第174話 トラウマ

「引退ですか……」


「ああ。すまないね、ミツさんには話しておきたいと思ってたんだ」


 臨時の風呂場にて働くカートの話を聞くためと、ボイラー室の前で話し合うミツと冒険者のカート。

 彼の話は、ここで共に働く相棒であるマチの冒険者の引退の話であった。 

 マチは今こそ普通に仕事や日常生活をおくれているが、それはミツの助けあってのことであった。

 彼女も冒険者であるなら、街の外に出てモンスターと戦い、そして以前の様に強さを求めるだろうと思われる。

 しかし、マチは試しの洞窟にて指の数本をモンスターに噛み千切られる恐怖と痛みを経験していた。

 その時偶然にもマチの治療を行ったのがミツであり、彼のスキル〈再生〉にて彼女の欠損してしまった指を治すことができている。

 しかし、モンスターに自身の指を噛み千切られると言う恐怖が、マチの心を縛っていた。

 彼女は今の仕事は冒険者家業に戻る為のリハビリの様なものだと最初こそ思っていたが、夜な夜なその時の事が悪夢として彼女を襲い、マチを苦しめていた。

 更にマチの冒険者としての引退を決定付けた出来事が起きてしまう。

 それはマチがなまった体を動かすためとカートと模擬戦をやろうとした時、マチは自身の剣を握ることができなかったのだ。

 自身の手で剣を握ると、また指を失ってしまうのではないかとパニック状態になり、呼吸困難とカートも慌てる状態。

 マチは何度も剣を拾おうとするが、震える手では戦う事など不可能。

 武器を変えて試してみようともするが、それでも震えは出てしまう。

 カートとマチは話し合い、マチの冒険者としての引退が決まったそうだ。


「それはお辛いですね……」


「ああ、最初こそはあいつも悔やんで部屋で泣いていたみたいだけど、今はケロッとしてるよ。戦う冒険者は辞めたとしても、街の仕事を見つけやすい冒険者登録はそのままにしとくつもりらしい」


「なるほど。因みにマチさんが引退なら、相方のカートさんは如何されるんですか?」


「俺はあいつの相棒だからな。あいつが戦う冒険者を止めるなら俺も引退さ」


「そう、なんですね……」


 カートは苦笑いを浮かべつつも、やはり彼はパートナーと同じ道をすすむようだ。

 長年共に苦難の日々を過ごした相方が居なくなって、そのまま引退する冒険者は珍しくもないとカートは話す。


「はははっ! いやいや、ミツさん、別に気を落とさないでくれよ。危険なモンスターの討伐を止めたとしても、俺も街中での活動は続けているから食扶持が無くなるわけでもねえからな。まあ、稼ぎは少なくなるがそれでもあいつと生きていけるだけでも俺は十分満足してるよ」


 最後に彼はそれが本心とミツへ満面の笑みを見せてくれる。

 その笑みに救われた思いのミツ。


「はい。なら、カートさんやマチさんの稼ぎが無くならないようにお風呂場を頻繁に使わないとですね」


 その言葉に目を軽く見開き、頭の上に疑問符を浮かべるカート。


「んっ? あれ、ミツさん聞いてないのかい?」


「えっ?」


「このお風呂場はそろそろ閉まるよ?」


「えっ? な、なんでですか!?」


 今度はミツの方が目を大きく開け、驚きと声を出す。


「いや、何でって。ここは武道大会が開催されている期間中、臨時で開く場所だからね。大会も終わったなら勿論閉めるよ。それに、恐らくもうここのお風呂場は開く事は無いんじゃないかな……」


「何かあったんですか?」


 そう呟きつつ、険しい表情を浮かべるカート。


「んー。まあ、いずれ君なら耳にするだろうから話すけど、実はここで使用している魔石。湯を沸かしたり水を流すためのアレだね。実は、隣の街からの魔石の供給が止まってしまったんだよ」


「隣街?」


「ああ。魔石は山や川で取れる物なんだが、このライアングルを治めてる領主様。広い領地を持ってるけど、魔石が出るような場所は所持してないんだよね。だから毎年他の領地から買ってたみたいだけど、主にここで使用していた魔石の購入場所が無くなった見たいなんだ」


「無くなった……。何かあったんですかね?」


「ああ、隣のカバー領地からだったから、注文すれば一月も経たずに直ぐに来てたんだが、今はもう魔石は渡せないって連絡が来たみたいなんだよ。……これは噂なんだが、どうやらカバー家の領主様が姿を消しちまったってんだ」


「……」


 隣街、カバー領地の話を聞いた瞬間、ミツの脳内にはダニエルに綺麗な右ストレートを顔面に受け倒れる、ベンザ元伯爵の光景が浮かんだ。


「色々と噂が流れてるが、俺は領主が居なくなったって噂が本当だと思ってるんだ。そのせいで魔石を売買する為の領主の印が押せずに魔石も渡せねえ。なっ、山が無くなるわけがねえんだから魔石が無いわけでもねえし。ミツさんもこの噂聞いてねえかい?」


「あー……。そうですね……。カバー家ですか……」


 王宮神殿の神殿長であるルリの尋問と、ミツの持つ森羅の鏡にて悪事が表沙汰になったベンザのカバー家は、今はお家の取り潰し、財産没収、そして領主、領主婦人、共に今は捕らえられている。

 城の方にもベンザの悪事に加担した者が居ることが発覚したため、この連絡はいち早く王の元に早馬が流れていた。

 結果カバー家に協力した男爵、子爵かの13家が罪に問われ、また視察官である者も今は取り調べと役所を外されている。

 ルリの持つスキルは嘘発見器の様に詭弁などは通用しない。 

 もし視察官がその場を乗り切ったとしても、後々彼の悪事がバレる事は確実であろう。

 

 領主不在となってしまったカバー領地。

 今はマトラスト辺境伯が街の状況などを調べつつ、更にベンザの悪事を調べている最中である。

 しかし、ベンザがあれこれと不正を行っていた街の経済などが回せるわけもなく、何が正しく、どれが不正なのかを調べている最中でもある。

 因みに計算途中ではあるが、ベンザが今まで不正に受け取っていた金額、何と虹金貨8百枚分を超えていた。

 日本円にすると8億の横領。

 逆に如何すればこの様な悪事が働けるのかとマトラストは飽きれつつも、実はこれはまだ半分も計算しきれていない物もあり、まだまだ出てくる不正処理に頭を悩ませていた。

 金額が金額だけに、カイン、マトラスト、ダニエルの所から計算ができる者を借り出し、日夜大忙しく計算している。

 電卓や算盤が無いために、石板に石筆を走らせるのは大変だろう。

 

「そういう事だから魔石も無きゃ風呂は沸かすこともできねえからな。……。まぁ、何処かの優しい冒険者がまた魔石を復活させてくれたら助かるけど……」


「あははっ。残念、領主様や婦人に止められましたのでもう人前ではその人は使えないと思いますよ。あっ、それとその話は他の人の前でも話を出しちゃ駄目ですからね」


 チラチラとミツに魔石にまた魔力を入れることを望むカートの視線に気づくミツだが、魔石に魔力を入れてまた使用できる様にするのはエマンダに注意と、ミツの仲間達に危険が迫る恐れがあると警告を受けた為、彼は人の前で魔石を作ることはしないだろう。人の前ではの話である……。


「そうか、それは残念だ。んっ。ああ。俺もリンダさんから厳しく言われたよ。君の前だから思わず口が開いたみたいだ。すまんすまん。マチにも話してないから安心してくれ」


「はい、よろしくお願いします」


(そうか……ここの魔石はカバー家から購入していたのか。自分が魔石を供給してもいいけど、周りの店や貴族からここの魔石が尽きない事を怪しまれたらリンダさん達に迷惑になるよね……。んー。お風呂場が無くなるのは嫌だなー。これはダニエル様と相談してみよう)


「いたいた、坊や、ちょっとおいで」


「リンダさん?」


 カートとの会話も終わり、リックとリッケの待つお風呂場へと踵を返した時、浴槽の裏口からリンダの呼び止める声に足を止めるミツ。


 女風呂にて。

 身体を洗い終わり、招集にて疲れた疲れを湯の中に流す女性たち。

 

「ふー。生き返るっての……」


 マネは顔についた湯を手で拭い、更に肩が湯に浸かるほどに身体を預けている。

 足を伸ばせば彼女の体は湯に浮かび、豊満な彼女のスイカが湯船から顔を出し周りの入浴者の視線を集めていた。

 隣で共に湯に浸かるシューの身体はとても小柄で、二人を母娘と言われたら違和感のない程に二人の体付きは違う。

 くだらない知識だが、人の眉毛とアンダーヘアーの色は同色である。

 因みにマネは橙、シューは水色である。

 何の色を示したかはご想像におまかせする。

 

「ああ〜。気持ちいいシー。んっ? プルン、それに他の娘も如何したシ?」


「おう、なんだい、そんな小動物みたいにキョロキョロして。何か探してるのかい?」


 さて、二人が気持ちよく湯船に使っている目の前で、他の女性の背中を流す三助の女性の顔を一人一人と確認している彼女達。


「い、いや……。んっ! プルン、あの人は大丈夫!?」


「大丈夫ニャ、ちゃんと女の人ニャ」


「ならあっちの人は!」


「大丈夫、リッコちゃん。あの人も女性だったわ」


「今日は居ないみたいね……。いや、本来あいつがいる時点で可笑しいのよ……」


「誰を探してるのか知らないけど、ここに入るなら服ぐらい脱いで入るシ。濡れたら大変だシ」


 シューの言うとおり、今のプルン、リッコ、ミーシャは服を着たまま浴室へと入っている。

 周りが裸で布一枚しか持っていないこの場では、服を着たままの彼女たちの存在は確かに浮いているし、身体を洗っている湯が服についたら帰ることも大変である。


「大丈夫そうね……。よし、プルン、ミーシャ、私達も早く入りましょう」


 そう言うと彼女達は脱衣場へと移動し、自身の服を脱いでいく。

 シュルっと衣擦れの音にはだけていく彼女達の裸。

 毎日のようにお風呂場を利用している彼女達の肌はとても美しく、冒険者と思えないツルツルの肌を保っていた。


「ええ。あと数回しかこのお風呂場が使えないもの。毎日でも入っておかないと勿体無いわ」


 夏場である為に、少し薄着のローブを着込んでいたミーシャが服を脱げば、隣で着替えるリッコが舌打ちをしたくなるような二子山がこんにちは。


「ウチは朝に妹のミミと来たニャ。また夜にでもヤン達と一緒に来るニャ!」


「それ入り過ぎじゃない?」


 プルンとリッコはミーシャ程に胸は成長せずとも、プルンとしたお尻が二人の魅力を引き立てる。


「いいニャいいニャ。弟妹三人連れてくるのは大変だから分けて連れてきてるニャ」


「あっ、なるほど。おっと、身体を洗う為の布貰わないと」


「ふふふっ。人も落ち着いたのか人も少ないし、布不足は無さそうね」


「すみません、身体洗用の布をください」


 さて、何故ここまで彼女達の身体の作りが鮮明に分かるのか。

 それは彼女達の裸を見たのがこれが初見ではない者であるこそ、三人の体一つ一つの特徴を認識しているのであろう。


「……は、はい……。どう、どうぞ……」


「? どうも……?」


 番台の人はすっぽりとほっかむりで顔を隠し、対面に立つ裸の女性に少し震えた声にて要求された布を渡す。

 

「ニュフフ。ウチはいいニャ」


「あら、プルンちゃん、流石に汚れを落とさずに湯船は許さないわよ」


「違うニャ。ウチはミツからこれを貰ってるニャ」


「あっ、これって」


 プルンは自身のアイテムボックスに手を入れ、ミツが以前物質製造スキルで作ったボディウォッシュボールを取り出す。


「このモコモコで身体を洗えば気持ちいいニャ。ウチの教会にいくつかミツが作ってくれたニャ」


「いいわね〜。これって防具屋さんでも売ってなかったから探してたのよ」


「んー。身体を洗う為の布を防具屋で探すのも変だわけど……。ああ、やっぱりこれミツが作った布だったのね。んー。プルン、それ使い終わったら次使わせてよ」


「いいニャよ。ミーシャも使うかニャ?」


「そうね〜。ふふっ。これ使った後、結構お肌がスベスベになったからまた使わせてもらおうかしら。でも一応。すみません〜、私にも布を1枚貸してください」


 ミーシャが一歩歩くたびに、ポヨンポヨンと揺れる二子山に番台の人の挙動がおかしくなる。


「……はい。どうぞ……」


「どうも〜。あら? ごめんなさい。この布、もう一周り大きい物に変えてもらえますか。これだと、ほら小さいのよ〜」


 ミーシャは番台の人から受け取った布を広げ、自身の胸元に当てる。

 布の大きさは統一されておらず、たまたま彼女に手渡された布は、二子山の左右の頂上を隠す程度の長さしかなかったようだ。


「けっ」


「ミーシャは胸が大きすぎるニャ」


「酷いわね〜、プルンちゃん。私もこの胸のせいで着たい洋服が着れないとか困ってるのよ」


「布でも巻いてなさいよ、もしくは裸でいれば良いじゃない」


「……リッコ、何怒ってるニャ?」


「怒ってないわよ!」


「ふふふっ。大丈夫、リッコちゃんもこれから大きくなっていくわよ」


「フンッ。それよりミーシャ、早くその人から布を受け取りなさいよ。さっきから手に持ってあなたが受け取るのを待ってるじゃない」


「あっ。ごめんなさい〜」


「い、いえ……」


 ミーシャは布を当てたまま、リッコ達だけではなく、番台の人にも分かるようにその格好を見せている。

 勿論手は胸元に当てられているため、彼女の下は無防備状態。

 番台はまるで石になったように、顔は見えないが真っ赤になっていた。


「それじゃ入るニャ!」


「先に身体を洗いなさいよ」


「分かってるニャ、分かってるニャ」


 浴槽内の安全を確信し、裸となり中へ入っていく三人。

 それを見送った番台に座るミツは、彼女達が来る数分前にリンダとの会話を思い出していた。


「坊や、すまないね、突然仕事振っちまっちゃって」


「あの……リンダさん。何で自分がここで番台をやらないといけないんでしょうか」


「なんでって、ちゃんと説明しただろう。いつも来てくれる婆様が腰を患っちまって起き上がることもできないからその代わりって」


「な、ならリンダさんがここにいれば」


「莫迦言うんじゃないよ。私の仕事は入り口入場担当。それと色々な問題の片付け係だよ。この仕事まで手が回らないよ」


「な、なら洗濯係に自分が行きますので、そこの女性の誰かと交代を!」


「あ〜。悪いけど今は洗濯係は男しか働いてなくてね。それにあんた、マチから聞いたけど衣類の受付は苦手そうだって聞いてたんだよ。それなら布を渡すだけのこの場所が適任だってもんだ」


「あがっ!? た、確かに女性の衣類を受け取る作業は苦手でしたが……でも」


「五月蝿いね、あんたしか居ないから頼んだんだよ。それともなんだい? お金払って来てくれたお客さんに布も渡さず風呂に入れと!? そんな事このリンダは許さないよ」


「はあ……」


「それにね。あんた腕っ節はいいだろ? もし他の客の荷物をあさろうとした奴がいたら、あんたなら問題なく捕まえれるだろうさ」


「ははっ……前回おもいっきり床に叩きつけられましたけど」


「ハッハッハッ! そんな事もあったね。まあ、私の我儘だと思って聞いておくれ


「はあ……」


「ほら、お客が居る前でため息なんて辛気臭いね。はいはい、布ですね。ほら、お客さんに風邪をひかせる気かい。さっさと渡してあげな」


「す。すみません……。三枚ですね……ど、どうぞ」


 布を受け取った人はミツが男性だと今気づいたのか、顔を真っ赤にして慌てて受け取った布で身体を隠し、急ぎ足に浴場内へと行ってしまった。

 やっぱりここで働くのはやばいのではと思ったら、リンダは布を取り出し、ミツの顔を隠す様にほっかむりをする。

 ぱっと見はここで働く従業員がよくやる事なので気にされる事ではないそうだ。


「うん。そのまま頑張りな。あっ、お客から回収した布と新しい布を一緒にするんじゃないよ。その籠に布がいっぱいになったら裏の洗い場に回しておくれ」


「分かりました。で……因みに自分は何時まで働けば?」


「そうだね……。もう少しすればポリーが来ると思うからそれまで頑張っておくれ」


「ポリー。ああ、ポリーさんですね。分かりました。言っときますけど、本当にポリーさんが来るまでですからね」


「分かった、分かった。それじゃ、頼んだよ」


 そう言葉を残していくリンダの後ろ姿を見送りつつ、ミツに声をかけてくる女性へとまた布を渡す作業が始まる。


「はい。どうぞ……。ううっ目のやり場に困るよ。浴場内の清掃ならハィデイングや時間停止、潜伏のスキルを使えば誰も気づかれずに作業が終われるのに……」


「?」


「はい!」


「布……頂けるかしら?」


「は、はい。ええっと、どうぞ」


「ありがとう」


「ううっ……」


 ブツブツとこの状況をどうにかできないかと対策を考えるミツ。

 戦闘時ならまだしも、こんな事が二度も来るとは思っていなかった彼に名案も浮かぶわけもない。咄嗟に声をかけられた方を向けば、目の前には素っ裸の女性が布を求め並んでいる。

 亜人種の女性やご年配の人ならなんとか耐えるかもしれないが、時間も時間。

 依頼を早めに切り上げた冒険者や、また緊急招集で集まった若い女性冒険者達が飲み会前と湯船に浸かりにきた人が目に入る。

 大中小と大きさも形も様々。

 また、先に汗を流しに来ていたのかヘキドナとエクレアの二人の姿も浴槽内に入ることを確認している。

 ミツはまた自身がここで働いている事がバレてしまうと、ヘキドナに床に押し付けられ、怒鳴られるのではとヒヤリと背筋に汗が通る。

 

「ポリーさん、早く来て下さい!」


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