聖剣の暗殺者
あきのななぐさ
序章 平和となった世界の中で、その兄妹はつつましく生きていた。
運命の下り坂を転がるように
建物の影が、その手を長く伸ばし始めた頃。
荒々しい息遣いの少年が、慎重に間合いを計っていた。いや、攻めあぐねていると言った方が正しいのだろう。木剣から方手を離し、額の汗をぬぐっている。
だが、それでも少年の眼はあきらめていなかった。
慎重に、ゆっくりと、目隠しをしている少女の周囲を回りながら、少年はその隙を窺っている。
すっぽりと緊張の幕で覆われている二人。だが、それを簡単に壊そうとする声援が飛んでいた。
その外側から――。
「頑張れ! お兄ちゃん! 負けたら、またおんぶだよ!」
「ウホー! ウホホー!」
声の主。それは一人の幼女と魔獣ギガーゴリラ。
互いに仲良く並んで座りながら、木剣を構える二人を楽しそうに眺めている。だが、その声援の甲斐なく戦いは一向に進展を見せない。そんな様子が続くにつれ、幼女の声も次第に減っていた。
やがてその口はとがり始め、ついに罵声へと変わっていた。
「もう、お兄ちゃん! ちゃんとしてよ。暗くなっちゃうよ!」
「ウホー、ウホー! ウホホー!」
飽きてきた幼女は、決して予言者に成長したわけではない。だが、その言葉が示すように、建物の影が少女を包み込んでいた。
――来る。
まるで、それが誰かの合図があったかのように、意を決した少年は、素早く踏み込み木剣を突き出していた。それは少女の左斜め前からの突き。気合の声を押し殺したその突きは、その年齢に似合わない驚くべき速さで繰り出される。
決死の覚悟を伴って、空気を切り裂きうなる木剣。目隠しをしている少女は、その姿を見ることはできない。
普通であれば――。
だが、次の瞬間。少女の体は流れるような動きを見せる。
それはまるで、風に流れる花びらのように。
切り裂かれた空気の動きにあわせ、少年の横を少女の体が流れていく。
――驚く少年と少女の体がすれ違う。
その瞬間、少年から短く苦痛の声が漏れていた。たまらず転がる少年の体。木剣を持ったままで、自分の腹をおさえてうずくまっている。
「勝負あり! 勝者ルル!」
「ウホホー! ウッホ、ホホ!」
軽やかに告げる女の声。黒いフードつきのローブをまとった人物が、この勝負をそう告げる。それを彩る様々な声も、その場の緊張感を吹き飛ばす。
それを聞いて目隠しを取る少女。そのまま少年の方に歩くと、まだ腹を抑えたままの少年に向かって手を差し出していた。その隣には、いつの間にかギガーゴリラもやってきて、少女の仕草を真似ている。
「平気だよね?」「ウホ?」
小首をかしげたルルの声に、少年は差し出されたその手をじっと見る。なおも差し出し続けるその手に対し、少年は首を横に振って答えていた。
「大丈夫だよ。一人で立てる。でも、目隠ししても歯が立たないなんて、情けないよ……」「ウホホ……」
悔しがる少年は、一人でその場で立ち上がる。だが、それに追い打ちをかける者が近づいてきた。
「カール。それは当たり前です。ルルは聖剣の姫ですよ? 聖剣の力を使えれば、離れた場所でもお見通しです。いくら必死に修業を積んでも、カールが千回やって一度勝てるのは……、あと三百年後です」「ウホ!?」
「それ、死んでるよ、僕……。ひどいな、アスティ。でも、一生かかっても勝てないって言われるよりもマシなのかな? よし! じゃあもっと修行してその期間を短縮してやる!」「ウホホー!」
――
だが、カールにはさっきまでの苦痛の顔はすでにない。そこには燃える瞳の少年が立っている。
「それは、それで……、暑苦しいかもね。ミリンダもそう思うよね」「ウホ!」
「うん! ルルお姉ちゃん! でも、お兄ちゃんは燃える男だっていってたよ」「ウホ?」
「暑苦しいのは嫌いです。ただ、そのまま灰にならなければいいのですね」「ウホホ……」
「やっぱ、アスティひどすぎ! 僕、何か悪いことした?」「ウホ?」
「私とルルの大切な時間を奪いました。これは、許されないことです」「ウホッ!」
「奪ったっていっても、ほんの少しだよ?」「ウホッホ?」
「それでもです。それと、リラ。うるさいです! 真似るのも、いいかげんに止めなさい!」「ウホォ!?」
周囲から言葉で追い詰められていた少年。その周囲の人達を真似して、軽快に動き回っていたギガーゴリラ。
だが、最後に少年と並んで衆目を浴びていた。しかも、その間抜けな表情は、周囲に笑顔の花を咲かせている。
やがてそれが静まる頃、少女はにこやかに少年の肩を掴んでいた。
「まあ、しかたないよね。でも、これであきらめたかな? アスティもあたしも、カールには色々教えてあげたけどね。きっと、向かないんだよ――」
「ルル、向いているとか向いていないとかじゃないんだよ。僕は早く……、偉くならないとダメなんだ。だから、今度の伯爵様の衛兵募集にも――」
その手を振り払うと共に、少女の言葉を遮った少年。
だが、少年の言葉を遮って、大きな声がカールを呼ぶ。その声のした方に振り向くカール。その視線の先には、建物が落とす影の中をこちらに向けて手を振りながら歩いてくる男がいた。
「ジョブさん!」
「よう! カール。おっと、こちらは噂に名高い聖剣の姫君じゃないか。こんな近くでお会いできて光栄です――っと。いや、今はカールに話があったんだ。けどよ、カールと知りあいだってのは、本当だったんだな。すまなかったな、疑って。まあ、お詫びって言ったらなんだが、いい話だ。あの話――、いけるってよ!」
「ホント!? やったぁー!」
「なっ、俺に任せろって言っただろ? まぁ、そういう事だ。時間と場所は又連絡する。とりあえず、伝えたぜ。邪魔して悪かったな!」
「うん! ありがとう、ジョブさん!」
手を振って、颯爽と去る男の背を、カールはいつまでも眺めていた。やがて、男の背中が消えた時、アスティの手が少年の頭を押さえていた。
「カール、あの男は何者ですか?」「ウホ?」
「痛いよ、アスティ」
「な・に・も・の・ですか?」「ウホッホ、ウッホッホ、ウッホ?」
ギリギリと締め付けるように、アスティは片手でカールの頭を締め付けていた。そのまま覗き込むように、少年の顔を無理やり自分に向けている。その背には、背後霊のように覗き込むギガーゴリラの顔がある。
「怖いって、アスティ。リラも。この間知り合ったばかりだけど、ジョブさんっていうんだ。剣の修行をしてたら『筋がいい』って褒めてくれたんだよ。その後、色々話したよ。僕の夢のこと話したら、『ある伯爵様のお屋敷で衛士募集の試験がある』って話を教えてくれたんだよ。僕、今度その試験を受けようと思う。うまくいったら母さんを楽にしてあげられる。ミリンダにもお腹いっぱい食べさせてあげられる」
カールの話が始まると、アスティは頭の戒めを解いていた。にこやかに話す少年を、ただじっと見おろしたまま聞いている。
だが、ルルはその言葉に反応し、カールに一歩近づいていく。
「カール……。やめた方がいいよ。その手の話、まずジョブという男から調べないと……。筋がいい? 今のカールの剣を見てそう言う男の言葉は信じられないんだよ」
「そうですね。筋がいいというのは嘘として、何故、そんな事を言う必要があったかですね。カールをだましても、出てくるのは汗くらいでしょう。ミリンダなら可愛さも出ますが、カールでは無理ですね。それに今の男はどう見ても盗賊。剣を語ることが出来るとも思えません」
「ウホ。ウホホ、ウホ」
取り囲むように言われ続ける少年。一瞬怯んだものの、持ち前の負けん気で押し返していた。
「もう! ひどくない!? それに、これは僕の問題だよ! ルルもアスティもほっといてよ! いくぞ、ミリンダ! こうなったら、絶対立派になってルルとアスティを見返してやる! あっ、リラも!」
妹の手を取って、素早くその体を背負うカール。そのまま走り出そうとするのをやめて、振り返り舌を突き出していた。
だが、次の瞬間には二つの笑顔となって手を振っている。しかもその一つの笑顔が、ルル達に別れを告げてきた。
「じゃあねー、リラー。また、あそぼうねー! アスティお姉ちゃん! ルルお姉ちゃん! お兄ちゃんのこと怒らないでねー! 言い出したら聞かない石頭だからー」
「ウホーホー!」
少年の背で、無邪気な笑顔で手を振る幼女。すっかり暗くなった路地裏に、その姿は急速に消えていく。
「アスティ、どう思うかな?」
「調べましょうか?」
「ウホ?」
「お願いするよ、リラは邪魔しないでね」
「ウホ!?」
「わかりました。明日、あの男の事から調べます。もちろん、リラには邪魔させません」
「ウホォー!?」
いかにも心外だというゴリラを無視し、二人はいつまでも見えなくなった兄妹の影を見つめていた。
そして、次の日――。
少年と幼女の姿は、王都の貧民街から消えていた……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます