第142話 誇り、戻りて。

「ねぇ、チャオーラ……」


「はい。姫様。どうされましたか?」


「私は、父上……。国で待つ王へ、何と連絡をすればいいの……」


「……姫様。それはメンリル様と相談ですね。我々だけでは王へと連絡もできませんし、先ずメンリル様抜きでは……その、私は字もまともにかけませぬ……」


「……ごめんなさい」


「いえ。私自身、字もそれ程上手くもありませんから。取り敢えず室内へと戻りますか。そろそろ日も暮れてきております。水場近くでは風も冷たく、お体を冷やされては姫様が風邪を引いてしまうかもしれません」


 夕方に差し掛かってきたのか、辺りの景色が赤く染まり始める。

 チャオーラの言葉に座り込んでいたエメアップリアが立ち上がり、彼女と共にホールへと歩き出す。

 その時、辺りが赤く染まる中、彼女達が進む先で1本の光の線が現れる。


「姫様! お下がりください!」


「姫様! 俺の後ろに! チャオーラ、お前は姫様を守れ!」


 光に警戒するチャオーラ。

 木陰に身を隠していたベンガルンも姿を表し、二人を守るためと二人の前に立つ。

 また、いつの間に居たのか、数名の獣人族の暗部が警戒を高め、物影や木の上から武器を構えていた。

 

「あっ、ヤバ、近すぎた」


「「「!?」」」


 トリップゲートが突如としてエメアップリア達の前に現れる。

 そして、そのゲートを当たり前と潜り抜け、出てきたミツは彼らへと失礼な言葉を発言してしまう。

 しかし、エメアップリア、チャオーラ、ベンガルン達が更に驚いたのは、ミツの後にゲートから出てきた二人の人物。

 フロールス家の執事長であるゼクスは、ゲートを潜り抜けた先に客人であるエメアップリア達が居る事に驚きはするも、礼儀をわきまえた挨拶をする。

 だが、ゼクスの礼も目に入らぬ程に、三人の視線は後にゲートを潜り抜けたバーバリへと向けられていた。


「バーバリ!」


「「団長!?」」


「……うむ」


「何が、うむ、ですか。はあ……失礼します。ローガディア王国の姫君。突然皆様の前に姿を表したことに先ずはお詫び申し上げます」


 ミツがまだ不慣れな貴族向けの挨拶を語りだすと、エメアップリアはハッと直ぐに我にかえり、王族としての言葉を返してくる。

 チャオーラはバーバリが現れた事に驚きつつ、自身の主君を守る位置を取る。


「か、構わぬ。貴殿とは我も話し場を持ちたいと思っていたの。呼び出す前と貴殿から我の前に礼をしに来たことに褒めの言葉を授ける」


「はっ。ローガディア王国の姫君のお言葉、感謝いたします」


「……それで、貴殿の、その。……魔術にて我の前に現れた要件と、バーバリが共に居る事に対して説明を求めるっての」


 エメアップリアは身内への話し方ではなく、辿々しくも自身が王族である事を忘れぬ様に貴族的な話し方を続けるが、やはりまだ幼き少女。

 所々と言葉は間違えるも、ミツは気にすることはなかった。

 

「はい。ご質問にお答えいたします」


 ミツはバーバリをこの場につれてきた内容を、自身よりも歳が下の少女にも分かりやすく内容を噛み砕きながら説明していく。

 ベンガルンはまさか自身の溢した愚痴ではないが、周りが困っていることを聞き入れていた事。

 また、ゼクスの元に数名の相談者が来ていた事に眉を動かし驚く。

 ゼクスも話を補足しつつ、久々にあったエメアップリアへと説明していく。

 エメアップリアは自身の知らぬ所で側仕えのメンリル、私兵のチャオーラ達が動いていた事に視線を送り、彼女も驚きの顔であった。

 

「そうか……。バーバリ」


「はっ」


 バーバリはエメアップリアの前に膝を折、頭を垂れる。

 身体の大きなバーバリは、膝を折ってもエメアップリアよりも視線は高いが、彼が頭を垂れることに彼女の手がバーバリへと届く距離になっている。

 バーバリが頭を下げた後、重い口を開くように、ゆっくりと言葉を語りだす。


「エメアップリア姫君……。先ずは自身の不甲斐なき戦いを国の恥とし、泥を塗った過ちに深く謝罪の言葉をここに……。敗北の戦士が姫の前におめおめと姿を見せ、膝を折ることをお許しください」


「……」


 エメアップリアに向けられた謝罪の言葉。

 それは戦士として、国を背負う者としての言葉であった。

 バーバリの言葉に、彼女の小さな口元からガリッと奥歯を鳴らす音が聞こえた。

 そして、彼女はバーバリの生えたばかりの髪をグッと掴み、言葉をかける。


「どの様な心変わりにて、貴殿が我の前に姿を見せたのかはわからぬ。だが……」


 言葉が止まり、エメアップリアの小さな腕に力が入る。


「バーバリ、お前が居なかったこの数日は、本当に困ったものだったっての……」


「……」


「ベンガルンがお前の誇りたる証を我の前に差し出した時、我はお前を恨んだの……」


「……」


「お前が姿を消した理由は、国の習わしと言うことを我もまだ今よりも幼き頃に教えられた。でも、メンリルは別の事も教えてくれたっての……。お前が次に我の前に姿を見せてくれる時は、共に国へ帰り、父へと無事の帰還を報告できるだろうって……」


「……」


 彼女の口元が小刻みに震えだす。

 ミツやゼクスの他国の者が居るこの場では、彼女は王族としての威厳を保とうと試みていたが、まだ心も体も幼き少女には背負うには重く、長くは続かなかった。

 

「ねえ……。バーバリ。戻って来てくれるんだよね……。メンリルの言うとおり、我達と一緒に……国へ帰ってくれるんだよね……」


 俯き、白い前髪に隠れていた目は、涙腺が決壊してしまったのか、ポロポロと涙が溢れ出し始めていた。


「……」


「もう、我は嫌だ……。国を出る時は皆の者は笑っておった……。お前達は剣を掲げ、父へと勝利の誓いを立てていた……。でも、この街に来て皆は笑わなくなった……。予選に負けた者は我の前に姿を見せてくれなくなったっての……。我はもうこの国が嫌だ! 皆の喜びも奪い、チャオーラの腕も奪った! ルドックやお前すら我の前から消えてしまう! もうこれ以上我から何を奪うっての!? 嫌……もう……嫌だよ……」


「姫様……」


 バーバリへと泣き崩れるエメアップリア。

 彼女の言葉に、その場に居る者全ての心を締め付けられる思いになる。


「申し訳ございません姫君……。我の甘さ故に、姫に辛き思いを与えてしまい……」


「団長……いいか。いえ、良いでしょうか……」


「……発言を許す」

 

 バーバリは自身の胸の中で泣くエメアップリアを宥めつつ、声をかけてきた弟であり、団員の一人であるベンガルンへと発言の許可を出す。


「ありがとうございます。先程から気になっていたんですが……。あの、団長の誇りは俺が間違いなく切り落としたのですが、何故元に戻っているんでしょうか?」


 彼の質問は、今質問しなくても良い、空気も読まない質問であった。


「ベンガルン……。あんた、この場で聞くことがそれなの……」


「いや、チャオーラ!? お前の視線もさっきから団長に向きっぱなしだったじゃねえか」


「えっ、違っ。私は二人の姿しか見てないわよ!?」


「要するに団長の頭を見てたんだろう!?」


「莫迦、だから私は!」


「あのー」


「「んっ?」」


 二人の些細な口論を呆れつつ見ていたバーバリの代わりと、ミツが二人の会話に割って入る。


「バーバリさんの鬣、じゃなかった。誇りは自分が元に戻しましたよ。あの人、誇りが元に戻らぬまで帰らぬとか言ってましたからね」


「……」


 目を丸くしつつ、皆の視線がバーバリの頭に向けられる。

 


「そ、そうなの……」


「ホッホッホッ。しかし、バーバリ殿も頑固な事で、ここに連れてくるまでは少しばかり骨を折りましたな」


「ゼクス殿。ありがとうございます。貴殿が居なければ私達は……」


「いえいえ、チャオーラさん。私は爺の口煩い言葉をバーバリ殿へと向けたまで。本当の感謝の言葉は、彼にすべきですぞ」


 チャオーラとベンガルン、二人はゼクスの言葉にそうだと思い、ミツヘと感謝の言葉を述べていく。

 ローガディア王国の獣人兵や、今物陰に隠れている護衛ですら消息が掴めなかったバーバリ。

 彼は半日と同じ場所にはおらず、中々彼の足取りが追えずに困り果てていた。

 バーバリ自体、対象の捜索のいろはを心得ている為に、誰が何処をどうやって捜索するのかを理解している。

 その捜索の裏をつき、バーバリはこの数日と自国の兵にだけ見つからぬように動いていた。

 本当にたちが悪いものだ。


 やっと泣きやんだのか、エメアップリアが目元を赤くしつつ、少し嗚咽を漏らしながらミツヘと声をかけてきた。

 チャオーラとベンガルンはその場から下がり、護衛としての位置を取る。


「貴殿、うっ……。ミツと申したな」


「はい。改めて、ローガディア王国の姫様の前にて、ご挨拶をさせていただきます」


「挨拶はもうよい……。貴殿には……うっ。また助けられたっての……」


「姫様、お言葉はもう少し落ち着かれてからの方が……」


「ううっ……」


 泣いたせいなのか、言葉がまともに口から出ない事に、今度は悔しさにてまた目元を潤ませるエメアップリア。

 チャオーラの差し出した布にて彼女は目元を拭われるが、また俯いてしまった。


「……あの、発言をよろしいでしょうか」


 ミツの言葉に目元を潤ませたままだが、彼女は彼が自身を心配しているのだろうと、側にいるチャオーラも感じたのだろう。

 チャオーラの頷きを見たエメアップリアはミツの言葉に許可を出す。


「……うん。許すの」


「はい、ありがとうございます。エメアップリア姫君、私は心を落ち着かせる魔法が使えます。お許しを頂けるのならば、エメアップリア姫君に、癒やしの魔法を使用する許可を頂けますでしょうか」


「まて、小僧。お前は今、誰に物申しているのかを理解しているのか!? ローガディア王国の姫君に貴様は術をかけると申したのだぞ!? 姫君への無礼千番な発言を今すぐ取り消せ!」


 バーバリはミツとエメアップリアの前と、二人を遮るように前に立つ。

 ミツヘ止めの言葉と嫌悪な視線を送りつつ、ゼクスを含め、二人の様子を伺っていた。

 しかし、ゼクスはミツを止めることはせずに、言葉を出すことも無く、黙ったまま。


「……バーバリ、いいっての。前をあけよ」


「姫!?」


 バーバリの背中を押しのけるエメアップリアは膝をつき、頭を垂れたままのミツヘと自身から一歩近づく。

 

「あ、頭をあげよ」


「はい……」


「わ、我は人族を心から信じてはおらぬ……。だから、正直に申すと、我は人族に恐怖し、心から震えておる……。だが。大会中、人族である貴殿のちか……うっ。貴殿の力にて我ら獣人国。多くの民は、うっく……。観戦席から貴殿より救われた……。だから、貴殿は他の人族とは違う……。貴殿の言葉を我は信じるっての」


 漏れる嗚咽を殺しつつ、エメアップリアは自身の気持ちをぶつけるようにミツヘと気持ちを伝えた。

 一国の王女が、人族に恐怖を感じている。

 この言葉に周囲は隠せぬ驚きと直ぐに彼女の言葉を止めるべきだと思っているが、流石にエメアップリアの口を塞ぐような事はできない。

 チャオーラ、ベンガルンは周囲に他に人族。いや、他の他種族が居ないことを確認する様に周囲の警戒を高めた。


「エメアップリア姫君のご配慮に、自分は心より感謝いたします」


「んっ……」


 ミツが差し出した掌に、エメアップリアは自身の手を彼の上に乗せる。

 そして、周囲が警戒する中、ミツはエメアップリアへとコーティングベールを発動。

 暖かな光が、ミツとエメアップリアの手を包む。

 本当は肩や背中が効果が早く効くのだが、相手が相手なので下手な場所を触るわけにも行かないのだ。

 心を落ち着かせるコーティングベールが効いたのか、エメアップリアはキョトンとした顔をした後、自身の目元をゴシゴシとこすりだした。


「おっ……。うむ。貴殿の気持ち、感謝する」


「姫君、大丈夫でしょうか!? お身体に不調などはございませんか?」


「ええい! バーバリ、近い! 熱苦しいっての! 我は問題ない」


「し、失礼いたしました!」


 エメアップリアの小さな足が、自身に視線を合わせる為と屈んだバーバリの脇にヒット。

 少女の足蹴りなど屈強な身体であるバーバリには痛みすら感じさせることはなかった。


「まったく。さて、ミツよ。貴殿の癒やしの魔法にて会話が問題なくできる事に改めて感謝するっての。そして……。バーバリを我の前に連れてきた事、その理由も理解したの。ゼクス殿にも改めて感謝するっての」


「はっ」


「うむ。さて……。バーバリ」


「はい、姫様」


 エメアップリアは、膝を折ったままのバーバリへと真っ直ぐに視線を合わせる。

 先程まで見せていた不安に満ちた表情は消し、いつもの王女としての振る舞いをしていた。


「先程ベンガルンが先に質問しておったが、お前のこれは本物であろうな? これが本物というのなら、申した通り……お前は我達と共に国へと帰るのだろうな」


「……」


「バーバリ……」


「団長! いい加減にしてくれ」


 エメアップリアの言葉に口をつぐむバーバリ。

 その光景に、弟のベンガルンが怒りの思いと声を出す。

 それに続き、チャオーラもバーバリへと睨みを効かせていた。


「団長、また姫様を不安とさせ、悲しませるおつもりですか! これ以上姫様を悲しませるのなら私は貴方を許しません!」


 二人の言葉に、少女の顔を見てバーバリの口が開く。


「……分かった」


 バーバリは改めてエメアップリアの前にて膝を折り、自身の背中に背負う大剣を彼女の前に寝かせる。

 これは誇りを取り戻した敗残者が主君へと、改めて戻る意志を示した行動である。

 言葉は無いが、エメアップリアは置かれた大剣へと自身の掌を置き、バーバリの意志を受け取る。


「バーバリ、自身の誇りを取り戻し、我の前に戻り貴殿を受け入れる。しかし、貴殿は一度抜け出した敗残者……。今後、他の者の言葉は厳しくも、辛く貴殿に浴びかけられるっての。それを心身と受け入れる事が貴殿の背負うべき見えぬ枷である」


「はっ! このバーバリ。堅牢堅固の心と、姫様をお守り、二度と折れぬ忠誠を誓わせていただきます!」


 バーバリが帰ってきた。

 この情報はエメアップリアだけではなく、この場にいないリンメルにも朗報となった。

 後にバーバリはメンリルから強く然りの言葉を受けたが、それは自業自得と言うもの。

 その場に立ち会ったものは、誰一人としてメンリルを止める者が居なかったそうな。

 

「ミツよ。まだ貴殿に話がある。その、これは我の言葉であって、国からの命令ではないが……。我の手足となる気はないか!? お前は我がローガディア国に、勝者の礼を行っておる。貴殿の武人としての働きに我は高く評価したく……その……バーバリを倒すお前の力は、我が国にこそ相応しいと思うっての。それに……」


「……」


「お、お前が望むなら、我が国にて手厚く迎え入れる事を、我、エメアップリアの名の元に約束するのね!」


 まだ幼き容姿をしていても、彼女は王族としての話し方を意識しつつ、ミツを国へと勧誘する言葉をかける。

 エメアップリアの意志を前もって聞いていたチャオーラは驚きはしなかったが、側にいたバーバリとベンガルンは目を見開き驚いていた。

 獣人国が人族の勧誘は珍しくも無い。

 王族である者が直々と声をかけるのは、側にいるゼクスも経験がある事であった。

 ゼクスの場合は、バーバリとの決闘後に、エメアップリアの父に気に入られた結果である。

 しかし、その時のゼクスは冒険者としてまだ腰を下ろす場所を決めかねていた。

 エメアップリア直々の言葉は、その場の誰が聞いても断るはずが無いと思っていた。

 しかし、ミツの返答は、エンダー国のレイリーに告げた内容と同じであった。


「エメアップリア姫君様のお言葉、自分は深く感謝いたします……」


「で、では!」


「ですが、大変申し訳ございません。姫様のお心遣いに、私はお応えすることはできません……」


「っ……!? で、あるか……」


 ミツはしだいと俯くエメアップリアへと、申し訳なく断る理由を告げていく。

 少女が勇気を振り絞り、ここがチャンスと声をかけたがその思いは相手には届かなかった。

 エメアップリアは悔しさに拳を作り、奥歯を小さく音を鳴らす。

 ミツが喋り終わると、彼女は大きく深呼吸をし、顔を上げる。


「よ、よい。貴殿の言葉。わ、我は受け入れよう……」


 フンッと小さく鼻を鳴らす彼女。

 また少しだけ少女の目元が潤んでいた。

 側にいるチャオーラは頑張ったと慰めるようにエメアップリアの背中を優しく撫でる。

 バーバリとベンガルン、二人はミツへと、なぜ幼き少女の言葉を断ると、理由を聞いていたはずなのに彼らは眉間に深くシワを寄せ、少年を睨みつけていた。

 その視線が申し訳なく思ったのか、先程エメアップリアが泣きながら告げた言葉を思い出すミツは、この場の重い空気を変える為と、また彼は後のことも考えずに人助けをしてしまう。


「えーっと、参ったな……」


「さっ、姫様。まもなく日もくれてまいります。フロールス家の屋敷の方へと戻りましょう」


「……そうだ! あの、少しだけよろしいでしょうか」


「何か……」


「お誘いのお言葉を頂いた、感謝の気持ちのお返しと言う訳では無いのですが、自分からエメアップリア姫君様の不満を、一つ解消させて頂きたく思います」


「不満とは、どう言う事なの……」


「はい。えーっと……。姫君様の私兵のお方を、少しばかりよろしいでしょうか」


「?」


 視線を向けられ、自身が呼ばれた事に少し戸惑うチャオーラ。

 側にいたベンガルンが彼女を守る為と一歩前に出る。 


「小僧、何をする気だ?」


 エメアップリアは少し考え、チャオーラへと声をかける。

 

「……チャオーラ」


「はっ。ベンガルン、姫様の側に」


「……おう」


 頷きを向けてきた主君の気持ちを察したのか、彼女はベンガルンに守りを任せ、ミツへと近づく。


「それで、私に何か?」


「はい。チャオーラさんのその腕。それは武道大会での戦いの傷ですよね?」


「……ええ。それが何か」


「自分は少しだけ治療の魔法が使えます。良ければそちらの腕に治療をほどかせても良いでしょうか」


 ミツの言葉にチャオーラは自身の失った腕を見た後、彼女は首を横に振った。


「!? いえ……結構です。今は薬も効いていますので痛みもありません。私はあなたのそのお気持は十分に伝わりましたので、治療は結構です……」


「そ、そうですか……」


 チャオーラ自身、ミツの言葉に治療はとてもありがたく思っている。

 だが、彼女が治療を受けたのはフロールス家が要員した治療士達であり、自身の獣人国では受けることが難しい治療である。

 これ以上の治療は不要と、彼女はミツの言葉を断ることにした。

 しかし、肩を落とし少し残念がる少年を見て、チャオーラ自身、申し訳ないと思ってしまった。

 そこに声をかけてきたのがゼクスである。


「ホッホッホッ。チャオーラさん、そう言わずと、彼にお願いしてみたらどうですかな? もしかしたら思わぬ事が起きるかもしれませんよ」


「ゼクス殿……。しかし……」


「フムッ……。チャオーラさん、ちなみにバーバリさんの誇りたる証は、彼の力にてあの様に復活しております。それを考えて見れば、試す価値はあるのではないでしょうか」


「!?」


 冗談を会話に時折混ぜるゼクスであるが、今回ゼクスが言ったことは間違いではない。

 チャオーラはそうだと、改めてバーバリの生え揃った髪を見る。

 そして、自身の二の腕を掴み、眉間にシワを寄せるほどに彼女は考え、答えを出す。


「あなたのお気持ち。先程無下に断りた事に謝罪いたします。どうか、よろしくお願いします」


「いえ、突然の言葉に警戒するのは当たり前です。分かりました。チャオーラさんを治療させて頂きます。ですが、その前に……。あの、先に言っておきますが、別に自分は獣人国の人に敵対心とか全く無いですから、それだけは信じてくださいね」


「? お前は何をいきなり言い出す」


 ミツの言葉に、首をかしげるバーバリとベンガルン。


「あの、今からチャオーラさんを治療します。その際、チャオーラさんが呻く声を出したとしても、物陰に隠れた他の人達が自分へと敵意を向けないようお願いします」


「「「!?」」」


 事実、物陰や木の上にはエメアップリアを守る為と、隠密レベルの高い獣人が数名潜んでいる。

 この場に姿を見せていないと言うのに、ミツはその事を当たり前と、更にバーバリが驚く真実を告げる。


「小僧、お前は……。まさか、あいつらの存在に気づいていたのか……」


「えっ? ええ……。えーっと、8人ですかね? お姫様をお守りするなら見えない場所に隠れているのは当たり前かなと」


「……(数まで言い当てるとは)」


 バーバリはミツの見ている物陰をみては、彼は鼻を一つ鳴らす。

 その後、自身の腰に携えた剣を親指一つ分鞘から抜き、カチャンと音を鳴らす。

 すると少し木陰が揺らぎ、木が枝を揺らす音がきこえ、ミツの感じていた気配がスッと消えてしまった。

 

 エメアップリアは物陰に部下が忍んでいた事を知らなかったのか、二人のやり取りに目を丸くしたままである。

 彼女の左右を守る為とバーバリとベンガルンが立ち、少し離れた場所にミツとチャオーラが立つ。


「それでは、少しだけ失礼します」


「「「!?」」」


 ミツの言葉の後、彼の足元からスキルの煙幕が発動。

 霧のように周囲からの視線は消え、瞬く間に煙は二人を隠してしまった。

 動揺する周囲の人々。

 バーバリが物陰に隠れた護衛を下げていなければ、数名の者が姫を守る為と武器を構え、ミツヘと敵意を向けてしまっていたかもしれない。


「こ、これは!?」


「チャオーラさん、落ち着いてください。自分の治療方はあまり見せない方が良いと言われたので、煙で周囲から自分達を見えなくしただけです。それでは治療をします。少し腕が熱くなりますので我慢してくださいね」


「……し、承知しました」


 煙幕の煙の中、ミツはチャオーラの失われた腕を元に戻すため、再生のスキルを発動。

 彼女は失ってしまったはずの何も無い片腕から突然走る熱さに驚き、思わずうめき声を漏らす。


「えっ!? うっ! あっ、くっうっっ!!」


「チャオーラ、大丈夫か!?」


「ベンガルン! 動くな! 貴様、主君を残して場を離れる気か!?」


「うっ!? 申し訳ない……。だが、団長に言われたくねえな……」


「……。フンッ。ゼクス、チャオーラに何かあり、姫を悲しませる結果を見せるなら俺は貴様達を許さぬからな」


「ホッホッホッ。それはそれは、そうならぬ事を私は祈るしかありませんな。ですが、それは不要な心配。彼の行動に、あなた方はまた驚かされる結果しか私は想像できませんぞ」


「貴様は何故そこまであの者を信頼できる……。血の繋がりもなければ貴様の弟子と言う訳でもあるまい」


「左様に……。彼とはまだ浅き日々の付き合い。指折り数えるほどしか顔も合わせておりません」


「なら尚更……」


「ですが、人の縁の繋がりに月日は関係ございません。私は彼の性格や考えを心から気に入っております。きっとバーバリさんも彼を気に入るでしょうね」


「フンッ……。笑止。貴様がまだ衰えを知らぬ頃、剣を振り、鬼神と言われていた者から出る言葉とは思えんな。やはり腑抜けたかゼクスよ」


「ホッホッホッ。私は等に衰えを自覚しております。それでも無理に剣を振っていたのは、私の心を引き継ぐ者を探しきれぬ為ですぞ」


「……フンッ。その言葉が誠ならば、厄介な者共だ」


 チャオーラの声にオロオロと焦るエメアップリアとベンガルン。

 二人の様子も気にせずと、ゼクスとバーバリは煙幕から目を離すことなく、会話を続けていた。

 煙幕の煙がしだいと薄れると、そこには座り込むチャオーラ、彼女の肩に手を置いたミツの姿が見えてくる。


「チャオーラ!」


 ベンガルンの声がその場に響く。

 座り込むチャオーラはゆっくりと体を起こし、後ろにいる仲間たちへと振り向く。

 彼女は驚愕とした表情をしていた為に、一瞬周囲が警戒するが、彼女の目からポロポロと涙が流れ始めたことに目を見開き、チャオーラへと皆は近づく。


「大丈夫か、チャオーラ!?」


「ひ、姫様……」


「チャオーラ、如何したっての! えっ!?」


「「!?」」


 自身の身を心配し、近づいてきたエメアップリアに、チャオーラは震える自身の手を皆の前に見せる。

 その手は戦いで破れた爪や、訓練でできてしまった傷やアザなどが無い、チャオーラ程の年頃の美しい手がそこにあった。

 ミツは驚愕と言葉と失う面々を残し、チャオーラの反対の腕へと手を伸ばす。

 ミツの治療の光はチャオーラの両手だけではなく、彼女の顔や足の傷を全て消し去ってしまった。

 

「片方だけでは不釣り合いなので、両手一緒に治させて頂きました。これでお誘いの言葉はご勘弁下さいとは言いませんが、エメアップリア姫君のご心配が一つ消せたと思います」


「「「……」」」


 沈黙と驚愕に言葉を失う面々。

 人は驚き過ぎると脳が動きを止めてしまう物なのか、エメアップリアだけではなく、側にいたバーバリ達も目を見開いたままであった。


「ホッホッホッ、ミツさん。相変わらず貴方のお力は人を驚かせますな。ですが、それは他者を不幸にする力ではなく、道を示す力です。しかし、軽率に力を見せ続ければ、貴方様の優しさに漬け込む輩もいずれ現れるかもしれませぬ。貴方がチャオーラさんに施した癒しに関して、今回私は何も見なかった事にいたします。ですが、この老体の小言に関しては発言をお許し下さい。ローガディア国の皆様。彼の今回見せた奇跡に関しては、どうか口外のなきよう、よろしくお願いします。今はこれが明るみとなれば、お互いに損しか生み出しません」


「ゼクスさん……」


 ゼクスの先手の言葉が効いたのか、バーバリはぐぐっと口を閉ざし、ミツとチャオーラを交互に見るばかり。

 エメアップリアは突然のことに驚きすぎて、彼女は何を話せばよいのか決めかねていた。

 だが、主君として、またチャオーラを姉として思う彼女は、ミツへと言うべき言葉を発言する


「ま、待つっての! そ、その。まだよく分からんが、我は礼を貴殿に伝えたい! 感謝する。我のチャオーラを治してくれて、感謝するっての! この礼は必ず返す!」


「いえ、お礼だなんて」


「そ、それでは……」


 その時、エメアップリアの脳内に、数日前に行われた会談の場で、カルテット国のセルフィの発言した言葉が思い出された。

 

(彼と好意的な繋がりを結ぶ事ができたならば、彼は心を開くかもしれません……。そうなれば人の慈悲を彼に語りかければ彼は種族の差など気にせずに、自身の力を使い動いてくれるでしょう。ですが、それが必ず可能となる保証もございません。皆様も目にしたと思われます。彼の力、そして強さを……。この場におらぬと思いますが、あの力が欲しくと欲のまま手を出せば火傷では済みません。その様な考えが見透かされたまま内側に入れた瞬間、国の内側から喰われるかもしれません……。

 私は彼を取り込む気はありませんが、友として付き合う気持ちはあります。皆様と彼の一番良き道は、忠誠を誓わせるのではなく、彼と友好な関係を結ぶべき事ではありませんか? 彼と共に剣をふるい、彼と共にご飯を食べ、彼と会話をする。ただこれだけで良いのです。目の前に様々な装飾を施した宝石をチラつかせようとも、彼はそれを死ぬ気となり、掴むことはありません)


 エメアップリアのまだ浅い人生の中、彼女は今までにないほどに頭をフル回転させ、最適な言葉を探す。

 自身の大切な私兵であるチャオーラの腕を元に戻した。

 幻覚やまやかしではなく、暖かな彼女の体温が伝わる優しい腕が治った。

 セレナーデ王国の辺境伯が、もう所持していない回復薬を煙の中で使用したのかもしれない。

 治療方は見ることはできなかったが、この気持ちを金銭や物で片付けては、自身の目の前に居る人族とはそれっきりの付き合いとなる。


「……! な、なら我は、貴殿と食を共にしたい! その後、其方が良ければ我の兵と剣を交えぬか!? そして、貴殿と我。友になろうではないか!」


「はい?」


 セルフィの言葉を思い出した彼女は、言葉そのままとミツへと話を持ちかける。

 勿論突然のことにミツだけではなく、周囲の大人達も驚きはしたが、エメアップリアの握りしめた腕が小刻みに震えている事に気がついたのだろう。

 チャオーラは、お礼とエメアップリアの提案に賛同し、未だ口を開いたままのベンガルンへと少し強めに肘で小突き、彼へと言葉を促す。

 ぐふっと少しばかり顔を顰めるベンガルンは、チャオーラの睨みにゾクリと背筋を震えさせつつも、主君の希望を飲んで欲しいと言葉をつなげる。

 困りつつも別に配下や私兵になれと言っているわけでもないので、ミツはエメアップリアの言葉を承諾することとした。


∴∵∴∵∴∵∴∵∴


 エンダー国に続いて、ローガディア王国との対談が終わったが、まだミツはフロールス家に滞在している。

 その場はまるで戦場の様に慌ただしく、人々は武器である鍋や皿、燃料となる薪を運び動いていた。


「悪いねミツさん。客人に手伝いなんかしてもらって」


「いえいえ。パープルさんにハンバーグに使える新しいソースを教えるのは約束でしたからね。気にしなくていいですよ。それより、今日もここは忙しそうですね」


「ああ、ここは私達にとっては戦場だからね。ガレン、付け合せのソテーを出しな! スティーシー、食後までにはそのデザートを仕上げときなよ!」


「了解です、ボス!」


「はい! 分かりました! ガレンさん、それが終わったらこっちを手伝ってください。追加分を作らないとまた足りなくなっちゃいます」


「まてまて、お前どれだけ作るつもりだ!? 予定より明らかに多いいだろう?」


「何言ってるんですか! このプリンの追加分でも足りないんですよ!? 文句があるなら、ガレンさんが貴族様に、お前達食いすぎだって言ってくださいよ」


「い、言えるか!」


「だったら早く手伝ってください!」


「あんた達! 口を動かす余裕があるのかい! さっさと手だけ動かしな!」


「了解です、ボス!」


「はい! 分かりました!」


 パープルの激が厨房に響く。

 周囲の人達はいつもの事だと、その言葉にくすみ上がる事なく慌ただしく動き続けていた。

 だが、そんな厨房の圧に押されたのか、ミツだけが苦笑いを浮かべるしかできなかった。


「ははっ……。怖……」


 料理の希望でハンバーグを作る事になったパープルは、ミツが以前アイテムボックスから出したレーションのハンバーグではなく、ハンバーグを1から作るレシピを教わっていた。

 しかし、まだ浅い経験の為に、焼き方や注意点をミツが教えつつ、新しいソースを共に学び、カイン殿下やマトラスト達が更に驚くハンバーグ料理を彼らの前に並べる事になる。

 ミンサーはミツが物質製造スキルで作り、今はフロールス家の厨房には、無くてはならない調理器具になっていた。


 料理をしつつ、パープルとの会話の中、明日ミツがまた試しの洞窟に行く事を告げる。

 プルン達が護衛依頼を終わらせ数日が立った。

 彼女達の疲れも癒えた頃なので、明日はプルン、リック達含めミーシャ達同伴となり大所帯となるだろう。


「そうかい。だとしたら、ミツさんが帰ってくるまでには私もハンバーグを上手く焼けるようにしとかないとね。その時はまた教えておくれよね」


「はい。分かりました」

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