3.クドリャフカの談話室

 まったく正直なことを言えば、僕は彼女に会うのを避けていた。なぜかって言えば、彼女が僕の元妻だったからということに他ならない。



「あんたがクドリャフカの話をしに連絡してきたとき以来だっけ」



 有楽町の古風なカフェでケーキをつつきながら、彼女が言った。



「それで、久しぶりに連絡してきたと思ったら、今度はオーパステオテオ?」


「違う、カィザマニャラフだ」


「どっちでもいいじゃない」



 彼女のそういうところが嫌で喧嘩になったんだっけな、と僕は思い出した。


 カィザマニャラフがオーパステオテオと決定的に違うのは、カィザマニャラフは概念的なものでなく、実在するものだということだ。しかし、ネットで語られる中でそれは一種のミームと化していた。ポータブル音楽プレーヤーを「ウォークマン」と呼ぶようなものだと思えば間違いない。



「憶えてる? あんたと知り合った時のこと」



 唐突に彼女がそう切り出す。もちろん、そのことは憶えていた。それは2003年ごろの話だったと思う。知り合ったのはネット掲示板――匿名掲示板サイトではなく、大手ポータルサイトの運営する掲示板サービスのチャットルームだった。結婚してからもしばらくは、その頃のハンドルネームで呼び合っていたものだ。



「その時、話題にしてたのがカィザマニャラフだったんだけど」


「そうだったっけ?」


「ほら、憶えてない」



 彼女によれば、そもそもそのチャットルームのテーマがカィザマニャラフに関するものだったという。どうも、僕は彼女の雑さを批判できないようだ。


 そこで僕らはその頃話した話をおさらいするなどした。すなわち、カィザマニャラフがその頃のカルチャーに及ぼした影響、その周辺にいた人たちの活動、そしてその生みの親であるあの人物について。


 カィザマニャラフがオーパステオテオと関連づけられて語られるようになったのは、その頃様々な人物が投下したネット上の大小のコンテンツに負うところが大きい。周知の通り、それ自体はカィザマニャラフともオーパステオテオとも、直接的に関連するものではない。当時のFlashを保管するようなサイトは今でもあちこちにあるが、そこを漁ってもカィザマニャラフに関するものは出てこないだろう。


 要は、初音ミクとネギの関係のようなことが、カィザマニャラフとオーパステオテオの間にも起こったらしい、というのが僕の理解だった。



「……え? そんなことないよ?」



 彼女は紅茶のカップを置き、目を丸くした。



「そうじゃないの?」



 今度は僕が目を丸くする番だった。だってそもそも、先にあったはろいらいん氏がカィザマニャラフに関するメディアリリースを断ったのも、そこにあるのだと僕は思っていたのだから。だから、その次に彼女が言ったことには衝撃を禁じ得なかった。



「だってほら、カィザマニャラフって、グネンドリンだよ?」


「なんだって……?」



 グネンドリン――まさかここでその名前を聞くことになるとは思っていなかった。しかし、彼女の口ぶりからすればそれは今になって初めてわかった事実、というわけでもないのだろう。


 ある文化の中に身を置いていると、そこで語られることについては大抵を把握しているような気になるものだ。だが、角度を変えるとどうやらそうでもないということがわかってくる。だからこそ、まとまった研究やルポが必要になる――そんなことは、ルポを書く立場としては理解をしていたつもりなのだけど。



「それは、なんていうか……本当にクドリャフカが宇宙に行ったような話なんだね」



 奇妙な符号、というには気が利きすぎているので、もしかしたら読者の皆さんがイメージするカィザマニャラフとは違っているかもしれない。


 だが、もし本当にカィザマニャラフがグネンドリンなのだとしたら――オーパステオテオに関する見方も変えなくてはいけないかもしれない。そうすると、はろいらいん氏がなぜ、まとまった情報を残さなかったのかも頷ける。



「その頃の話をもう少し、洗ってみないといけないかもしれないなぁ」


「なに? なんかの仕事なの?」


「……ま、そんなとこ」



 僕は伝票を手にとり、椅子から立ち上がった。



「……今度は普通の用事で呼んでよね。たまにはさ」



 彼女がそういうのに目で答え、僕はカフェの出口へ向かった。

 カィザマニャラフがグネンドリンであるということ――それが意味するところを、もう少し追ってみないといけない。多分それは、僕自身が作家として今後、作品を作っていく上での誠意だと思うからだ。

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