第12話 特別講座の続きの続き

 ごきげんいかがですか?


 なんでしょう、上に引っ越してきた謎の人物と謎の騒音。たぶん大型犬が四股を踏んでるだけだと思うのですがね。それ以外の、わたしの最近の暮らしは無風と言っていいほど穏やかです。珍しいな。嵐の前のなんとかですかね。いけない。本題が進まないのでマクラは無しです。これを落語界の符牒で「野宿」と言います。もちろん、大ウソです。誤用なきように。


 言い忘れていました。わたしは配属直後、直属の上司である、課長から「きみは将来の学参のマーチャンダイザーを目指しなさい」

 と言われました。ビジネス用語は良くわかりませんでしたが(わたしは経済学部なんですけどね。ほら、マルクス経済学ですから)、要するにバカ書店全店の学参のリーダーになれということだと理解しました。学参というのは一般的ではない言葉ですが、学習参考書を書店員はこう呼ぶので、今後はこちらを使わせていただきます。話を戻しますと、課長の言葉を受けたわたしの心はつまるところ、

「オレは、バカ書店の学参王になる!」

 と、どこかの漫画の主人公みたいに思い込んでしまったのです。その当時ルフィーはいませんでしたがね。なので、覚悟を決めて学参の奥の奥まで勉強しました。その一方で、他ジャンルの勉強など、売り場が違うこともありますので一切しませんでした。ウソつきな大人の出まかせの発言を真に受けたわたしは迂闊であり、純情可憐な子どもだったのでしょう。もしかしたら、発達障害があるのかもしれませんね。しかしいまさら、病気の数を増やしても仕方がないので、検査などしませんが。


 六年ほど、横浜駅西口トーヨー店にいました。異例の長さです。バカ書店の場合、特に理由がなければ普通、社員は三、四年で他の部署に異動します。引き取り手がなかったのか、切れ者だった店長がなぜかわたしを気に入っていたのか、気に入らなかったのかは知れませんが、やたらとわたしにちょっかいを出して来て正直、うんざりしていました。わたしは愛情の倶利伽羅峠の火牛攻めではなく、裏返しだったと感じていましたが、これはうぬぼれでしょうか?

 次の店の店長に言われたのですが、わたしのことを全社的には「仕事は出来て頭もいいが感情の起伏が激しい、とんでもない変わり者」という評価が出来上がっていたそうです。まさに躁鬱ですねえ。


 わたしは一ヶ所に長くとどまっていたので、異動をする覚悟は出来ていました。そして異動先は本店の学参売り場だと決め込んでいました。だって、学参のマーチャンダイザーですから。

 ところが蓋を開けたら予想外のたまプラーザ店。ショックと不満と不安で、飲めぬ酒がその夜は進みました。あとで、学参の取次(本の問屋)のオヤジに聞いたら、最初はわたしが本店に異動する予定であったのに、わたしが自動車の運転がよく出来ないために取りやめとなり、行き場を失ったわたしをたまプラーザ店の店長が渋々引き取ったとのことでした。本店は当時、バカ書店で唯一、国の検定教科書を扱っていて、教科書を仕入れに黄金町という、横浜の暗黒街(暴力団が点在しているそうです)を自動車で通り、日本教科書販売というところに行かなくてはならなかったのです。そこが神奈川県唯一検定教科書を卸す権利を持っていたのです。東京のように日販が権利を持っていれば、取りにいかなくてよかったのですよ。とにかく、そんな非合法団員をペーパードライバーなわたしが轢いちゃったり、組長の高級車にぶつかったりしたらどうなるかという極めて、結論の出やすい問題によって、わたしの人生はまた劇的に変わってしまったのです。


 学参しか知らないわたしが、書籍雑誌のオールジャンルを取り揃え、さらには東急電鉄の社員や東急警備に小さなことで文句を言われ、台車ひとつ使うのにも、ゴミの出しかたひとつでもガタガタ言われ、さらに、客層は成金ばかりでプライド高くて金にはせこい人間のクズばかり。その上、たたみかけるように身内の先輩女性の一人が、どうもわたしを目の敵にしていて数々に及ぶ無体なことをしてくる。カルチャーショックと精神的プレッシャーと自分の常識及び学参の知識が無用になってしまった虚無感。マウントポジションを取られて、ボコボコにされ、完全にノックアウト状態になったわたしは毎日胃薬を大量に飲み、帰宅途中の東急田園都市線青葉台駅にあった別系列の書店で購入した、斎藤茂太先生の鬱病関係の本を養父母に隠れて読み「もしかしたら鬱病かも」と恐怖し、徳永英明のバラード曲集を聞きまくり、泣いて暮らしていました。悔し泣きです。わたしは悔し涙しか流さない男ですからね。


 でもですね、反逆のための布石はすでに打たれていたのです。リーダーの女性(その頃、わたしは陰で能面冠者と呼んでいました。表情がアルカイックスマイルで固まっていたのです)、彼女の調略には完全に失敗しましたが、二名いた、実質的権力者の年上の女性を味方につけられたのです。一人は煙草友達から始まり、次に高校の先輩後輩だったことがわかり完全に絆が結ばれました。かなり偏っていて、他人に厳しい性格でしたが、ほぼ、わたしの言うことは聞くようになりました。もう一人はまさに女ボスです。古参であり、口うるさい。すごく怖くて近寄るのもイヤだったのですが、なぜか、彼女の方が一方的にわたしに好意を持ってくれたらしく、なにかと手助けしてくれました。この二人を味方にしたことと、少しずつ環境に慣れていったこともあり、次第にわたしに力がついて来ました。ただし、一年目はまだ能面冠者有利です。劇的にビフォーアフターするのは二年目以降です。

 あれ、また文字数を超過してしまいました。次回では到底終わりません。もう、いつ終わるとか言うのはやめますね。すみません。

 ではごきげんよう。また勉強して来ます。

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