第7話 本当に好きなひとは身体の奥に

女はきれいな横顔をかたむけて、清春きよはるの手元のライターを見た。


「アンティークのダンヒル?オイルライターよね」


ああ、といって清春はライターを手に取った。

やや大きめの金色に光るライターは、ついこの間まで恋人の岡本佐江おかもとさえが使っていたものだ。禁煙をしている彼女が、もう使わないからと言って清春にくれた。

清春が他の何よりも大切にしているライターだ。


「なつかしいわ」

「なつかしい?」


清春は自分の煙草に火をつけてから、かたわらの女を見た。

女は髪を耳にかけて柔らかそうな耳たぶを露出しているので、こめかみから頬骨がよく見えた。

男が、歯を立てたくなるような耳たぶ。

そして笑うたびにどこかに消えてしまう頬骨。

色気があるというより、どこか可愛らしい雰囲気のある女性だ。


「なつかしい。昔の男がよく似たライターを使っていたのよ」

「ダンヒルかな」

「ジッポだったのかも。そのころはまだあたしもスモーカーじゃなかったから、ライターにはあまり興味がなかったの。今から考えれば、あれ、もらっておけばよかったわ」

「煙草のために?」

「ううん。思い出のために」

「記憶の詰まっているものは、近くに置いておかないほうがいいよ。いつまでも気になって次の男に進めない」


女は笑って首を振り


「もう進まなくてもいいのよ。男はいらなくなった」

「もったいない、あなたみたいな人が」


清春の言葉に女は肩をすくめて見せた。


「いいの。こうやって時々、気に入った人と寝ているから」

「おれにとってはありがたい話だけど。あなたにはもっと幸せになってもらいたいな」


清春は女の手をそっと取った。

ほっそりした指が長く、まるでピアニストのようだ。女の爪はきれいに手入れがしてあり、清春の唇がふれるごとにそっと震えて体内の悦楽を伝えてきた。

女の指の一本ずつに軽いキスをしていきながら、清春は静かに目を伏せて話し始めた。


「こんなシチュエーションで話すべきじゃないんだろうけど、おれの大事なひとも以前はそんなふうだった。本当に好きなひとを身体の奥に隠して、ときどき気に入った男をつまみ食いしていたよ。そのときの彼女は決して幸せそうに見えなかったな」


女は清春に手を預けたまま、いぶかしげに眉をひそめた。


「その大事な人ってあなたのことでしょう?なぜ好きなことを、隠していたの?」


清春は女の手を放さないまま煙草を口元に持って行った。

肉の薄い清春の唇がマルボロをくわえるところを、女の一重まぶたの眼がじっと見ていた。

清春は煙を吐き出す。にがいものを吐き出すときのように。


「おれじゃないよ。彼女は別の人に長いあいだ恋をしていたんだ。そばで見ていてうらやましくなるような一途な愛情だったね。たぶん今でも彼女の身体の底には、あいつがいるよ」

「あなた、それでよかったの?それで幸せ?」


清春は女を見てきれいに笑った。

女が、この男になら何をされてもいいと思うような、きよらかで胸を締め付けるような笑い方だった。


「幸せ、だと思う。彼女はあいつをあきらめて、今はおれといっしょにいる。おれは、おれが望む形でなくても彼女がそばにいればそれでいいんだ」

「切ないわね」


女がそう言うと、清春は声をたてて笑った。

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