第2話 ~1~『バイバイサンキュー』

 最後の日の夜。僕は夢にまで見た東京への準備を済ませた。入りの悪いラジオを聞きながら口笛交じりに。口笛の音色はどこか寂しげだった。鞄に入れた上着を見て、今日会ってきた仲間たちの顔を思い出した。

 ヒロシ、エリナ、ミカミ、ケンタロウ、ユミ。皆にはこれからしばらく会えなくなるので、壮行会をして貰った。壮行会と言っても僕たちは、まだ酒を酌み交わすことは出来ない。その代りと言って、いつも行く食堂で、好きなものをたらふく奢ってもらった。

 いつも食べ慣れた食堂の味も、これでしばらく食べ収めかと思うと、コメの一粒まで残さず噛み締めて味わった。ケンタロウは「良いところを見せてやる」と意気込んで、店の大食いチャレンジに挑んだが、あえなくタイムアップで挑戦は失敗に終わった。しぶしぶ会計で財布を開く健太郎の後姿が、勇んで挑んだ時に比べ、シュンと肩を落とし沈んでいて、実に情けなくて僕達は腹を抱えて笑った。それから廃れたボーリング場で、腕が痺れるまで遊んだ。僕たちは、ストライクやスペアが出るたびにハイタッチをして喜び、自分の自己スコアを更新するまでゲームは続いた。やり残したことがあってはいけないと、みんなが思っているようだった。店を出た時、空は暗くなっていた。

「ショウの歌。最後に聴きたいな」

 エリナが言った。

「いいな。これでしばらくお前の歌も聞き納めだろ?」

 ヒロシがエリナの提案に乗っかる。

「お前らなぁ。最後とか聞き納めとか、僕は歌を歌いに東京まで行くんだぜ。ラジオとかテレビに出て僕は僕の歌を皆に聞かせるんだ」

「僕は僕の~か。最後までその僕ってのは直らなかったな」

 ミカミが言った。

「いいだろ。俺って気持ちで詩を書くと何か粗雑な感じになっちゃうんだよ」

「売れる前からアーティスト気取りかよ。けどお前は凄いよ。俺なんかやりたいことなんてないからな」

 ケンタロウが空を仰ぎながら言う。

「こいつは勉強そっちのけで音楽にのめり込んでいたからな。授業何てほとんど聞いていなかったじゃないのか?」

 ヒロシとは付き合いが一番長いから、小さい頃から音楽の世界に夢見ていた僕のことも一番長く見ていた。

「夢を見るってどんな気分なの?」

 エリナが聞く。音楽の世界で食べていくくらいになりたいと、ヒロシ以外に話したのはエリナが初めてだった。

「夢が胸の中にあると、寝てるとき以外一日中そのことを考えているんだよね。いや、夢見ている時もそれが活かせないかって考える時もあるから、ほんと一日中かも」

 僕がそう答えると、ケンタロウがまた口を挟んだ。

「こいつ小便してる時も、今いい詩が浮かんだってぶつぶつ言ってるんだぜ」

「私も見た。ご飯食べながら何か文章をノートにメモって。あれは詩を書いてたんだね」

 ユミがやっと疑問が晴れたように、合点がいっていった。

「アイディアは逃げないように脳に刻んでおかないと。ほんと頭で浮かんだことがすぐに文章化される機械が発明されないかなって思うよ」

 冬の空気は冷たい。皆の吐く息は白く、話題を明るいものにしていないと、心にしもやけでも出来てしまうんじゃないのかと思いながら紡いでいく。

「カラオケでいいのか?」

 僕がそう聞くと、ヒロシは、

「どうせなら生歌が良いな。お前の家によってギターを取ってこよう」

「まさかこんな寒いのに外で歌わせる気か?」

「いいだろ。お前の声と演奏でお前の歌が聞きたいんだよ」

「……わかった。じゃぁ僕が取ってくるから、みんなはタンポポ丘公園で待ってて」

 僕は家路に走り出す。息を弾ませながら発声練習を兼ねて歌を口ずさむ。

 ヒロシとエリナは同じ大学に進学して、教員を目指す。ミカミはIT勉強をするのに難関大学に合格した。ケンタロウは地元の商店に就職して春から、皆とはいち早く働き始める。ユミは専門学校へ行って料理を学ぶ。地元は出ないが、ほとんどみんながバラバラになる。僕はそんな中、単身で東京へ向かう。これまでため込んだ曲を持って。一人きりの上京は、胸が張り裂けそうなほどに寂しい。でもここから東京までは電車で2時間ちょっと。返ろうと思えばいつでも帰れる。道は繋がっているのだから。


 アコースティックギターを引き下げ、僕はタンポポ丘公園まで走った。胸を満たす冬の空気は、気道が焼けそうなほどに、からからに乾いて喉に張り付いた。走っては歩き走っては歩きを繰り返して、息を切らして公園へ辿り着いた。深呼吸をしながら歩いて皆を探す。ここで歌うなら多分あの場所だ。

 皆は丘の上にある湖の傍に生える、一本の立派な桜の木の麓で手を振っていた。

「遅いぞ!」

 ヒロシが声を張って言う。

「悪い、お待たせ!」

 僕は走ってみんな所に行くと、再び乱れた息を整えた。

「くそ、ここで聴きたいなんて言ったのは俺だけどずいぶんと寒いな」

「どうせなら桜の咲いている季節が良かったな」

 ケンタロウとミカミが言った。

「ちょっと飲み物かってくる」

「私も手伝うよ」

 自販機に向ったヒロシをエリナが追った。僕はギターのチューニングを初めた。二人が見えなくなった時、ユミが嬉々とした声で皆に聞いた。

「あの二人いい感じじゃない?大学も同じとこだし。こりゃくっつくのも時間の問題だね」

 意地悪くニシシシシと笑うユミは、もうずいぶん前から二人のことを疑っている。僕らのグループには、二人の様子が変わるまで、そういう話はあまり出ていなかった。ただ気が合って、なんとなくグループになって、お互いがお互い良い距離間で過ごしていた。

 僕はエリナが好きだった。ヒロシもエリナを好きだった。僕らは互いの気持ちを知った時、一緒にエリナに告白した。エリナは困っていたようだったが、結局ヒロシを選んだ。別々の道を歩むことになる将来のことを考えて、そのことは三人の中の秘密にした。

 もしエリナが僕を選んだとしても、夢を追いかける者の背負うものは少ない方が良い。自分のことで手一杯の僕と一緒になったところで、普通の恋人同士に付き合っていくのは難しいかも知れない。半分気持ちを伝えることだけで満足していた僕は、エリナがヒロシを選んだことに少しほっとした気持ちもあった。失恋のショックはあったが、今では風化している。

 ヒロシとエリナが飲み物を持って帰ってきた。それを一人一人に渡すと、最後に僕の手にヒロシがホットのイチゴミルクを置いた。

「好きだろ、それ」

「あんがと」

 アーと声を出してから、イチゴミルクの蓋を開けて一口飲んだ。イチゴミルクの熱が喉を通り、腹に落ちた。

「よし、準備できたよ」

「お、それじゃぁショウの記念すべき初ライブの開演だな」

「ちょっと歌うのには寒すぎるライブ会場だけどな。うん。えー今日はみんな僕のために集まってくれてありがとう! 僕は皆と過ごした青春を忘れない! ここでの自分がどれだけやっていけるか、東京に出て自分の限界を試してくる! 辛くなったり辞めたくなったら皆の顔を思い出して頑張るよ! 僕の歌がここにいる5人よりも、もっとたくさんの人に聴いて貰えるために、僕は歌を歌い続ける!」

「ヘッポコMC! いいから早く歌を聞かせろー!」

「うるせー! じゃぁ早速旅立ちの歌から。聞いて下さい『バイバイサンキュー』」

 僕は寒空の下高らかに歌い上げた。仲間たちはそれを胸に刻むように聴いている。スポットライトもない、こんなちっぽけなステージで僕の音楽は始まった。


 翌日、駅のホームに、旅立つ僕を見送るみんなの姿があった。

「あっちについたら手紙を書くよ。写真でも添えてさ」

「頑張ってこいよ。売れるまで帰って来るななんて言わない。辛くなったら帰ってきてもいいんだぞ」

「ショウ君の歌、私とっても好きだから、絶対東京でも通用すると思う。頑張って」

「音楽の才能ってのは俺には分からんが、夢は見続けないと叶わない。迷ったら自分のやりたいことに従え」

「CD出したらすぐ知らせろよ。買い占めて知り合いに配るから」

「売れっ子になってもあたしたちのこと忘れないでよ」

「忘れるわけないだろ。最後に帰って来る場所はここだって決めてるんだ」

 電車からサイレンの音がして近づいてくる。

「ヒロシ。皆を頼む」

「あぁ。元気でやれよ」

 ホームに停車した電車はドアを開けて乗車を待った。僕は左手で荷物を背負い直して、反対の右手で地面に置いてあったギターを持った。一歩、一歩、歩いて電車に向かう。ドアを潜り、乗車して振り返る。皆の顔を見ると、別れを惜しんで涙目になっていた。

 一人ぼっちは怖くない。そう心の中で呟いて、皆に手を振った。エアロックのドアはプシューと息を立てて閉まる。電車が発進して、僕は車窓に張り付き皆を追った。皆はホームを走って、僕を追いかけながら手を振り続けた。だんだん電車が加速していき、皆はぼくの視界の隅に消えていった。電車が完全にスピードに乗り、ホームから出て、東京へ向かう線路を走った。僕は名残惜しそうに外の景色をしばらく見て、それから空いているボックス席へと座った。一人ぼっちは怖くない。またその言葉が胸に浮かんだ。

「一人ぼっちは怖くない」

 自分の口でもそう呟いて、寂しさに負けて流れそうだった涙を止めた。

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