第6話
凛一はそっと汗ばみ熱くなったランスロットの背中を抱いた。背をさすっていると、ランスロットが顔を上げる。
「ありがとう…。長谷さん。」
呼び方が元に戻っていた。だがその静かに凪いだ、深い声色に確かな慈しみを感じてもう寂しくはなかった。
ランスロットは凛一の体内から自身を引き抜くと、水で絞って体温で温めた清潔な布で後口とその付近を優しく労わるように拭う。そして再び、布を洗って今度は凛一の全身の汗を拭きとり始めた。腕、胸、腹。足の指先に至るまで、丁寧に壊れ物を扱うような手つきで綺麗に清められていく。
「ランスロット、さん。」
「ん?」
子供のようにされるがままの凛一を、ランスロットは柔く目を細めて見つめる。
「あの。自分で、できます…。」
「知っているよ。でも、俺に綺麗にさせてくれないか。」
そう言い、ランスロットは凛一の頬に布を宛がった。肌を絶妙な力加減でなぞっていく。まるでマッサージを受けているようだった。
「…はい。おしまい。」
ちゃぷ、と布を洗いながらランスロットは満足そうに瞳を伏せた。凛一はその手に触れて、動きを制する。
「僕にも、ランスロットさんの肌を清めさせてくださいませんか。」
「俺はいいよ。」
「ダメです。ずるいです。」
確固たる意志を持って、ランスロットの手にある布を奪った。やれやれとランスロットは肩をすくめて見せて、観念したようだった。
「…。」
凛一は背後に回り、その広い背中を拭い始める。先ほど彼がしてくれたように、心と一緒に愛を込めた。背中には、凛一が付けた爪の痕が赤く浮かんでいる。
「ごめんなさい…。痛かったですか?」
「平気だよ。そんな些細なこと、気にならないぐらい夢中だったから。」
「…ありがとうございます。」
愛しさが溢れて、凛一はランスロットの背中にキスをする。ちゅ、ちゅ、と幾度も繰り返した。
形の良い肩甲骨に翼が生えて、どこまでも行けるようになればいい。
果てのない世界だとしても、ランスロットならきっと辿り着けるはずだ。
そして僕は、蒼穹を見渡せる地上でずっと見守っていたい。
願いをかけた。想いも込めた。だから、一際長く肩甲骨に口付けた。
障子の隙間から光が零れている。小鳥が囀り、空気が、しん、としている。朝の気配。
ランスロットがふと目覚めて、片手を伸ばして懐中時計を探る。一晩温めた布団の中から手を出すと、ひやりとした温度が刺激した。
時刻は午前4時58分。まだ、眠っていられる。
そう思って、ランスロットは二度寝の姿勢に入りかけて気が付いた。胸の内にいる愛しい存在に。そこには、凛一が穏やかな寝息を立てている。
少しだけ猫っ毛な質の柔らかな髪の毛。瞼を縁どる長い睫毛。なめらかな白い肌は、昨夜の名残か温かく上気していた。
ランスロットは凛一の唇をくすぐるように撫でた。すると凛一は眠りながら湿った舌でぺろりとランスロットの指を舐めた。
「…。」
くっくと声を殺して、ランスロットは笑った。そしてそのまま髪の毛を指で梳いて弄ぶ。さら、と耳元にかけるように撫でると凛一は、んー、と声を零した。起こしたかな、と思ったが眉根を少し寄せただけで凛一は再び眠ってしまう。ランスロットはたった数時間前の事を思い出した。
高い体温、潤んだ瞳。首の脈拍、汗の香り。
まざまざと最中のことが脳裏に浮かび、ランスロットは一人赤面する。でも、凛一が起きるまでに落ちつかなくては。いつだって、凛一をスマートにリードしたいのは自分なのだから。
「長谷さん…。長谷さん?」
何となく呼びたくなって、名前を呼ぶ。小さな声で何度も。規則正しい寝息は乱れない。
「…凛一。」
「…ランスロット…。」
「!」
下の名で一度だけ呼びかけただけなのに、凛一はそれに反応した。薄く瞼を開けてランスロットの姿を確認すると、淡く微笑んでまた瞳を閉じた。そして聞こえる微かなる呼吸の音。
「もう…寝ぼけてるのかい?」
言いながらランスロットは愛しさ余って、凛一をそっと抱き寄せる。その腕はあくまで優しく、身体を包み込む。
愛してる。
酸素を供給するように、引力に逆らえないように。ランスロットは凛一を求めていた。フル・スピードに加速して、転がるように前へ光へ、この感情は転がっていく。摩擦で角は擦り減って、何も傷つけない球体に変わっていく。
もう一度ぎゅっと凛一を抱きしめて、ランスロットは静かに布団から出た。そして鞄からビロード張りの小箱を取り出して、蓋を開けた。そこにはささやかな装飾が施された指輪が収まっていた。
眠る凛一の右手を握ってキスをして、薬指にするりとその指輪を嵌めた。朝日に反射して、きらりと光る。
起きて、しばらく気が付かなくて。気が付いたら、長谷さんはどう思うだろう。
ぼんやりと考えながら、ランスロットもまた眠気に誘われて抗えず、布団のふちに突っ伏して瞼を閉じた。
「…さん。…ランスロットさん。」
「…ん…?」
肩を僅かに揺さぶられて、目覚めると目の前に凛一の姿が映った。
「あー…。おはよう、長谷さん。」
「おはよう、じゃないですよ。風邪ひきます。なんだって、布団の中で寝てないんですか…。」
「はは。また一緒に寝てくれるなら考えてもいい。」
「…バカ。」
そういう凛一は僅かに頬を朱に染めて、ぷいと視線を避けてしまう。
「ごめん、ごめん。嘘、じゃないが。」
ランスロットは凛一の頬に手を添えて上を向かせると、そっと唇にキスをした。ちゅ、ちゅ、啄むようなキスを数回繰り返す。
「ちょ…っと!もう、いいです。」
「んー?そう?」
「しつこい…。」
「長谷さん?」
凛一が何かに、そう右手の薬指。指輪に気が付いたらしい。
「I promise,I will,and I do.」
「?」
ランスロットの言葉に、凛一は首を傾げる。
「これはね、プロミスリングだよ。だから、右手の薬指。」
「婚約指輪じゃないんですか…?」
「うん。プロミスリングは、婚約をする約束のための指輪だよ。プロミスリングを経て、婚約指輪。そして結婚指輪に変わる。俺たちはまだまだ、初期段階だ。」
「…。」
凛一は右手を朝日に透かして見る。きらり、と光る銀色の指輪。
「何で…。指の太さ、とか。」
「長谷さんと手が似ている人を探した。」
「…女性の方ですか?」
「ん?そうだけど。」
「…。」
「…あれ。何か失敗したかな。」
「何だか傷つきます。」
「え。」
ランスロットはおろおろと慌てて、凛一はその様子を見てくすりと笑った。
「ごめんなさい。ちょっと困らせたくなりました。」
「え?怒ってないのか?」
「怒らないですよ。驚いただけです。」
「…よかった。」
はー、と溜息をついてランスロットは自分を落着かせる。そして、あらためて、と凛一に向き直った。
「長谷さん。」
「はい。」
「未来、必ず婚約を申し込みます。」
ランスロットの照れたようで、でも真摯な声が響く。
「いつか、結婚指輪になるまで待っていてくれますか。」
「はい。」
凛一は何でもないとでもいう風に頷いた。日常の延長線上のようで、あくまで普通に返事をくれたからランスロットの方が、落ち着かない。
「これ、一応プロポーズなんだけど、わかってるかい?」
「わかってます。ランスロットさんが僕を大好きなこと。」
「そう、なんだけど。」
ランスロットは恥ずかしさに頭を抱えた。その姿を見て凛一は笑い、そしてランスロットに徐に抱き付いた。そして耳元に唇を寄せて囁く。
「ランスロットさんも、僕が貴方のこと大好きなこと知っているでしょう?」
「…知ってる。」
ランスロットは凛一の身体を支えながら、囁き返す。
「指輪、大事にしますね。」
重なり合う身体に、薬指の指輪が輝いた。
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