第36話 すみません、宗教の方から来たわけじゃないんですけど……
ごきげんいかがですか?
わたしがよく宗教系のことを書くので「こいつ、なんか変な宗教の勧誘のために、このサイトを使ってんじゃないの?」と思われていたとしたら、ある意味では名誉なことですけど、いわゆる「変な宗教」というのは宗教の名を騙った、単なる集金マシーンであると私は考えています。従って、現在のような生活を送っているわたしは「変な宗教」を作ることも加入することも出来ないのです。それは単にお金がないからです。
わたしが宗教のことをよく口にするのは、心身ともに惰弱な自分をなんとかするために、たぶんなにかしらの頼るべきものを求めているからだと思います。かといって妄信的になにかを信じているわけではなく、本物に近いものを求めており、なんとなくそれらしきものを見つけられました。
一つはわたしの守護仏である不動明王。ただし、Wikipediaで調べていただければわかると思いますが、こちらはある意味強すぎる力を持った仏ですので、その危害が時には、わたしにまで及ぶことがあります。横浜市鶴見区に駒岡不動尊(もちろん通称で本当は常倫寺)というお寺がありまして、躁病時に三回ほどお参りしたのですが、三回とも帰る時に災厄が起こりました。はじめは乗っていた自転車の後輪のチューブが爆発し、二度目は大型トラックが頻繁に通る道路の真ん中で横転し、最後は勤め先を突発的に解雇され(いま思えば当然の処置なのですが)、わたしは大激怒してしまって、それが原因で、激躁状態まで突き抜けて、最終的に自宅前の道路で、制服警官四人に囲まれるという、たいへん貴重な人生経験を味わいました。たぶん、不動明王からわたしへの厳しい叱責であったと考えています。
厄除けで有名な川崎大師こと平間寺の御本尊も不動明王なのですが、実母は「あそこには近づいてはいけない」と生前しばしば実父に言っていたそうです。やはり強過ぎる気を感じたのでしょうか? わたしは実母の生前に直接は聞いていないので詳しい理由は不明のままです。
躁病時に住んでいた横浜市港北区の師岡町と隣の大豆戸町(まめどちょうと読みます)の境に切り立った崖沿いに細い階段があったのですが、上から降りていきますと途中に少し開けた空間があり小さな祠がありました。赤い鳥居が立っていたので、お稲荷様なのですが、その時はそういった知識がまだなかったので意味がよくわからず、とりあえず自分が発見した「プライベート神仏」のような感覚で祈りを捧げました。そのまま階段を降りていくと細い道路になり、突き当たりに今度は濃いブルーの鳥居がありました。「なんだろう?」と思って正面に出ると「不動尊」という額が掲げられていました。これをわたしは運命の出会いと思い込み、お稲荷様の祠を不動明王の祠と勘違いしてずっと仏式のお祈りをしていました。でも、本当は神様でしたね。完全に宗旨違いです。
躁病が悪化するに連れて、なぜか理由はわかりませんが「仏教キチガイ」になってしまったわたしはネットで仏教に関する知識を学び、少しばかり近くにある港北図書館に行き、常時なら絶対に触れない(わたし図書館司書の資格があります)図書館の本の中から『仏教入門』という本を読んで、ブッダから鎌倉時代の仏教くらいまでは読みました。しかし、病気のせいで集中力0でしたので読了は出来ませんでした。
一方で隣接する鶴見区は永平寺と並ぶ、曹洞宗の総本山である総持寺(石原裕次郎の墓所)をはじめ、神社仏閣の宝庫で、わたしは毎日、自転車をかっ飛ばして神社仏閣はもちろん民間信仰の神々までをを周り、写真を取りまくり、時に長くて危険な階段を自転車担いで降りて、目的の寺に到着し、その寺でトレッサ横浜のバカ書店店長への呪詛の手紙を境内において来たりしていましたね。しかし、その辺りの激躁時になると、ちょっと記憶が曖昧なんですよ。かなり、脳細胞が死んだようです。往年の暗記力は完全に消えました。
いろいろな場所を回りましたが、わたしの心の中の一番はやはり、例の小さな祠でして、そちらの縁起を調べるため、再び港北図書館へ行きました。いろいろと検索した結果、郷土史のところに、ごく薄くて背表紙もない和綴じ風の本を見つけました。タイトルは忘れてしまいました。しかしその本の一節に『大豆戸不動尊』という名前で、あの場所の写真と説明が載っていました。それによると古くから近隣住民で祭りを開くなど栄えていたのに、昭和五十年代に放火をされて、小さな本堂は消失。御本尊は菊名の本乗寺に安置されているとのことでした。わたしはすぐに、本乗寺に行きました。ネットで見つけたどちらさまかの、お散歩ブログによると本乗寺は日蓮宗のお寺で、あまり門が開いていないそうです。しかし、わたしにしては珍しくツキがあったようで山門は開いていました。わたしは境内をぶらぶらと一周しながら燃えた跡のある不動明王を探していたところ、それらしき石仏を見つけたのですが、判断に苦しみ、誰かがいたらお尋ねしようと思ったのですが、あいにくとお寺の方が近くにおらず、さすがに躁病であっても本堂にまで入る無礼までは出来ませんのでなんの解決にも至りませんでした。不動明王の縁日が二月二十八日で、毎年その日はこちらで盛大な催しがあるそうなのですが今となっては訪れる気力がありません。
さて、その足(自転車)で、大豆戸不動尊跡地と知れたいつもの場所を下から観察していますと、ずっと排水口だと思っていたところが実は龍頭だということに気がつきました。水行をするにはあまりにも貧弱な水量ですが、かつてここが修行の場だったとわかります。ということは、必ず近くで不動明王が見守っているはずなのです。慌てて探索開始。そうしましたら階段を登りきった立ち入り禁止スペースにいらっしゃいましたよ。石像の不動明王が。もちろん、躁病時ですのでためらいなくフェンスを登り、不動明王の前にかしずき、お祈りをしました。
まあ、この辺が潮時でしょう。静かなる場所にてわたしやその他の人たちを見守っていていただきたいですね。
ちなみに放火の犯人は見つからなかったそうです。しかし、不動明王を怒らせてタダで済むとも思えませんので、今ごろ地獄で猛省でもしているでしょう。
ああ、本当に言いたかったことを忘れていましたよ。先日、構想の一端をお話しした『現行日本国憲法をご神体に祀る、わたしと近しい人々のためだけの小さな神社』ですが、御本尊たる小学館発行『日本国憲法』が早速御入室。いまはまだ、ただのブックレットですし判型がA5なので、文庫サイズを想像していたわたしにしてみれば少々大きめですが、まあ問題なし。さらに懸案だったAmazon問題も知り合いがあっさりと承諾してくれたので、近日中に鳥居と賽銭箱が届きます。あとは信じるのみ、一心に信じれば、認知工学的に「生命なきものにも生命が息吹く」らしいので善良な神になってくれればいいと願ってます。あれ、わたしは狂っていますかねえ?
ではごきげんよう。また勉強して来ます。
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