第7話
控え目な二人分の足音が凛一の寝室の前で止まった。
「ランスロット様、花盛。そろそろお時間でございます。」
時刻は、午前6時過ぎ。遊客が起き、帰る時間帯だ。色町の朝は早く束の間、活気付く。
「お入り、ひびき。かなで。」
凛一の声に双子たちが、ゆっくりと襖を開けて入室した。そしてひびきが手にしていた水桶と手拭いをランスロットの前に進める。
「ランスロット様、顔を洗うのにお使いくださいませ。」
「うん。ありがとう。」
ランスロットが顔を洗い、身支度をしているうちにかなでが凛一の着替えを手伝った。緋色の肌襦袢を緩く着て、髪の毛を梳いて整える。二人の準備を終えると、双子は頭を下げて部屋を出ていった。
「お見送りしますね。」
「ああ。」
かたん、かたんと急な階段を下っていく。ランスロットが先を歩き、一階の廊下に降り立つと「どうぞ」と凛一に手を差し伸べた。
「ありがとうございます。」
甘んじてその気使いを受けて、凛一は差し出された手を取る。最後の一段まで歩みを進めると、ランスロットのたくましい腕が凛一を抱いた。そして、ふわりと床に下ろしてくれる。
「もっとご飯を食べたほうがいい。軽すぎる。」
ランスロットが眉を顰めるのを、凛一は目を細めて笑った。
「ふくよかな方が、お好みですか?」
「長谷さんならどんな姿でも愛すけど、軽いのは心配だな。」
「はは。頑張って、食べますね。」
「そうしてくれると安心するよ。」
凛一の頭を撫で、額にかかる髪の毛を掻き上げて口付ける。人の気配がして、ランスロットはすっと離れた。そして、他の遊客に紛れて見世の玄関から出ていった。姿が見えなくなる瞬間、僅かに振り向いて手を振って見せる。凛一もまた、ゆっくりと手を振った。
朝の見送りを終えると、男娼たちは再び短い眠りに就く。その間、ひっそりとした空気が見世の中に生まれた。凛一も寝室で10時頃まで眠る。目覚めれば種子たちが準備した風呂に入浴するのだ。
「凛一兄、手拭いと着替えを置いておきます。」
「ありがとう、ひびき。」
ゆっくりと太陽の光を浴びながら、熱めの風呂に浸かる。今日は揉んだヨモギの葉が浮かぶヨモギ風呂だ。淡い緑色に染まったお湯は、さらさらとして肌を滑るようだった。
「…。」
口まで湯船に浸かって、ぷくぷくぷく、と息を吐き出す。ふと凛一は左手を見た。
『いつか、結婚指輪になるまで待っていてくれますか。』
結婚指輪になれば、この左手の薬指に指輪が収まるはずだ。凛一は左手を太陽にかざす。きらりとお湯が滴って、それは指輪のように輝いた。
「花盛。お背中、流しましょうか?」
「じゃあ、頼もうかな。」
かなでの声が響き、凛一は浴室への入室を促したのだった。
かなでは着物の裾を捲り上げて膝をつき、凛一の背中を手拭いで流していく。石鹸を泡立て丁寧に肌に触れる。
「かなでは、優しく人に触れるね。」
「! すみません、くすぐったかったですか。」
「いいや、気持ちいい。褒めたんだよ。」
凛一の言葉を聞いて、かなでの空気が柔らかく感じた。その素直さも良いことだと思う。
「花盛の肌、綺麗ですね。」
「そう?まあ、商売道具だからね。」
「えーと、その。そういう意味じゃなくて…、あの今日は痕が付いていないから。」
「痕?」
そう言われて、凛一も自分の身体を見てみる。確かにその身体のどこにも、紅く鬱血したキスマークは見当たらなかった。
「…時々、執拗に痕を残そうとするお客がいるから心配していたんです。」
「優しいね、かなで。」
「ひびきも同じことを言っていました。」
「そうか…。」
凛一の肌は白い分、キスマークを付けられるととても目立つ。つけられると白粉で誤魔化すが、客によってはそれでも嫌がられることがあるのだ。ランスロットは恐らく、凛一のその後のことも見越してくれていたのだろう。
「ランスロット様はやっぱり、優しいです。」
かなでが、にこにこと嬉しそうに笑む。それに凛一は、「そうだね」と返すのだった。
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