第12話 未練なんて、一グラムもないくせに

めぐみはくすくすと笑いながら


「あなたが、心配するほどダメな男?」


と言った。手には、大切そうに清春の名刺を持っている。清春は軽く顔をしかめ


「おれの言うことを信じていないな。おれのまわりの男はそんなやつばかりなんだ。比較すればおれはまだなほうだよ」

「なんだか、男を見る目が変わりそう」

「よしなさい、きっと悪いほうに変わるから。おれと同じ年でバツ三のやつとか、新婚なのに浮気し放題の男とか…ああ、言っているだけでうんざりしてきたな」


清春は苦笑した。そしてめぐみに向きなおった。


「広島と東京じゃあ、そう会う機会がないかもしれないが。東京へ来たら連絡してくれ。つぎはめしでも食おう」

「めし、ねえ。あたし今この瞬間に、あなたの“女枠おんなわく”から完全にはずれたわね?」



すると清春はすうっとめぐみに身体をよせた。清春がつけている、柑橘系のトワレが薫る。


「あなたが望むなら、女性の枠をけておくよ。おれはまだ未練があるんだ」


めぐみはちらりと清春の切れ長の目を見て、それからふき出した。


「ひどいな。笑うなんて」

「未練なんて一グラムもないくせに。いちおう口説くどく余地は残しておくのね。ずるい男」

「そういうけどね」


と清春は長い首をぴたぴたとたたいて、上目づかいにめぐみを見た。まるでいたずらを叱られた少年のようだ。


「何が起きるか、分からないだろ。おれが突然あなたと恋に落ちるかもしれないし」

「そうね、あなたの大事なひとをすててね。彼女の名前、なんて言ったかしら、”さえ”さん?」


ちぇっと清春は舌打ちした。


「おれ、あいつの名前をあなたに言った?」

「言ったわ。一度じゃないわよ。三度は聞いたと思う」

「おれもきが回ったな。ああそうだよ、“さえ”だ。佐江さえ


清春はまるでこの名を唇にのせるだけで幸せがやってくるというように、ほがらかに恋人の名を告げた。

めぐみは微笑んで自分の名刺を差し出した。清春は名刺のホテル名をじっと見て


「このホテル、たしか駅の真上にあるだろう」

「そうよ、駅直結。新幹線もとまるから東京からのゲストは多いわよ。なぜ?」

「子供のころさ、しばらくお世話になっていたよ。部屋から電車が見えたから飽きずにずっと見ていた覚えがある」

「すごい記憶力ね。何歳ぐらいのころ?」

「四歳か五歳。まだ小学校に入っていなかった。きみのところのホテルができたばかりでね。おやじがランドセルを買ってきたのはここだったかな、横浜のホテルにいるときだったかな」

「横浜のホテル?ホテル暮らしが長かったのね」


めぐみがそういうと、清春は顔をしかめて笑った。


「まあね、おれホテル育ちなんだ」


するとめぐみは、ふっと考え込み


「ホテルそだち…そういえば今日の研修で、ホテルを自宅みたいにして育った人がいるって聞いたわ」

「へえ」

「なんでもホテル業界の大物のこどもで、小さいころからホテルで育って」

「ああ」

「そのひとホテルマンになっているんですって。ホテルのことなら、何でもわかるらしいわよ。都内で評判のマネージャーだって」

「そこは間違っているな、まだアシスタントマネージャーなんだ」

「えっ」


めぐみは、あらためて清春の顔をじっと見た。

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