第16話 部屋まで送ろうか

ひそ、ともりめぐみのひそやかな声が清春きよはるの耳にささやかれた。やわらかい女の声に清春の身体は正直な反応をしめす。

めぐみは笑って


「浮気されたくなかったら、彼女さんが泣き出すまでただもうひたすら可愛がってあげなくちゃ。これは得意分野でしょう?」


と言った。

清春はくすっと笑う。

その瞬間、清春のなめらかな切れ長の目が細まり、目じりからすさまじいほどの色気が吹き上がった。

近くにいたら、それだけでもう身体中を持って行かれそうな色気だ。

森めぐみは思わず清春から身体を離した。


「…彼女さん、ほんとうに苦労するわね」

「だいじょうぶさ、あいつはわかっている」


清春は自分が放っている濃厚な色気に気が付かないようにのんびりとしゃべった。

その低い声とゆるやかなイントネーションが、またぞくぞくするほど色っぽい。


「あいつはさ、おれをつかみ切っていることが分かっている。だからはないにしているんだよ。とはいえ、結局おれは飼い犬か」


清春は左手の中指と薬指で煙草を持ち、ふううっと長い息を吐いた。


「うらやましいわ」


清春を見ていためぐみはぼそっと言った。


「あたしも、そんなふうに誰かを好きになってみたい」

「なれるよ。あなたみたいな人ならきっといい男が見つかる」


ほんとう?と言って、めぐみはグッとキールを飲んだ。清春はそんなめぐみを笑って眺め


「今日、あなたと会えてよかったよ。新しい友人ができて心強い」

「あたしもです。井上いのうえさん、本当にありがとう。これからもあなたを目標にして働くわ。一生懸命ね」

「一生懸命は大事なことだけど、身体には気をつけて。何事なにごともやりすぎるのはよくない。あなた、ちょっと佐江さえに似ているところがあって心配になるよ」

「似ているところ?」


めぐみが一重まぶたの目をせいいっぱい見開くと、清春は


「仕事に夢中になると自分のことをおろそかにする。佐江も、飯も食わずに働いていることがあるよ。横で世話をするやつが必要な女でね」

「あなたが世話をしているの?」

「うちは、おれがめし担当。佐江はコーヒー担当かな」

「めし?あなたお料理ができるの?」

「料理は好きなんだ。佐江はサンマをずみにする女だから、あいつにまかせておいたらふたりで飢え死にだ。そのかわりあいつの入れるコーヒーは絶品だぜ。あのコーヒーだけでも一緒に暮らす価値がある」


そう言ってから清春は声をひそめて


「セックスも、極上だけどね」

ふっと、清春は声を低めた。たまらなく色っぽく、つややかな声音がめぐみの耳に届いた。


「幸せなんて、知らなかった。佐江が一緒にいてくれるまで、幸せって何なのか、まったくわからなかった。あいつがおれを変えたんだ」


きゅっと煙草を灰皿で消して清春はライターを大事そうにポケットにしまった。それからめぐみに向かって笑い、


「生まれて初めて本気でほしいと思った女と暮らしているのに、他の女とかどうか確かめたいとはね。我ながらあきれるよ」


そういうと清春きよはるは立ち上がった。


「残念だけどそろそろ時間なんだ。部屋まで送ろうか」

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