「解答編1」
「犯人は兄だな」
「なんだい藪から棒に?」
「これだこれ」
そう言って、友人がこちらへ滑らせた紙片には見覚えがあった。
「すまん、本の上に乗ってたのでついつい見てしまった」
「ああ……。構わないよ、別に機密文書でも、個人情報でもない。学生の創作だから。解いてください、って渡されたけど、うん、すっかり忘れていた」
「売られた喧嘩を買っておいて忘れるとはおぬし……」
友人は大袈裟に身を引いてみせた。
「喧嘩ってね……。これはどちらかと言えば挑戦、かな」
出題の内容も含めた計七枚の紙片を、畳の上に並べる。さして広くもない部屋は男ふたりが寛いだだけで窮屈を覚えるほどだ。せっかくの折り畳み式テーブルも広げることなく壁の花になり、買い込まれた酒やつまみは結局適当に広げていた。休日とは言えなんと自堕落かつ贅沢な過ごし方か。天候もこの時期らしく雨であることだし、たまにはこんな日もいいだろう。
「せっかくだ」
積まれた本を隅へ押し退け、ノート見開きほどのスペースを作る。
「やってみるかい」
「おっ」
友人は乗り出した。
「酒の肴に推理ゲームか。いいねぇ」
******
「先刻ざっと確認したが」
友人は新たなつまみの袋を勢いよく開け、
「俺は断然兄が疑わしい」
「さっきもそう言っていたね。理由は?」
勢いあまって飛び散った柿の種を拾いつつ、たずねる。
「そうだなァ……。こいつだけフォーカスされてないだろう。それが怪しい」
「フォーカス? ああ、視点。確かに、他人からの視点によってのみ語られていて、内心はうかがえない」
「あと妹の回で母の日の贈り物をあからさまに誘導している。怪しい」
「贈り物をしよう、と提案しているだけだろう? ところで真犯人の条件はちゃんと見たのかい」
「もちのろんだ。『庭に花が植えられる以前にそれを毒と知っていた人物』だったな。まあ父親、夫か、そいつも怪しいがなぁ。だって学者だろ? おそらく知っていたよなぁ」
綺麗にピーナッツだけを選んでつまむ友人の手へ、拾った柿の種を無言で渡す。
「なるほど。じゃあ、まずは真犯人に選ばれる条件を、正確に理解するところから始めてみようか」
「うむ。正確にも何も、読んだとおりでは?」
一瞬眉をしかめたのち友人は、手のひらいっぱいの柿の種を一気に頬張った。
「そうだよ。読んだとおりだ。では問うけれど、真犯人の条件にある『花』とは何だろうか?」
「しょれは、兄妹が母の日に買ってきた花だろうな」
ミネラルウォーターのペットボトルを差し出すと「ありがたい」と言いかけてむせた。
「うん。庭というのは、この兄妹、妻、夫が暮らす家の庭だね。引っ越してきたばかりだって言う。すると、くどいほど正確に言えば『家の庭へ、母の日の贈り物である花が植えられるより以前に、それを毒と知っていた人物』となるね。ではここからが重要だ。この条件文にある、『それ』は何を指しているのか」
「そりゃあ、……花だな?」
「そう。そしてこの文における花とは、きみがさっき言った言葉を借りるなら『兄妹が母の日に買ってきた花』を指す。これを今俺が口にしたように正確に表現すると」
「なにやら中学英語の訳文のていをなしてきたなぁ」
「ややこしいけれど、必要なことだよ。つまり、『母の日の贈り物である花が、家の庭へ植えられるより以前に、《母の日の贈り物にした花が毒である》、と知っていた人物』ということだ。この場合、そもそもこの花が有毒植物である、という一般的な知識の有無は問われていない。真犯人の条件に求められているのは、ほかでもない《兄妹が選んで買った花》を《庭に植えられているのを見る前に》有毒植物だと知っていた』という極めて限定的な事実なんだ。……ついてきているかな」
「なァるほど」
友人はひとつ頷く。
「俺はてっきり、毒物だと知っているか否かだとばかり。ただそうなると、いよいよもって兄しか容疑者がいなくなるように思えるのだが?」
「一緒に買いに行ってるからね。まあ、ひとつずつ整理していこうじゃないか」
グラスに口をつけて喉を潤す。注がれてからずいぶん経ったせいかすっかりぬるくなっていた。
「さて……真犯人の条件の定義がわかった以上、この一見ばらばらの紙片から我々は時系列を読み取らなければいけない。なぜなら、」
「真犯人の条件に『~より以前に』があるから」
「飲みこみの早い生徒で助かる」
「茶化すな茶化すな~」
高く掲げたそのウーロンハイはもしや駄洒落のつもりなのだろうか。
「えーと。時系列だったね」
「母の日と連休がある、つまり! ……なあ、母の日とはいつだったか?」
「母の日は……確か、五月の第二日曜日、だったかな」
「ははーん。すぐに答えられるということはお前さん律儀に母の日を祝った経験があるな? 善きかな善きかな、親孝行は親がいるうちにやるもんだ」
「そんなんじゃないさ。季節の稼ぎどきを忘れない世間のおかげでぼんやり覚えているだけだよ」
「今年の母の日はすでに過去か~」
手にしたウーロンハイを一気に半分ほどあおり、友人は首をひねる。
「五月ということはだ、ここで言われている連休ってのはゴールデンなウィークで合ってるか?」
「大型連休って言ってるしそうだろう。ちょっと『妹』の母の日を基準に考えてみようか」
「ふんふん……。『夫』の言う先の連休ってのもゴールデンウィークだよな?」
「うん。それに、『夫』の時間にはすでに子ども達が花を買ってきているから、これは『妹』より後だ」
「『母』では大型連休はまだ訪れていないようだから、この時間はわりと前になるんだな。対して『友人』は事件が起きた後、と。『妹②』は祖父母と暮らしていた頃、と記されているからこの新居に来る以前の時間だ。うむうむ、俺こういうのわりと得意だぞ」
しかし、楽しげに紙片を並べ替えていた友人の手はぴた、と止まった。
「ただなァ……この『隣人』が問題よ……」
「そうかい?」
「新居に越してきた後、の他に判断できる材料が少なすぎ案件」
「日付以外にも判断材料はあるさ。この場合は、母の心境の変化だ」
友人に替わって紙片を動かす。
「まず、これらのなかで比較的早い時期だと思われる『母』。彼女はこのとき、無理を言って義実家を出てもらったのを承知で、新しい土地で心機一転頑張ろうと前向きになっている」
「姑さんと気が合わなかったか……」
「そこはわからないが、夫の方は義実家での暮らしに不満はなかったようだし……まあそういうトラブルもあったかもしれない。話が逸れたね。その夫だけれど。大型連休を挟んだ後の『夫』では近頃妻の機嫌が悪い、と。しかも引っ越したいとまで言われている」
「『母』では前向き母さんだったのになァ。この地を離れたい原因が……あーなるほど? そこで『隣人』か」
「隣へ越してきた家人が、はじめましてと言ってきた。それは学生時代に自分をいじめていた人物だった。さて、この後両者の間で何があったと思う?」
「傷を受けた方はずっと覚えていて傷つけた方はすっかり忘れてた、と。しかしその場合、引っ越したくなるのは隣人の方じゃないか? にもかかわらず傷つけた方の母に引っ越したいと言わせてしまう何かがあったと言うのか? さっきの姑さんの話みたいに推測か?」
「いや、うん。嫁姑の話は一般的な推測だけれど、今回はそれなりに根拠のある推測ができる」
「その根拠とは」
「『クズ女のあの顔ったらたまらないわ!』」
「おお……気持ちいいほどの棒読みっぷり見事」
「俺の演技力は横に置いておいて。ちゃんと隣人自身が説明してくれている。『当時は学生だけど、今は大人』」
「大人だから過去は水に流した……いや違うな、立場が逆転した?」
友人は紙片をじっと見比べ、
「アタシはアンタよりいい暮らししてるのよざまーみろって感じか」
「意訳が過ぎるけどおおむね合ってる。その後の夫のくだりも、家のくだりも、一種のステータス自慢だ」
「それ、住み処を変えたくなるほど嫌なもんか……。うーん、女はわからん」
「きみは根無し草だしね」
ぬるくなったワインを飲み干して、新たに継ぎ足す。チーズの袋はあいにく空だった。
「俺にだって帰る場所はある」
「そうかい」
気づけば雨の音は遠ざかっていた。久しぶりの晴れ間が覗くのかもしれない。
「だがしかし、だがしかしだぞ?」
友人の目は紙片を捉えたままだ。
「相手が自分より裕福な暮らししてたからって引っ越しを願うかァ? やはり」
「願うんだ。母は見栄や体裁を気にする人物だから」
「どこにそんな描写がある」
「『寂しい庭でご近所に笑われるのもまっぴら』と、『母』にある」
「そこはそのまんまの意味だろうよ。誰だって他人の目に入るとこくらいは見映えを気にする」
「かもしれないね。でも、引っ越しの挨拶に来た家人はおそらく母で、隣人とは初対面だと思っていた彼女に自分が誰であるのかを明かしたうえで、母の自尊心をいたく傷つけたであろうことは明白なんだ」
「それが『クズ女のあの顔ったらたまらないわ!』か。確かにあれは、気に入らん奴に対して胸がすく思いをしたら使いそうな科白ナンバーワンだが」
「昔虐げて笑っていた相手に今度は自分が見下される、学生時代はだいたい三年程度で済むけれど、大人の今はそうもいかない」
「だから『近頃妻の機嫌が悪い』で、『引っ越したい』か……」
「なかば逆説的だけれど、これらによって『隣人』は『母』以降『夫』以前の出来事であるとわかる。以上で大まかな時系列は把握できたはずだよ」
「『妹』と『隣人』どちらか前後かは確定できないんだな」
「うん。そこは判断できない。ただ、確定できなくても困らないからその前後は除外して考えよう。判明しているのは両方『母』以降『夫』以前ってことだ。――さて」
一列に並んだ紙片をお互い見つめる。
「時系列はこうだ。『妹②』『母』『隣人』または『妹』『夫』『友人』。この状況で、『庭に花が植えられる以前にそれを毒と知っていた人物』とは誰だろうか?」
「俺は変わらず兄に一票を投じる」
「兄ね。じゃあこれもひとりずつ考えていこうか。果たして誰が該当するのか」
「知っていたがお前さん、将を射んとすればまず外堀から確実に埋めていくタイプだな。策士! 策士め!」
「酔ってるね」
「どの口が言ってる? ん?」
どちらからともなく乾杯して、アルコールを流し込む。完全に酔っぱらいのノリだった。
「では、……そう、母から考えてみようか」
「いきなり自殺の線ときた。だが母は……ないだろう? 贈られた花が毒だと知ることはできたかもしれないが、真犯人の条件の定義で《庭に植えられる前に》知っていたことが重要だと判明したじゃないか」
「その通りだよ。おそらく夫の書斎にはその花が有毒だと知ることができる本があっただろう、けれど母には兄妹が何を買ってくるか知るすべはなかった。妹が『母への初めての贈り物』と言っていることからして例年の行事ではなく、つまり母の日に何か贈られるとはつゆほども予想してなかったに違いない。ゆえに真犯人は母ではない」
「次は夫か?」
「実は夫も母とほぼ同じ理由で真犯人ではないと考えられるんだ」
「いや、だが夫の場合は自分の部屋に答えを導く本があったのだぞ?」
「それでも、兄妹がその花を買ってくると事前に知ってはいなかった。『見かねた子ども達が花を買ってきたおかげで』、この文面だと子ども達が自発的に買ってきたととれるし、花を買ったのは母のご機嫌取りのためで、そもそも母の日の贈り物だと理解していなかった可能性が高い」
「つまり贈り物は完全に子ども達からのサプライズで夫は無関係だったと」
「そう。そのサプライズの共犯でない限り事前に知ることは不可能だ。……ただ、実行犯という観点から見れば、夫は限りなく疑わしいとは思うよ」
「実行犯? 真犯人ではなくか」
目を丸くする友人の注意をひくように、出題内容を記した紙片を指さす。
「よく見てほしい。出題者が問うているのは《誰がどうやって殺したか》ではなく《誰が毒の存在を知っていたか》なんだよ。言うなれば殺人教唆……になるのかな。《最初に凶器となりえるものを用意しようと考えた者》を真犯人としている」
「必ずしも真犯人イコール実行犯ではないわけか。俺の、兄も怪しいが夫も怪しいって勘も当たらずとも遠からず……よしよし重畳重畳」
「少し話が逸れるけれど……仮に、夫には有毒植物の知識があり、しかし母の日の贈り物には関与していなかった場合、どうなると思う?」
「どうなる、ってなァ……」
友人は熟考するように天井を仰いだ。
「お前さんの言うとおり、都合よく凶器が転がってきて僥倖……」
「それは殺意がすでにあった場合だね。もしも、殺意がなかったら」
「まァ、買ってきたもんは仕方なかろうから取り扱いに注意しろよと釘をさす、俺だったらな。しかしな? 外堀埋めつくしたがるお前の真似ではないが、子ども達が買ってきた花がどういった花なのか、夫が知ってたかどうかはわからんぞ。花だけ買ってきたと聞かされて実物目にしてないかもしれんし。だいいち毒物だと既知って話も俺とお前さんの推測だからな、不確定要素が多すぎまいか」
「そうだろうか」
「そうだろうよ。この世のすべて重箱の隅まできっちり埋まるようなら小説より奇なりな事実なんて生まれ出でない」
「そんなスケールの大きい話はしていないさ。単なる……そう、シミュレーションゲームの類いだよ」
友人は身を乗り出した。
「ケース一、そもそも夫は有毒知識がなかった場合。母の日の贈り物に不関与だったパターンでは、完全なるシロだ」
「ふむ……確かにそのルートだと可哀相な事故で妻を亡くした夫、になるか」
「ケース二、有毒知識がなく、母の日の贈り物が何であるかを事前に知っていたパターン、こちらはどうだろう。さ、想像の翼をおおいに広げてほしい」
「うん……綺麗な花を選んでよかったなあ庭に彩りが増えて母さん喜ぶぞ~? だな? 毒やら何やらの疑惑を持つタイミングはなかろう?」
「では、有毒知識もなく母の日の贈り物はあとから、つまり庭へ植えられてから知ったパターン」
「うーむそれもたいして変わらんのじゃないか。庭へ植えられている花を見てお前達よくやったいい子だ~よしバーベキューでもするか、だろう」
「そうだね。それではケース四だ。この花が有毒だと知っており、母の日に不関与だったパターン。この場合の不関与とは、事故が起きるまで子ども達の贈った花がどれなのか知らなかった、という意味だ。花を買ってきたこと自体は『夫』の時点で知っているからね」
「いや……いや? どうなんだ? どこかのタイミングで庭へ出たときに気づかないか? こっちの有毒知識有りルートは難しいな……」
「母がどの時期にどのように死んだのか不明な点はあるけれど。夫に関しては確実に気づくタイミングがある」
「バーベキューだ」
「そう。実際に行われたか行われていないかはともかく、やろうとしていたなら庭に注意がいく可能性が非常に高い」
「結末としては、結局事故が起きる、と……夫マジで気づかなかった説、か、気づいていて黙っていた説……?」
「それこそ、きみが言ったみたいに家族へ取り扱い注意をしたけれど不幸な事故は起きてしまったのかもしれない」
「あァ、なるほどな……」
「以上、ケース四に関しては考えられるルートがおおまかに三パターンある、としておこう。そしてケース五」
「有毒知識があって母の日に花を買ってくると知っていたケースだな。ここはやはりあまり変わらないように見えるが」
「たとえば、夫と子ども達で母の日の贈り物を考えたとして、子ども達がプレゼントを買って帰宅したのち、すぐ母へ渡すにしろ渡さないにしろ、夫へ『どんな花を買ってきたのか』は報告すると思わないか? 一緒に母の日の贈り物をしようと考える仲ならなおさら」
「それは、うむ、有りえる。ママこんなふうに喜んでたよ~とか言うな、言うだろう。それで……実はその花取り扱いやべーから気をつけろ……と、これ、植える前の話だよな?」
「そう」
「そのまま庭へ植えるか? 知っていて植えるのを許すか?」
「さっきのケース四のように注意すれば問題ないとして植えた結果事故が起きたのかもしれない。もしくは、」
「知っていて黙っていた説……」
神妙な顔で考え込む友人を見つつ、先を進める。
「ケース六。有毒知識があり、花を買ってきたあと、つまり『夫』の時点でそれが有毒だと気づいている場合」
しばらくの間があった。
「……違和感がある」
「どんな、かな」
「さっきのケース五でもだいぶ引っかかるものがあったが……。毒物だと知っていて庭でバーベキューしようと提案するか? いや、近頃は毒があっても園芸用として人気がある花もあるんだろうが……」
「ちなみにこの花は、『妹』での形容を見るにおそらくだいぶ毒性の強い植物で、バーベキューでもしも薪や串に使ったりなんかしたら確実に中毒になる。実際過去にそういう事故もあったようだから」
「おいおい疑惑真っ黒じゃないか夫よ」
「できただろう、といった可能性の話ではなく、ある一定の状況下においては強い違和感が拭えない、ゆえに実行犯の疑いがある、そういう話だよ。……けっこう脱線してしまったね。ともかく、真犯人については夫は除外だ」
「除外されたにもかかわらず俺のなかではすっかり犯人像だ、どうしてくれる」
「余計な話をしてすまないね」
お詫びがてら缶チューハイを転がすと、友人は素直に受け取った。
「残りは兄と妹、隣人と友人か。友人は……除外かァ? 疑う余地がない」
「同感だ」
ジャーキーの袋を開け、ふたり交互につまむ。買い込んだ酒はそろそろすべて空きそうだ。
「動機の面では隣人は容疑濃厚だが……真犯人だったなそういえば」
「そうそう」
「『庭に花が植えられる以前にそれを毒と知っていた人物』か……。『隣人』の話は母の日以前とは言え……匂わせる描写なんぞなかったと思うぞ」
「ああ。知らなかったと確定する要素はないが知りえた、と確定できる要素もない。じゃあきみが推す兄は最後にとっておいて、妹はどうだろう」
「妹は完全にシロだろう! クロだとしたら自ら殺しておいてあれだけ自分を責めているとなるわけで……それはいささかホラーであるからして……」
「はは。そんな怖がらなくてもきちんとした理由で除外できる。それは母の日の贈り物が彼女の提案ではない、という一点。兄に誘われて選びに行った、偶発的な行動だ」
「いやしかしお主の言う真犯人の条件だと妹もじゅうぶん容疑者たりえるのじゃないか? 実は図鑑、読めていたかもしれんし」
「きみさっき妹真犯人説はホラーだとか言っていたじゃないか」
「それはそれ、これはこれ」
友人は何かを横へ置くジェスチャーをした。そんな彼へ二枚の紙片を見せる。
「『妹』と『妹②』はほかの人物たちの視点とは違って、回想なんだよ」
「ほう」
「何年後か、何ヵ月後かはわからないけれど、語り口からみて当時の状況を比較的冷静に振り返ることが可能な年齢……まあ、低くても中学生ほどの彼女が《当時を思い出して語っている》。」
「なるほど」
「ここでおさえておきたい点はね、『妹』ですでに彼女は自身を酷く責め苛んでいる、という点だ。あの花を選んだ自分こそが母を殺した犯人であると、たとえ事実として事故であったりほかに実行犯がいたりしてもだ。当時はもちろん、この回想をしている《現在》に至っても彼女はその責め苦を自身に課している」
「つらい状況よなァ……」
「『妹②』では、もしも図鑑の内容をきちんと理解していたら母は死ななかっただろうか、と言っている。私は母を殺さなくてすんだのだろうか、ではなくだ」
「単純にお母さん亡くなったのが悲しいんだろう。お母さんのために贈った花が原因で死亡したとなれば、そりゃ子どもじゃなくても精神にくる」
「うん。つまり、ここで回想の彼女が回避を願っているのは、《自分が罪を犯すこと》ではなく《母が死ぬこと》なんだよ」
「俺には至極当たり前のように思えるが……なにか重要なのか」
「きみは言ったね。実は図鑑を読めていたかもしれないと」
「まあな、昨今のお子様はわりと物知りだからな」
「確かに、わからない漢字があるだけでイコール内容がまったく理解できなかったとするのはちょっと早計だと俺も思うよ」
「だろう? ここにきて妹怪しい説。今気づいたがこの『妹②』の『ほんとうはよくないこと、にとてもわくわくしていた』って俄然怪しいな?」
「きみの説だと、図鑑の内容はうすうす理解していた、だから『よくないこと』だとわかっていてもその花を選んだ、そういうことになる」
「そうだなァ。これはこれで精神にくる」
「ならばなぜ、彼女はこんなに悔いているのだろう?」
「それはだな、ちょっとの出来心が大事になってしまった、そういう後悔だな」
「だったら『妹②』で図鑑の内容がわからなかったなんて言う必要はないんじゃないかい」
「そりゃお前さん、人間誰しも自分の非はごまかしたいもんさ」
「彼女はすでに『自分が母を殺した』と認識しているのに?」
「……ん?」
「『あの花を選んだ自分こそが母を殺した犯人である』と彼女は語っている。ゆえに彼女は《意図して嘘を語る必要はない》。彼女は本当にただ兄に連れられて花を選んだだけだし、その昔読んだ図鑑の意味もよく理解していなかった。重ねて言うけれど、彼女はある程度時を経てから当時を語っている。つまり、やろうと思えばいくらでも状況をごまかすことができる。それこそ図鑑のくだりなんてそもそも語らなければいい」
「あえて言うのは真実の証拠……。いやしかし誰かをかばって自分が悪いとしている可能性もあるだろう? 兄とかな」
「そうだとしたら、書斎に兄が一緒にいたとか母の日の贈り物は兄が言い出したなんて言わないよ」
「な、るほど……。こうしてみると兄真っ黒だな。まあ最初から怪しいと睨んではいたが」
「『妹』は回想だと言ったよね。当時の状況を比較的冷静に振り返ることができる程度の年齢の彼女が、書斎にいた兄なら読めただろう、と言っている。『夫』と同じで、確定ではないけれど知りえたかもしれない、そういう立場だ。ただ兄は夫と違って明確な事実がひとつある」
「『贈り物をしよう、と言ったのは兄』」
待ってましたと言わんばかりに友人は膝を打った。
「そう。しかも兄は贈り物が花になることも知っている。なぜなら、」
「『庭に植える花があればいい、と母が言っていたそうだから』。これは伝聞だよなァ? つまり妹は兄からその母の言葉を聞いたわけだ」
「そうなんだ。話が早いね」
「妹はじかにその言葉を聞いてない、ってところがミソであるわけだが……ちょいとここいらでおさらいしておこうぜ」
缶チューハイを一気にあおり、友人は枝豆の袋をばりばりと開けた。
窓の向こうに見える景色は変わらず曇天だが、雲の切れ間でもあるのか一条の光が見える。
「構わないよ」
まるで蜘蛛の糸のようだと思った。
「真犯人の条件は『庭に花が植えられる以前にそれを毒と知っていた人物』ってことだが、俺にはどうにも兄がピタリと当てはまる気がしないんだなァ」
「あれだけ怪しい怪しいと騒いでいたのに?」
「要するにだな、ここまで兄以外の全員を除外してきて、いざ兄の番になったはいいが、不確定要素がまだ拭えない、って話だ」
「なるほど。続けて」
「先刻お前さんは夫を引き合いに出したが、引っかかるのはそこだ。兄は本当に毒物の存在を知ることができたのか? 妹からの描写にあったとは言え、それは図鑑を読んでいたとか直接的なものじゃあない。ちと根拠が弱い気がしてな」
「確かに、兄が《母の日に買った花が有毒であると確実に知っている》という描写はない」
「だろう?」
「だが確実に嘘をついている」
「嘘?」
「少し話を戻そう。兄は妹に『庭に植える花があればいい、と母が言っていた』と教えている。けれどこれは変なんだ。なぜなら、『母』に『世話が面倒だから花は植えたくない』とあるからだ」
「ん~しかしご近所に笑われたくないらしいし結果やはり花を植えることにしたのかもしれないぞ?」
「『何か考えなくちゃ』という文面はどちらかと言えば《花にかわる、世話のかからない何かを考えなくちゃ》という意味にとれる。少なくとも、母は自分から『庭に花を植えたい』とは考えていないのは明らかだ。にもかかわらず、兄は妹へ『庭に植える花があればいい、と母が言っていた』と告げている。これをどう考える?」
「うーむ……。新居の庭が寂しかったから気を回した説」
「だとしたらわざわざ『母が』とは言わなくていい。直接、妹へ、庭が空いているから花にしよう、とでも言えばいいんだ」
「実は、お母さんの欲しがるもの知らんかったけど欲しがってた、って言ったほうが妹が喜ぶからついそう言った」
「それこそ買いに行く前に直接母へ訊けばいい」
「母の日はサプライズであるからして」
「そもそも、母の日に贈ると言えばカーネーションじゃないのかな。サプライズにしろ、そうでないにしろ」
「……確かにィ?」
「なぜ妹は定番のカーネーションではなく庭木を選んだのか。それは兄がそう言ったからだ。そしてそれはおそらく嘘だった」
「……」
「真犯人の条件と照らし合わせて考えてみようか。兄は、《兄妹が選んで買った花》をもちろん何の花なのか知っていたし《庭に植えられているのを見る前に》は選ぶ場にいたのだから当然クリアしている。有毒植物だと知っていたか否かだけれど、知らなかったのなら嘘をつく必然性がない。嘘をついた、ということは知っていたも同然だ」
「いや……いやいや? 最終的に選んだのは妹だぞ? そこまでお膳立てしても目当ての花以外を選ぶ可能性だってあるだろうが」
「思い出してごらんよ。実行犯のくだりで、『出題者が問うているのは《誰がどうやって殺したか》ではなく《誰が毒の存在を知っていたか》であり、ここで言う真犯人とはすなわち《最初に凶器となりえるものを用意しようと考えた者》である』と言ったよね。兄はこれにぴったり当てはまる。それに、」
「それに?」
「ここまで疑惑がありながら、兄だけ唯一、容疑から除外できる確固たる理由がない」
「ああー……」
友人は天を仰いだ。
「理由がない、というくくりだと隣人と友人も入るけれど、彼らは同時に疑惑もない」
「兄、初見から真っ黒だもんなァ……。じゃあ答えは兄か。長々議論したが結局最初の勘が当たってたと」
「それは違う」
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