第29話 養父についての一考察

 ごきげんいかがですか?


 前回の休講日は本来、インターバルとして、軽めの雑談をいくつか並べようと思っていたのですが、わたし自身が考えもつかなかったほど予想外な方向に行ってしまい、思わず、わたしの本心の吐露することになったのでとても驚いています。その中でお伝えしたように、わたしの勉強はまだ始まったばかりなので拙速に重要かつ難解な課題に挑まず、しばらくは、ごく軽くユーモアに富んだ当意即妙な話題、というかお題目で「伝える力」を鍛えていきたいと思います。願わくば林修のような物事をわかりやすくてウィットに富んだ語り口でご紹介たらいいなと考えます。彼の情報伝達能力はとても優れているとわたしは高評価しています。でなければ一瞬の話題ですぐ消えているはずで、思ってもみなかったほど長期間にわたり、テレビの雑学系バラエティーに出演し続けることは普通ならあり得なかったでしょう。たかが予備校講師だと、侮るべからずです。


 再三再四申し上げていますように、わたしは噺家である萬願亭道楽の養子です。しかし、わたしは橋の下に捨てられていたわけでも、川上からどんぶらこと流れて来たわけでもなく、実の親の名前もその血族のことも承知しています。申し訳ございませんが、養子に出された詳しい経緯はお教えできません。複雑な人間の思惑が絡み合っており、老いぼれたいまのわたし自身の中でさえ、今だに消化しきれていないからです。


 実を申せば、養父はあくまでメタフィクションの中の存在ですので、少し説明が必要になります。


 彼はごく若い頃から抜群の芸を身につけ、異例の早さで真打ちになり「天才」と噂されていたそうです。しかし「天才」ではあっても「名人」とは一度も呼ばれていません。それは彼の言動にしばしば奇矯というか不可思議な振る舞いがあったからです。彼が置かれた環境とシニカルな性格のためです。


 養父は東北地方の太平洋側の某県の出身ですが、そこはまるで『遠野物語』に出てくる村のように様々な民俗学的に興味深い伝承に溢れた地だったそうです。彼自身も実は養父母に育てられたという経歴の持ち主ですが、わたしと違い、赤子の時に御神木の下に捨てられていたそうです。幼少時から尋常でない無限の記憶力を持っていたそうで、推測ですが、彼は右脳人間なのだと思います。右利きなのですがね。


 その記憶力を存分に発揮できるのは噺家だと早合点に思い込んだ養父は両親の反対を押し切り上京し、師匠である九代目萬願亭苦楽の内弟子となります。養父がなぜ苦楽を師匠に選んだかと言うと、苦楽の一門が日本に二つある落語の大きな協会に所属していないアウトローだったため、余計な人間関係に振り回されず、修行に専念出来ると考えたためだそうです。

 ただ、養父は入門してすぐに古典落語の演目の多くを覚えてしまい、さらに新作落語も作ってしまい、その時作った『瀬戸際の魔術師』はいまだに高座にかけられるほどの名作として落語通の方々に高く評価されています。まさに若くして天才だったのです。

 しかし、程なくして、これが成功すれば苦楽の名跡を近々に継げるだろうと言われていた十日間の独演会でしくじりをします。ああ、苦楽一門はアウトローなため、二つの大きな協会が牛耳っている定席と呼ばれる寄席には出演できませんので、ホールなどを借りての高座となります。この時の会場は、横浜わいわい座だったそうです。


 その後、長期間にわたり養父は隠遁生活をし、主に主婦業をしていました。養母の稼ぎがよかったからです。なのでわたしの味覚は、おふくろの味ではなくおやじの味です。養父は舌が肥えていましたので、外食をする場所はだいたい決まっていました。稀に飛び込みで入った店でまずいものを出されたときは癇癪を起こして店主を罵詈雑言のマシンガン打線でぶっ潰していたそうです。話のプロフェッショナルですからね。特に蕎麦、それも細い蕎麦が好物で、うっかり田舎蕎麦などの店に入ったら「これは蕎麦じゃねえ、うどんって言うんだ!」と激昂して、たいへんなことになったと養父の弟弟子、槌楽(ついらく)師匠が言っていました。


 高座からは離れましたが養父は一人、個室で芸を磨いていました。そして一門の総意と、そのご贔屓衆の半ば脅迫にも近い引き合いで、十代目苦楽襲名をしぶしぶ承諾し、割合と盛大な襲名披露公演をしたのですが、その楽日にまたたいへんなしくじりをします。演目の途中で「わたくしにはやはり苦楽の名は重すぎます。また勉強し直してまいりますので、探さないでください」と職場放棄してしまうのです。どうも、計画的犯行の気配がするのですが本人は「高座の最中に萬願亭の開祖である極楽丈の亡霊が現れて『お前に苦楽の名は継がせん』と大声を出しながら、わたくしを殺そうとした」と平然と言っていました。この件で養父は日本にいづらくなり、養母と南仏に高飛びしました。わたしは学業がありましたので一人で日本に残り、適当に生きていました。さみしさなどの感情はあいにくと持ち合わせていませんので、気楽なものでした。


 半年でしたか一年でしたか、ようやく帰って来た養父母はちょっと回覧板をお隣に置いて戻って来た程度の感じであっさり日常に戻りました。時差ボケもなにもなかったようです。

 養母はフリーランスですが手広く仕事をしてましたし、隠遁中もネットでいろいろやっていたそうです。養父は萬願亭ゆかりの寺でこじんまりと芸を披露しようと思っていたようですが、ネット、SNS時代とは恐ろしいもので「幻の天才噺家の芸が見られる」と世界中に拡散されて、五十人程度の座席に二千人近くの人間が来てしまい、騒乱が起き警察も大勢来る騒ぎになったそうです。危険を事前に察した養父はとっとと寺から逃げ出しており、その場から動けなくなった槌楽師匠が吊るし上げにあったそうです。不運としか言いようがありません。


 以来、養父は部屋にこもって何事か考えているようですが、実は寝ているだけかもしれません。全くもって、とぼけた人です。


 実は私は養父の芸を見たことがないのですが、伝聞によると、通常、落語は聴くものですが、彼のそれは「体感する」ものなのだそうです。フルスクリーンの3D映画、もしくは人気アトラクションのようなもののようです。言葉と仕草だけで本当にそこまで出来るのでしょうか? まさに、天才のみがなし得る芸ですね。


 以上は全て、わたしにとっては頑然たる事実ですが、現実的にはフィクションです。しかし、皆さんが事実と信じて疑わないものが本当はフィクションであると完全に否定することは可能なのでしょうか? わたしも皆さんも実存であり虚構であるかもしれないのです。「全てを疑ってかかる」という姿勢のみが真実を探り当てられる唯一の道なのかもしれませんね。

 ではごきげんよう。また勉強して来ます。

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