第3話 ~2~『彼女と星の椅子』
紫煙の立ち登るリビングであたしは、缶ビールを片手にテレビに映るアイドルを見ていた。
フリフリのフリルを身に着け、仲間たちと隊列を組み、手を振り、足でステップを刻み、少女たちは高らかに歌っていた。何が悲しくてこんな番組を見ているんだろう。そう思っても手はリモコンには伸びず、取ったのはとっくに吸い慣れたセブンスター。髪にも服にも煙は纏わりつき、汗とライトに身を包まれた彼女たちとは、光輝く月と暗闇を掘って進むモグラほど差があった。
幼さの残る甘ったるい高音は聞いていて、胸焼けがするほど耳に障る。それに耐えようと、苦いビールを喉奥に流し込んだ。売れるって何だろう。人に認められて、もてはやされて、顔も知らない奴に好かれることか。自分も音楽をやる人間だ。その行き着く高みには一体何があるのか。革新的なものも確信を持てることもない。ただ全てが曖昧で夢を見ている。そうこれは一時の夢だ。
テレビに出て、有名になって、お金を稼いで、良い暮らしをして……。何をもって音楽をやっているのか。芸術を高めるためと言えば聞こえはいいものの、やろうとしていることはどこまでいっても他人の空真似に、アレンジと言う名の自分勝手の感性をぶつけることだけ。こうなりたいだとか、目標とする人がいることを徹底的に排除して、自分だけの自分にしかない音楽を作れたら、それは一つの満足の形かもしれない。
モノを生み出していくこと。それは自分に一番近づく行為だ。自分から湧き上がるアイディアが形になって人に評価されること。それはどこかで売れるための媚びを必要として、歌いたい歌を歌えない自分を作り、なりたくないもの、汚れていくことも厭わなくなっていくのかもしれない。
その言い訳にあたしはタバコを吸う。万全でないから。完全でないから。まだ余力があるから。まだ本気じゃないから。そうして酒を煽る。
そしてテレビに映るスターの、どれもこれもが気に食わなくなって悪態をつく。全部自分に帰って来るブーメランと知っていても。
バイトは出来るだけ数をこなすようにした。人生経験が作詞にも作曲にも影響してくると思っているから。苦労を積み重ねれば味のある人間になるのだと思ってはいない。ただ何にもやっていない人間に何の説得力が生まれるんだと思うから。
悲しみを知っている人が、本当に優しくなれると思うし、寂しさを知っている人が、本当に独りの人に寄り添えるのだと思う。
人間はどこまでも孤独だということが、ステージに立っていると分かってくる。その人にとって何が大切なのか。
強い思い。譲れない一線。個を高めていくことで、生き延びる術を見つける。
自分の目と耳を頼りにたくさんのバンドを渡り歩きここまで生き延びてきた。自分より才能を感じる人だってたくさん見てきた。才能を生かしきれない、発揮しようともしない馬鹿と臆病者もたくさん見てきた。
良いものが必ず評価されるわけではない。ふるいにかけられてもしがみついていた本物が残るだけ。そんなことも歌にしてきた。
技術を着ければ見栄えは良くなる。だがそこに魂が宿っているかが、一番重要なことだった。魂を宿す方法を探し続けて旅をしている。この旅がどこに向かっていく旅なのか、どこまで行ける旅なのか。真っ暗闇の中を、擦っては消えるマッチで照らしているみたいだ。
ビールを一口。空になった。
ファンの音がうるさい、安っぽくオレンジ色に光る冷蔵庫の中に、余分なビールは入っていない。悔しさを紛らわすために新しいタバコに火を点ける。
テレビの中のアイドルたちの歌が終わり、スタジオはすっかりトークタイムに入っていた。最近ハマったことは? 司会者がアイドルたちに聞く。アイドルたちはカナリアのように、色取りどりの言葉で自分を着飾り、短い時間で自分をキャラクター付けした。履歴書に書く志望動機のように。この子たちだって辛いことを糧に頑張っている。だが、口からはつい呟いてしまう。
「やめちまえ」
の言葉。あたしは何でこんなところにいるんだろう。そう思っては不安を振り払うが、最近は冬の長く伸びた影のように、あたしの後ろにぴったりと張り付いてくる。振り払えやしない。
折れそうな心を奮い立たせてギターをかき鳴らす。ちっぽけなステージの上で、大言壮語を振りまいて、あたしは歌う。滑稽でも、嘘つきと罵られても、ピンスポットで照らす光の熱に、あたしは心まで、魂まで焦がされてしまったんだ。
熱病に侵されているみたいに、うなされているうちが一番輝ける時間なのかもしれない。
やりたいことはたくさんある。短い人生でそのどれもが出来るわけではない。だったら自分に今できることを精一杯やって、それが誰かを照らす光になるように、願って奮って走り続ける。そうして夜は更け、星明りも消えて、あたしの一日が終わった。
昼はラーメン屋でバイトをした。一日の真ん中に唯一まともに食事を取れることがここをバイト先に選んだ理由だった。
生臭いゴミ捨て場の匂いも、そこに湧く黒光りするゴキブリにも、もうだいぶ慣れた。劇薬のような味がしたとんこつラーメンも、今は汁を飲み干してしまうほどに美味しく頂けている。
夕方に上がって、週3で行うメンバーたちとの練習も、ライブが迫っているからか、随分と熱を帯び、鬼気迫るものを感じる。
自分と同じように放浪していた奴等の寄せ集めで、仲も決していいとは言えない。もうこれが最後のチャンスだと誰もが思っている。
それでも発散できずに溜まっていった鬱憤は、ストリートで弾き語り、少しでも自信をつける。自信は一度罅が入ってしまえば、ガラス細工のように脆くなる。自分が積み重ねた努力と、観客のウケの良さにすがって、元に戻るまで丁寧に扱わなければならない。罅が入った部分を努力と見栄で補修して。心と言うなんて揺らぎのある、なんて不完全で、なんて不確かなものに、皆すがっているのか。でも心があるからこうして歌を作っていられる。
そこにある救いと、輝きに賭けていられる。
タバコを吸うようになって良いことは、どこに行ってもタバコが吸えると言うことだけだった。タバコのために行動し、タバコに寄り添い生きていく。それほどに執着の強いものが、自分にあるのだと思えることが、救いでもあり単純に逃げ出す術でもある。ライブの後、深夜のジャングルジムの上で吸うタバコは格別の味がした。
ライブ初日、緊張の面持ちで臨んだあたしたちだったが、結果は惨敗だった。隙間は目立つが、入りはそこそこ。対バンも良い。勢いに乗せて、歌にありったけの力を込めたところだった。
箱の後ろの方で、酒を飲んでいた客同士が騒ぎ始め、それを諫めようとしていたファンとでケンカが起きた。空気は伝染し、最悪の雰囲気であたしたちは新曲を披露した。ウケが良くなかったのは雰囲気のせいだったのか、それとも出来がイマイチだったのか。
本当に力のある曲だったら、本当に力の宿った歌だったなら、結果は違ったのだろうか。どんな状況でも、どんな状況にも負けない歌が歌えなかったということは、歌に負けたと言っていいのかもしれない。
今回のライブツアーの結果によって、バンドメンバーの一人が進退を決めると、ライブの前日に言われていた。不安が胸を占めた。このまま何者にもなれずに、ただの人に戻り、起きていても覚めなかった夢を忘れ、今を遠い過去のように話すときが来るのか。
学生の頃、朝、洗面台で顔を洗った時に来る、先の見えない不安。今ではその先が見えてしまうことが怖くて、鏡を見ずに急いで顔を拭く。入ってくるギャラと反比例してタバコの本数は増えていく。
練習用のギターの弦はさび付き、髭を切らずに伸びっぱなしになっている。ライブで配るためのピックばかり削っている気がする。
自分に残っている純粋な部分が、消えてなくなる前に、チャンスをモノにして今よりも高い場所へ。
もっとたくさんの人たちにあたしの歌を聴いてほしい。唯一残った願いを胸に、あたしは歌を歌う。歌唄い、になりたくて歌を歌う。紫煙の立ち込める部屋の椅子に立って、近所迷惑も考えずに大声で不安を吹き飛ばすように叫ぶ。その心が歌唄いなのだとも知らずに。
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