第3話 大事な女
「おまえ、そんなことを
「言ったよ。そうしたら、あいつ、言い返してきやがった」
カウンター越しに、
シャツの襟元から、洋輔が子供のころから使っているディオールのトワレ、オーソヴァージュの深い森のような香りが漂ってきて、清春の鼻先をかすめた。
「真乃の言ったとおりに教えてやるよ。『キヨちゃんは、佐江を愛しているから、他の女には勃たないのよ』だとさ」
「…ばかじゃないのか、おまえたち夫婦は」
「俺が言ったんじゃねえよ。お前の妹が、ぬかしやがったんだ」
「なあ、そのクバ・リブレ、おれにくれるんじゃなかったのかよ」
「おっと、ごまかすんじゃねえよ、キヨ。どうなんだ、
「寝てても、寝てなくても、おまえには言わないよ。いう必要はないだろう」
清春が耳元をかすかに赤らめたままそう言うと、洋輔は酒のグラスを手渡しつつ、つやのある視線をじっと親友の顔に当てた。
「その様子じゃあ、してねえな」
ごふっと、清春はクバ・リブレを吹き出した。
「何なんだよ!」
「彼女と寝ていたら、”してない”って断言する。お前はそういう男だよ」
「妙なことを言うなよ」
「バカ、ガキの頃から数えて、もう二十五年も一緒にいるんだ。分からねえほうがおかしい。そうか、寝てねえのか」
洋輔はがっしりした顎をなでて、じっと親友を見下ろした。
「お前、この夏に
「どうして、そんなことまで知っている?」
「だからお前は、馬鹿正直だって言うんだ。浮気のホテルを本名で取るやつがいるかよ。オリエンタルのレセプションには、おれの知り合いもいるんだってこと」
「…それ、真乃に言ったか?」
清春は、じっと手元のクバ・リブレのグラスを見つめた。洋輔は短く
「言わねえよ」
「言うなよ。真乃はなんでもすぐ
「動揺するかな。あの人は、ずいぶんと冷静でおとなだぜ。お前なんかより、よっぽどな」
たとえ大人でも、と清春は静かに言った。
「頭で割り切れても、感情的に割り切れないだろう。佐江を、泣かせたくないんだ」
「惚れてんな」
「大事な女なんだ。わかるだろ、洋輔」
清春はジャケットの内ポケットから煙草を取り出し、一本くわえると、金色のライターで火をつけた。しばらく煙草を吸ってから、清春はぼそりと
「洋輔」
「なんだよ」
「おれ、ほんとに他の女とできないのかもしれない」
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