第9話

その日、ランスロットが商談の話をしに見世の裏口をくぐると、それに気が付いたひびきとかなでが駆けて近寄ってきた。

「ランスロット様!」

「こんにちは、ランスロット様。」

「こんにちは。ひびき、かなで。どうしたんだい?」

ランスロットは目を細めて、双子の頭を撫でる。

「あの、花盛のことでご相談があって…。」

「ん?長谷さんがどうかしたのか?」

しゃがみ込んで膝をつき、ひびきとかなでと視線を合わす。

「言ってごらん。」

「凛一兄が、怪我をしたんです。」

双子の話を聞くとこういうことらしい。

昨夜、いつも通り客を取っていた凛一だったが、いきなり激高した客に頬を引っ叩かれたという。その衝撃で倒れた凛一は、手首を捻ってしまったとのことだった。騒ぎを聞いた番頭が客と凛一を引き離して、それ以上のことは起こらなかった。

「…何故、」

「それが、その…花盛は理由を話してくれなくて…。」

双子は目を伏せて、足元を見た。

「そうか…。」

ランスロットはひびきとかなでの背に手を回して、慰めるように抱きしめた。

「大丈夫だよ。ひびき、かなで。俺が様子を聞いてくるね。」

「お願い、します。」

「ありがとうございます。」

双子に凛一の居場所を聞いて、ランスロットは商談前に足を運ぶことにした。見世の二階、自室に凛一はいるという。

もう間違えることのない部屋の襖の前に立つと、すう、と息を吸い込んだ。

「…長谷さん?俺、ランスロットだけど。入ってもいいかい。」

逡巡したかのような間の後、控えめに「どうぞ」と小さな声が響いた。カタン、と音を立て襖を開ける。凛一は窓を開け放ち、空気の入れ替えをしているようだった。長い黒髪がなびき、ふわりと薔薇の香りがランスロットの鼻腔をくすぐった。

「こんにちは、ランスロットさん。」

「…こんにちは。」

微笑む凛一の頬は紅くなり、僅かに腫れているように見えた。そして右手首には痛々しい包帯がまかれている。

「その…、大変だったね。」

「話は聞いているんですね。ひびきとかなでかな?」

頷いて見せると、凛一は困ったように首を傾げた。

「どんな風に聞いたのかは知りませんが、そんなに大袈裟なことじゃないんですよ。」

「顔と聞き手を傷付けられたんだ。大事だよ。」

ランスロットは凛一の元へと行くと、双子たちにそうしたように膝をついて凛一を見上げた。そして右手を取って、そっと労わるように撫でる。

「痛かったね。」

「…。」

凛一は目を伏せる。その瞳の淵に僅かに光るものがあった。

「おいで。長谷さん。」

ランスロットが手を広げて見せると凛一はおずおずとその胸の内、腕の中に納まった。ぎゅう、と抱きしめて揺りかごのようにゆらゆら揺れる。

「…怖かっただろう。」

髪の毛を梳きながら、耳元で囁く。凛一はふるふると首を横に振った。

「僕の、自分の所為なんです。」

「何があったとしても、君の所為ではないよ。」

「いいえ。自分が招いた事態なんです。」

「と言うと?」

しばらくの沈黙の果て、凛一が小さな声で告白をした。

「あなたの名前を…、呼んでしまいました。」

「…え?」

思わず、聞き返してしまう。

「最中に、呼んでしまったんです。ランスロットさんの名前を。」

「!」

ランスロットは凛一の肩を掴んで、顔を見る。凛一は泣きながら、笑おうと頑張っていた。

「ごめんなさい。…ごめんなさい。」

謝罪の言葉を聞きたくなくて、思い余って、ランスロットは凛一の唇を奪った。下唇を噛み、刺激で開いた口に舌を潜り込ませる。互いの舌が絡まり合い、唾液と共に呼吸を飲み込んだ。

「…っ、」

「…凛一…。」

凛一の頬を掌で包めば、恥ずかしそうに瞳を伏せてしまう。こつん、と額と額を合わせてみた。

「凛一。俺の名前を、呼んでくれたんだね。」

「…はい。」

「ありがとう。」

凛一は唇を噛んで、泣くのを我慢しているようだった。だから幼子にするように、その細い肩を優しく撫でた。

「泣いていいよ。」

「…。」

「いいんだよ、凛一。」

ランスロットの言葉に誘われたかのように、凛一は涙を零す。

「僕は…、こんなに弱くなかった。」

「うん。」

「ランスロットの所為です。」

「うん。ごめんね。」

しなやかな柳のような強かさを持っていた凛一を弱くさせたのが、自分と言うことが堪らなくて嬉しかった。その弱みに付け込むのはたやすいと思ってしまうから、質が悪い。

「手首、もう一度見せてごらん。」

多少のスポーツ医学の心得があるランスロットは、凛一の包帯を巻きなおしてテーピングを施した。凛一はこの技術に驚いて、鮮やかな手付きに魅入っていた。

「すごい…。痛みが全然違う。」

「それはよかった。…さて、じゃあ、そろそろ川口さんのところへ行こうかな。」

「部屋まで、お見送りします。」

先立って腰を浮かそうとする凛一を、柔く押しとどめる。

「いや。ここでいいよ。」

「でも。」

「さよならのキスができないだろう?」

「!」

ね、と片目をつぶって見せると、凛一は頬を紅くして唇を噛んで俯いてしまう。あまりにも愛しくて、ランスロットは声を出して笑うとその唇に鳥が啄むようなキスをするのだった。

「またね。長谷さん。」

「…はい。ありがとうございました。」

手を振って、階段を下っていく。見えなくなるまで、凛一はずっとランスロットに手を振り返していた。


「…今日、買い取らせてもらうのはこれぐらいかな。」

川口が満足そうに、ランスロットが持ち寄った商品を受け取った。

「いつもご贔屓にしてくれて、ありがとうございます。」

代金を確認して、ランスロットも微笑んだ。商談成立の握手を交わして、ランスロットは帽子をかぶる。

「またいい品が入ったら、一番にお見せにきますよ。」

「はい。ランスロットさんの持ってくる商品は、うちの男娼たちにも評判が良くてね。楽しみにしていますよ。」

「それは光栄です。」

帰り支度を終えて、部屋を出て行こうとすると川口に呼び止められた。

「ああ、そうだ。ランスロットさん。」

「何でしょうか?」

「君は、うちの凛一と好い中なのかな。」

「…。」

咎めている風ではない。ただ、確認のようにも思える川口の穏やかな口調。だけど凛一に手を出してしまった罪悪感はぬぐえない。

「…すみません。」

「いや、いいんだ。確かめたかっただけですから。」

笑って、何でもない、と手を振られる。

「でも、そうか…。」

「何か?」

うん、と川口は頷いて、そして言う。

「この恋路は、厳しいものになるよ。」

「と言うと。」

「僕の妻もね、遊女だったんだ。」

川口は遠くを見るように目を細めて、過去に想いを馳せているようだった。

「…、奥方は今?」

「死んだよ。赤子を流したと共に、一緒にね。」

川口は一言告げて、「覚えておいてくれ」と話を紡ぐ。

「凛一は男だから、子を孕む心配はないと思わないでほしい。孕むのは愛の結晶だ。流すには、辛すぎる。」

ランスロットの脳裏に凛一の笑顔が浮かぶ。

「君たちの未来が光り輝くものだと、願っているよ。」

「…ありがとう、ございます。」

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