「解答編2」
「は? いやお前さんいま兄だとその口で言ったじゃないか」
「問題文にあるだろう、『解答は《明確にただひとりの人物を指す》続柄、または関係性で答えろ』と。『兄』では不充分なんだよ」
「兄……すると『息子』?」
「残念ながら息子も不正解だ」
「おいおいどういうこった」
「ときに、きみはきょうだいはいる?」
「なんだ突然。ああ、我が家はいまどきの家庭にしてはわりと大家族でな。上に兄ふたり、姉ひとり、下に弟ひとり……で」
「その家族構成だと、『兄』でも『息子』でも複数該当するね」
「な……え? マジか? そういうことなのか?」
「そういうことなんだ」
残りのワインを喉へ流し込む。
「つまり、我々は、真犯人と目した『兄』がいったい何番目のきょうだいなのか知らなければならない」
友人は腕を組んで唸り声をあげた。せわしなく目線を動かして七枚の紙片に注目する。
「兄ひとり妹ひとりの兄妹だとばかり思っていたが、お前さんの口ぶりだとふたり兄妹じゃないって感じだな?」
「まあね。さっきの繰り返しになるけれど、どうやら真犯人は兄であろうと考えられるのに、わざわざ《明確にただひとりの人物を指す》続柄、と指定するということは『兄』では解答として不足だと気づかせたいんだ。では逆に訊くけれど、どう答えれば解答の条件を満たせるだろうか?」
「うーむ……。祖父、祖母……これは父方母方両方あてはまるか……。姪、甥、ああほら叔父叔母は特定できるだろう伯父伯母もあるし」
「両親の兄姉が叔父叔母、だからきょうだいの数が多いと特定はできないね。甥姪も同様に」
「父、母はひとりしかいないであろう?」
「育ての親と生みの親がいる場合は確実ではないかな」
「そのための義父義母」
「これは公的書類ではなくてフィクション、創作だよ。そしてすべて一人称視点で書かれているから、《語り手がそうと思い込んでいれば相応の表現になる》。たとえば仮に義父義母だったとしても、子ども達がその事実を知らなければ彼らは義父義母を父母と呼ぶ」
「そうなると……」
「そうなると?」
「長男次男三男、長女次女三女」
「その通り。しかもこの問題は、きみが最初から兄を怪しんでいたようにわりとすぐ兄に行き着くんだよ」
「おいおい我々ずいぶん長き道のりだったが?」
不満そうに口をとがらせる友人の鼻先をさきいかで制す。
「確かに勘で兄を疑うことはできる。けれど次のステップへ確実に進むためには兄以外の全員を除外しなければいけない。それこそ、隣人も友人も。ご丁寧に解答の条件で関係性も可と書かれているからね。何故なら、この登場人物達のなかで真犯人の条件を満たすのは他の誰でもなく兄であり、けれど解答の条件によって兄ではない、と気づかなければならないからだ」
「まさに俺が通った道ではないか」
「そして、真犯人は兄であるのに兄ではない、となるとただの『兄』では明確に指し示せない人物がいる、と言っているも同然だと思わないか」
「ははーん?」
「つまり、この家庭には『兄』に該当する人物が複数いて、そのうちの誰かが本当の真犯人である」
友人は思案げに顎を撫でた。
「そうなると、いままでひとりの兄だと思っていた描写が実は全然別の人物だってこともあるってわけだな? だがそれでは真犯人を『兄』と定めた根底から覆らないか?」
「覆らないよ。ついさっき通った道を思い出してくれ。何故『兄』が真犯人なのか。それは嘘をついたことが決定打になっている。そしてその嘘は、『母』の心情描写によってのみ成立する。だから、我々が探し当てるのは『妹と一緒に花を買いに行った兄』であり『妹』に登場する彼こそが真犯人である」
「そういうことか……。『母』で五枚のランチョンマットを用意しているんだよな。昼食の準備として」
「ああ」
「単純に考えて五人家族だな」
「そうだね。居候がいる描写はないし、実家を出たと言っているから核家族と考えられる」
「父、母、と。……子どもが三人、か。なるほどなァ。いやしかし普通旦那ってのは昼食の時間にいないんじゃないか? 勤務中なのでは」
「それを言うなら子ども達もだ。逆に言えば、いるということは休日の可能性が高い」
「妹はまだちいさそうだし昼間もまだ面倒を見ている歳かもしれんぞ?」
「年齢なら推測できる材料がある。『夫』に登場する『受験生』と『母』で登場する『七五三』だ」
「どちらも上手い具合に確定させてくれない言い回しだなァ」
「まあまあ。七五三は多少材料が多い。文脈からして妹の七五三だろう。そしてそれを『去年の』と言っている」
「七五三つうのは確か、男児が五歳、だったか?」
「そう。女の子である妹なら三歳と七歳。だから四歳か八歳になるね」
「俺は疎いんだがそういう行事って数え年でやるもんじゃないのか」
「そうかもしれないね。まずひとつ重要なのは、妹はこの当時確実に十歳未満で、『受験生』とは呼べない、という事実だ」
「いわゆるお受験か、中学受験にもまだ早いか。するってぇと……『受験生』とは兄を指すんだな」
「そう。では世間一般で言う『受験生』とは具体的に何歳頃を指すのだろうか?」
「ぱっと思いつくのは高校受験か、大学受験か」
「十五歳か十八歳だね。その年頃の子どもが昼食の時間に家にいる、ということは」
「休日か。なら家族構成は父、母、兄、兄、妹とみてよさそうだな。しっかし『妹』はもちろん『夫』にも『母』にも兄は登場しているってのに同一人物じゃなかったとはなァ……。まあ、親から見れば子ども達であり息子であるし、妹から見れば兄で間違ってはいないか。しかしこれどこに登場するのがどちらの兄だと判別しようがあるのか?」
友人は頭を掻いた。
「それについては少し手がかりがある」
「おー拝聴しようじゃァないか」
「『妹』で兄は妹の頭を撫でている」
「良いものを選んだね、って撫でてくれたんだな。いまになって考えると恐ろしい台詞だ」
「そう。そして、『母』に登場する息子も妹の頭を撫でており、母は『あの子はよく娘の頭を撫でる』と言っているんだ」
「ほほぅ。そりゃ……怪しいな?」
「同一人物の可能性はある」
「ほかにもあるのか」
「残念ながらここほど可能性の高い箇所はない」
「じゃあ『妹』と『母』に出てくる兄はおそらく同じ、くらいしかまだわからんのか。……なあ、うっすら気づいてしまったんだが」
「なんだい」
「同じ、ということは『母』に出てくる兄は真犯人かもしれないんだろう? この『母』、花を買うより以前の時間だよな?」
「そうだね」
「妹と兄はまだ何も植えられていない庭でいったいどんな話をしていたんだろうな」
「それは……、兄が妹の頭を撫でるような話だね」
「このときすでに花を買う話は出ていたのかもしれんな……」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「純粋に兄を慕っている妹が可哀想だ」
肩をすくめて、友人は枝豆へ手を伸ばした。
「慕っている、ときみは感じるのかい」
「うん? まあなんとなくだが。頭を撫でてくれた、という表現に嫌悪は感じないな。しばしばあったのなら好意的に受け取っていたのだろうと思ったまでだ。いいこいいこされて嬉しがらない弟妹はおらんよ。お前さんもそう思うだろう? ああ、一人っ子だったか?」
「いや……うちの妹も、うん、喜んでいたんじゃないかな」
「なァんだお前さんも妹持ちか!」
「昔は仲が良かったけれど、お互い大人になってからはね」
「良くも悪くも環境が変わると厄介なものよ」
「昼間から飲んでる大人達の身内話はともかく、この兄と妹は仲が良い、って判断でいいのかな」
「そうだろうなあ」
「なら、『友人』で妹との仲を問われて「どうかな」と返した兄の台詞をきみはどう思う?」
友人は一瞬、手を止めた。
「妹は好意的だったが兄はそうでもなかった……? うーん、まあ、頭を撫でるという行為は兄にはごく当たり前の行動だった、か? もしくは、この兄と頭をよく撫でる兄は別人」
「きみならどう?」
「どう、とは」
「もしもきみが、よく頭を撫でる相手がいたとして、それは好意的なのかそうじゃないのか」
「そりゃ嫌いな奴にはしないわな。好意、とりわけ親愛の情でするな、俺ならな」
「同感だよ。少なからず愛情はある。ここでの兄もそうだった、と仮定して問題ないと思う」
「兄ってのは」
「頭を撫でるほうの兄だね」
「てことは、暫定真犯人の兄」
「そう。妹の頭をよく撫でて、一緒に母の日の花を買いに行った兄。いまの話は、『友人』に登場する兄が……きみの言い方を借りるなら暫定真犯人の兄と同一人物なのかという話だったね」
「別人くさいなあ」
つまみだらけの畳から『友人』の紙片を拾い上げ、それを我が友人の眼前へ掲げる。
「これはおそらく、兄とその友人、だと考えられる」
「まァ、そうだな。そうとしか見えん」
何度も頷いて、友人は新たな缶ビールへ手をのばした。小気味良い音をたて開けられた缶は、その中身を一瞬で減らしたようだ。
「きみは、」
「うん?」
「そうやって酒を飲むことを何と表現する?」
「一気飲み」
「もう少し文学的に」
「俺とお前は杯を交わした仲」
「ああ、言い方が悪かった。そうやって……勢いよく飲むことを、だよ」
「ううん……飲み干す、いや、酒か……あおる、あおる?」
友人の視線がさっと紙片に食いついた。
どの箇所か。おそらくここだろうという一文を、読み上げる。
「『プルトップの蓋をプシュッと開け、まずは一口あおる。』」
「酒だ」
「酒とは書かれていないけれど、この表現だとジュースやコーヒーではなく、酒を思い浮かべるね」
「つまり酒が飲める年齢だと……?」
「あくまでも酒とおぼしき飲み物を飲んでいるのは友人のほうであって、ここに登場する『兄』は何も飲んでいないから、即確定とは言えない、けれど、少なくとも近い年齢の、そうだな……二十歳前後の範囲ではあると思う」
「お前さんにしちゃふわっとした言い方だな」
「確証がないから仕方ない。ただ、成人しているであろう友人の親友である『兄』が友人とそれほど年齢が離れているとは感じないしそういった描写もない」
「逆説的に歳が近いだろうってか」
「ああ。それと、さっき妹の年齢が十歳未満と話しただろう。兄妹仲を問われて兄が答えているよね。『俺の方は歳がだいぶ離れてる』と」
「どこまでが『だいぶ離れてる』の圏内なのかは判定難しいが……まあ十歳近く離れてりゃそう言うわな」
「うん。そういう意味もある。でもこの台詞は違うんだ」
「違う? ……いや、このほかにとれる意味なんてないぞ?」
「『兄』は彼ひとりではないと念頭において、少し前から見てみてほしい。兄は友人に「兄妹仲いいんだな」と言われて「どうかな」と返している。続く台詞が『俺の方は』。~の方、って、どんな使い方だろう」
「あーいわゆる、コーヒーのほうお持ちしましたァ、のようなもどき敬語じゃァないな? なになにの方……あの山の方、とか川の方、とか」
「方角を指す使い方だね。この文脈には合わない」
「ほかに……こっちの方のビール」
「それ、どういう使い方をする?」
「こっちの方のビールが美味い」
「つまり、何かと比べて、どちらかの方が、という比較の意味だね」
「だからこうだろ? 妹の年齢に比べて、俺の方は歳がだいぶ離れてる……んん? おかしい、おかしいかこの言い回し?」
「残念だけどおかしいよ。妹の年齢と比べて、俺の方は妹の年齢とはだいぶ離れている、と言っている」
「いかん、こんがらがってきた」
「まあまあ落ち着いて。歳が離れている、のが妹の年齢と、であるならば、ほかの何かと比べて『俺の方は』だいぶ離れている、にしかならない。ではこの場合の比較対象は何か。直前に兄妹仲を尋ねられているのだから、それは『自分ではないほかの兄』でしかあり得ない」
「ああー……」
「そして、この比較は歳が離れている云々の直前の話にも適用される」
「直前、つうと」
「仲がいい、だよ」
「は?」
「いまは比較対象を炙り出すために切って解説したけれど、この会話を普通に読めば、友人に兄妹仲を問われた兄が、「どうかな。(もうひとりの兄と比べて)俺の方は歳がだいぶ離れてる」となる。では、受け取り方を変えれば、『もうひとりの兄は自分と比べて妹と歳が近く仲もよい』となりはしないだろうか? そもそも、比べるくだりは「どうかな」の前に入ってもおかしくはない。要するに、「もうひとりの兄と比べると自分はどうだろう、妹とは歳も離れているし」と、ここでの兄は言っているんだ。つまり自分よりも妹に歳の近い、妹から見れば兄であり、この『友人』に登場する兄から見れば弟、にあたるきょうだいがいる――彼のことは便宜上弟と呼ぶとしようか」
「しかし、兄が――上の兄のことだが、実は浪人していて成人済みだが受験に挑んでいるかもしれん」
「その場合は「受験生」ではなく「浪人生」と言うよ。「受験生」と表記しているからには中学三年生か高校三年生だ。そして、学生を思わせるワードが出ていたよね」
「――詰襟、か! 隣人の若いツバメ!」
「その表現は今どきの子に通じるのかな……ともあれ、当たりだよ」
「まったく触れられんからすっかり忘れ去っていたな。だがあれは友人と同じで事件の外側の人物じゃァないのか? どちらかと言うと」
「そんなことないさ。詰襟の少年自身が関係者だと述べている」
「マジか。どこだ」
「『そんなに家ばっか見て楽しい?』きみこの台詞をなんて読む?」
「なんても何もそのまんまだろうが。そんなにいえばっかみてたのしい……いや、関係者ってことはもしやこれ『いえ』じゃなくて『うち』って読むのか?」
「そう、うち。つまり彼が住む家だ。そして隣人が熱心に見ていた家とは当然、この父母兄妹が暮らす家にほかならない。よって『隣人』に登場する詰襟の少年は兄である」
「するってぇと……」
「『友人』に登場する兄が飲酒可能な年齢に近く、なおかつ母の日の贈り物を提案した暫定真犯人の兄とは別人であるのなら、『隣人』に登場する兄こそがこの家の受験生であり、母いわく妹の頭をよく撫でる兄であり、妹と母の日の花を一緒に買った兄であり、真犯人であり――すなわち次男だ」
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