第14話 だけど、寝るほどじゃない

もりめぐみは清春きよはるの言葉に考え込みながら白いシャツの襟元をさわって、ありもしないしわを伸ばした。


「あたしは誰かから、そんなふうに愛されたことなんてないわ」

「おれだってないよ。佐江さえだけだ、佐江だけなんだ」


ねえといって、めぐみはまじまじと清春の顔を見た。


「あなた、彼女さんの話をするときだけ顔が変わるのね。優しくて柔らかくなって、まるで色がつくみたい」


そう?と清春は笑って立ち上がった。


「ところで、もう一度バーに戻って飲みなおさないか?あなたのホテルの話を聞きたいんだ」

「いいけど。うちのホテルの話?」

「ああ。東京からのゲストも多いんだろ?うちも広島からのゲストが欲しい。なにか一緒にできることはないかな。例えば東京から広島観光に行きたいお客さまには、あなたのところのホテルを優先的に紹介するとか。はじめはキックバックも発生しない期間限定のお試し提携なら、問題にならないだろ」


清春はめぐみを連れて部屋を出ていくあいだじゅう、ずっと仕事の話をしていた。やがて、つい一時間前に出たばかりのバーに再度足を踏み入れたところで、めぐみはこらえきれないように笑い始めた。


「ねえ、さっきとは熱の入れようが全然違うわ」

「さっき?」


清春は、ジンライムとキールロワイヤルをオーダーしてバーカウンターに座る。めぐみはまだ笑ったまま清春を見た。


「あたしを口説くどいていた時と比べてってこと。あれ、口説かれていたのよね?」

「女性に確認されなくちゃいけないとはね。まったく、おれも腕がにぶったもんだ」

「あのときとは口調が全然違うわ。仕事が好きなのか、あたしを口説くのにそれほど熱心じゃなかったのか。どっちなの?」

「仕事が好きに決まっているだろ。あなたの魅力は十分だよ」

「その魅力は、他の男に対しては効果的ってことでしょう」

「え?」


清春が驚いたような顔でめぐみを見ると、隣に座った女は口角をきゅっと引き上げて笑った。


「あたしの魅力は他の男に対してどんな効力があっても、あなたには効かないってことよ。だって”さえ”さんが、あなたをがっちりつかんじゃっているから」

「そんなことないよ、あなたはきれいだし話していて楽しいし」

「だけど


ざくり、とめぐみは言い放った。


「”さえ”さんを忘れて、寝たいと思うほどの魅力はない。っていうか、それほどの魅力のある女はもう世界中のどこにもいないのよ。あなたにとっては」


ふう、と清春は天井を見上げた。めぐみはそんな清春の様子を笑ってみている。


「おれ、飼い犬みたいか?」

「犬?」

「飼い主に尻尾ふって、散歩のためのリードをくわえて待っている犬みたいじゃないか」

「犬ねえ…」


めぐみは清春から少し体を離して、じっと百八十五センチの長身をじっと見た。

頭のてっぺんからつま先までまったくスキのない服装をした、身ごなしの優雅な男。

三十七歳という盛りの年齢で、一人の女に精魂を傾ける悦楽にひたりきっている男。


女にとってたまらなく魅力的な男が、少し情けないような顔をしてめぐみを見ていた。

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