第3話

 「お待たせー」

 階段に腰かけていた彼女を見つけ、私は手を上げながら声をかける。振り返った彼女の目が私を捉えた瞬間、身体の奥底から二つの感情が沸き上がるのを自覚した。

 空腹感と、満足感。

 それらを出さないように注意しながら、私は彼女の隣に腰を下ろした。距離が狭まったことにより、一層心の中には多くの感情が渡来する。

 多好感、愉悦、焦燥、不安、猜疑心、歓喜、愉快、恐怖、羞恥、有頂天、戸惑い、興奮、高揚、ドキドキ、ワクワク、ゾクゾク………

 「先輩、どうかしましたか?」

 横から声を掛けられ、我に返って彼女の方を見ると不思議そうに小首を傾げていた。視線を下ろすと、右手に握られているのは市販のミニカッター。

 「今日もまた、いつもみたいに舐めるんでしょう?」

 そう言いながら、彼女は自分の指にカッターの刃の切っ先を当て、そのままスルリと動かした。軌跡を描くように、深紅の血が滲んで浮かぶ。私は固唾を飲んで、その赤い線を見つめた。緩やかに傷口から流れてくる血液を見ると、頭の中がぼうっとする。思考回路に靄がかかったまま、私は彼女の指に顔を近づけた。


 これが私と彼女の秘密。

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