが、手を止めた。

「俺ってちょろい」

「何?」

「いや、なんでもないです」

「ちょろいって、俺のこと好きになったってこと?」

「そんなわけないでしょ」

 聞こえてんじゃん。バカ野郎。

「じゃあ何」

「佐々木さんの挑発に乗って飯食ってる自分がしょうもないと思って」

「俺、挑発とか、してない」

「そうでしょうね」

 無自覚。たち悪い。

「俺は挑発していないよ。…後藤はこんな時でもちゃんと食べて偉い」

 なんだそりゃ。

「出た、オカン発言」

「…俺は後藤のお母さんになりたいわけじゃないよ。…できれば彼氏に」

 そのタイミングで肩をグーでどついた。佐々木さんは一応、黙った。

「マジでその考えやめろよ。バカ」

「後藤のへなちょこ猫パンチなんか痛くも痒くもないが」

 そうでしょうね。ギロリと睨んでみる。全然平気そう。いつもの穏やかな表情。

「前より少しは力がついてきているな」

 そんなこと、言ってくれる。

「ほんと?」

 だったらちょっと嬉しい。

「後藤、真面目に頑張ってるから」

 それ、石原さんと比べているでしょ。

「ベンチプレスも平均値上げられるようになってきたし」

 まあ、それは確かに。最初は今の半分の重さでもヒーヒー言ってた。

 …佐々木さんがアドバイスしてくれたお陰。もうマジそこは礼を言いたい。けど、今はタイミングじゃないや。

「今日帰りジム行くか」

 行きたいけど。

「さっき、変なこと言ったから、あんたと行きたくない」

 学生のままだと進めないとかなんとか。

「変な目で見てるわけじゃない」

 おおお、本気で嫌だ。

「あたりまえだろ、変な目で見るとかありえねぇし」

「しかし後藤が許可するんだったら、変な目で見ることも可能だ」

 キモい。

「却下」

「お前の嫌がることは極力避けたい」

「じゃあそういうこと言うのもやめろ」

「でも気持ちは伝えておきたい。諦めたと思われるのは嫌だし、常に気持ちは伝えていきたい」

「それが嫌だって言ってんのに」


 状況は複雑化している。佐々木さんの突然の告白により。

 …佐々木さんは、どういうわけだか俺のことが好きなのだ。


 あ~あ。

 佐々木さん、良いんだけどな。姉貴とくっつけたかったな。

 それか…石原さんと。

 石原さん、佐々木さんのこと好きなんだよな。ほぼ多分。俺はこういう勘は絶対外さない。石原さんは佐々木さんが好きなんだ。鈍感すぎる佐々木さんのことを、ずっと想ってる。

 石原さんとは色々あった。最初は酔った石原さんに襲われそうになって。そのインパクトの強さと、誰にも負けないエロい空気とに俺はやられて、もう、本当に好きになった。普段から自分に無い要領の良さとか、仕事の速さとか、憧れがあって、もうめっちゃ好きだったんだけど。

 襲われてからのマジの片思いスタート。

 こんなに人を好きだと思ったことはこれまで一度も無く、こんなに切ない気持ちになったことはこれまで一度も無く、こんなに人を憎いと思ったこともこれまで一度も無かった。

 ああ、これが本当の恋なのか、という気持ち。

 俺、同性を好きになるタイプの人間だったんだ、という衝撃。

 好きすぎて胸を掻きむしる想い。すごく濃密な苦しさ。嵌ってしまって、もう抜け出せない。石原さんが、後輩の俺に向かって屈託なく笑う。その時の幸福感と高揚感。 

 で。

 何がキッカケだったかな。俺は当て馬というか、咬ませ犬にされているんだなって気が付いた。


 石原さんは人を利用する。それは分かっていた。自分の容姿や雰囲気が相手を油断させたり、好意を持たせたりすることを充分理解して生きている人だった。そういう潔い聡いところも好きだった。俺は利用されていた。石原さんの気持ちを6年間も気付かない悪い悪い佐々木さんに対する、石原さんなりのアピール材料として、俺は利用されたんだ。

 …可哀そうな石原さん。

 もちろん、俺で石原さんの役に立つんだったら、全然構わない。利用して下さい。

 それで別の人とうまくいっちゃったら…ちょっと悲しいけど。

 でも、でも石原さんが幸せだったらそれも良いと思う。

 いろいろ試してください。その後、違和感感じたら俺の所に来てください。

 …待ってます。


 佐々木のバカ野郎。

 あの人はバカを百回重ねても足りない程のバカだ。

 石原さんを振ろうなんて、百年早いよ。俺にも顔を見せるな。百年後に出直して来い。

「後藤、次の日曜日遊ぼう」 

「結構です」

「オッケーってこと?」

「違います」

 結構です、がOKサインだなんて、どこのジジイだ。

 分かるでしょ、文脈って習わなかったの?行間って知らない?バカなの?

 なんで石原さんじゃなくて俺なの?空気読めよ。

 …食べよう。

 置いた箸を、持ち直そうとして何故だか佐々木さんと手が触れてしまった。俺に続きを食べるよう促そうとしたらしい。

「ッ…!」

 佐々木さんがすごい速さで手を引っ込めて言った。

「わざとじゃない。すまない」

 顔が赤い。

 中学生か。

 俺の部屋で、俺を抱きしめたことがあった。この程度でこれじゃ、あの時どんな顔をしていたのだろう。

 わざと俺の手を触ろうとする人ではないのは、誰よりも良く知っている。俺は、図らずもこの人のことを良く知ってしまっている。

 いい人だって。

 でも、そういう認めているって空気を出したくない。

「チッ」

 舌打ちをして、睨みつけた。

 佐々木さんがちょっと凹んだ…ように見えた。


 残りの飯が勢いよく進んだ。



 

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