一回戦第4試合 《控え室》

 氷河キリヤは転生勇者である。よくある『異世界に転生して勇者となる』系小説の主人公なのだ。

 彼が異世界に転生したのは5年前。当時高校生だった彼は、トラックに轢かれて死ぬという“ありきたりな”死を迎えた。


 しかし―これも酷くありきたりであるが―彼は死んで終わりを迎えたわけではなかった。何者かの強大な力によって、異世界に勇者として転生させられたのだ。


 しかも―これもまたありきたりだが―俗に“チート能力”と呼ばれる強力な超能力サイキックまで授かっていた。


 その上―より一層ありきたりだが―彼が転生した世界は、これ以上ないくらいに混沌としていた。『百年戦争』と呼ばれる、人間と魔族による戦争が、文字通り百年もの間続いていたのだ。


 そして―嫌になるほどありきたりで困るが―氷河キリヤは自身の超能力と、そして平和を愛する心によってその世界を平定した。人間と魔族の関係を修復し、互いを和解させたのだ。



 散々”ありきたり”とは言ったが、しかしこの“偉業”は間違いなく恐るべき行為だろう。いくら超能力サイキックを持っているとは言っても、それでも氷河キリヤはただの人間なのだから。


 ただの人間がたった一人で、百年間誰も出来なかった『戦争終結』と、さらには『種族の融和』という、恐らく歴史上類を見ない事を成した。これはもはや信じられないことだ。

 この偉業を氷河キリヤが成せた裏に『超能力』の存在があったことは言うまでもないことだ。もし超能力を与えられていなかったら、彼は世界を平定することが出来ないまま、荒れ果てた世界で無残の死を遂げていた。それは間違いない。


 しかし超能力の存在だけが彼に世界平和を実現させたのかと問われれば、決してそうではない。超能力の存在以上に、彼の『平和を愛する心』の働きがあったことは述べておかねばならないだろう。

 氷河キリヤと対面した人々は口をそろえて言う。『あの方は救世主だ』と。『氷河キリヤこそが世界で最も優れた、そして誰よりも優しい人間なのだ』と。


 彼のその優しさの前に敵はいなかった。どれほど屈強な戦士だったとしても、彼の言葉に耳を傾け、対話した後には、全員が涙を流して彼に救いを求めた。『どうか世界を救って欲しい』と。

 全ての生命が、氷河キリヤという人間に希望を見いだしたのだ。


 絶対的な力で服従させるのではない。優しさと慈愛の心で相手を説得し、そして味方に変える。それこそが氷河キリヤの持っていた真の“超能力”であり、むしろ氷河キリヤが神によって与えられた後天的な超能力は、そのついででしかなかったと言ってよいだろう。

 氷河キリヤの強さ。それは結局の所『尋常ならざる優しさ』にこそあったのだ。





 《戦闘控え室》


「戦うのはやめましょうヴァイスさん。僕たちに殺し合う理由なんて一つもない」


 氷河キリヤは、ベンチに座って精神統一を行っていたヴァイスにそう言った。その顔は希望に溢れ、誰から見ても『正義の味方』そのものだった。


「……」


 氷河キリヤからの、ある意味『ありきたり』な提案に、ヴァイスは何も答えなかった。自身のガイコツ姿を隠すためのフードを深く被り直し、氷河キリヤのことを無視する。

 しかしそんな冷たいヴァイスの態度を見てもなお、氷河キリヤは不満そうな様子を一切見せなかった。それどころかむしろ楽しそうにヴァイスの、ポッカリと穴の空いた両の目をのぞき込んだ。


「そうですよね! ヴァイスさんからしたら、敵である僕からのこんな提案、罠だって思っちゃいますよね! でも大丈夫です! 罠なんかじゃありませんよ! 誠心誠意、心の底からの約束です!」

「……」


 ヴァイスはまたもやフードをかぶり直し、顔を隠した。そして当然のようにキリヤのことを無視する。

 だがやはり、キリヤは諦めなかった。


「信じてください! 僕にはあなたと戦う意思はないんです! 僕は何としてでも、“僕たち二人で”生き残りたいんです!」

「…お前は…人の気持ちも推し量れないのか?」

「!」


 ヴァイスの口からようやく発せられた言葉を聞いて、キリヤはうれしそうに笑った。しかしヴァイスは酷く嫌そうな顔で言葉を続ける。


「お前も聞いただろ? これから行われる戦いは…命をかけたものだ。どちらかが死ぬまで、絶対にやめられない。そんな状態で『戦いはやめよう』なんて、本気でそんなこと言ってるのか?」

「ええ! もちろんですよ! 僕は本気で戦いをやめようと言ってます!」

「……」


 ヴァイスは驚きと呆れが半々の表情を浮かべる。しかしそれも当然だろう。こんな『狂った考え』を言い続ける勇者が目前にいたのでは、驚き呆れるしかない。


「……逆に聞きたいんだが、お前はどうするつもりなんだ?」

「どうするとは?」

「戦いをしなかったとして、それからどうやって『この場所から逃げ出すのか』ってことだよ。この何処なのかすらわからない場所からな」


 ヴァイスはキリヤにそう尋ねた。

 二人が現在いる場所は、おそらく『神が作り出した空間』と言ったところだろう。異世界の主人公達を殺し合わせるためだけに作られた、趣味の悪い空間だ。

 この場所にいきなり転移させられた二人には、言うまでもなく、この場所がどこかはわからない。逃げ道なんてもってのほかだ。

 要するに脱出不可能なのだ。このトーナメントを勝ち進むか、それか『死んで元の世界に戻される』以外の脱出方法はない。


 そんな状況であるにもかかわらずキリヤは『戦うのをやめましょう』と言っている。まるで壊れた機械のように、飽きることなく延々と。ヴァイスからしてみれば『なんで生きるのを諦めて仲良しこよしをしないといけないんだ』と言う話だ。

 いや、そもそも。仮に脱出可能だったとしても、キリヤの提案を受け入れるはずがない。ヴァイスが、自分以外の人間を信じられるわけがないのだから。


「……悪いけどな、俺は誰も信じないことにしてるんだ。自分以外のヤツは絶対に。信じられないんだよ。だからお前がどれだけ説得しても、提案に乗る気はない」


 ヴァイスはキリヤに向かってそう言った。それを聞いて、キリヤは驚きを見せる。


「本当ですか? 誰も信じないなんて……そんなの辛くないですか?」

「……辛いだと?」

「そうですよ。誰も信じることが出来ないなんて……誰にも頼れないなんて、そんなの辛いでしょう?」

「……」

「相手を信じることが出来る。それはとても幸せなことです。僕の居た世界の人たちは以前、互いを信じることが出来ず、お互いに傷つけ合っていました。でも、僕が“ほんの少しだけ”手を貸したら、彼らはすぐに相手を信じることが出来るようになりました。そのおかげで傷つけ合うこともなくなり、彼らは以前よりずっと幸せになれた」

「……だから彼らと同じように、俺もお前を信じるべきだ……と?」

「そうですね。上から目線の言葉になりますけど、結局はそういうことです」

「……空論だな。お前は何もわかっちゃいない」

「……え?」

「お前は知らないだろ? 人間の薄汚さを。仲間ですら簡単に裏切ることが出来る、そんな悪辣さを」

「……」

「……俺も昔は、お前と同じで“人間”だった」

「!」


 ヴァイスの言葉を聞いて、キリヤは驚く。そして目の前の、ガイコツ姿の男をまじまじと見た。


「人間“だった”。見ての通り、今は違う。俺は仲間に裏切られ、殺され、そして魔物として蘇ったんだ。要するに俺は……人間の悪辣さによって、人間である事を“やめさせられた”のさ」

「……」

「しかも、それだけじゃ終わらなかった。人間でなくなった俺は……かつて同族であった人間達にすら裏切られた。彼らは……元人間だった俺の話なんて少しも聞かず、俺を殺そうとしてきた。俺の境遇なんて構わずに、一方的に殺そうとしてきたよ」

「……それは」

「お前にわかるか? いいや、わかるわけがない。『人を信じるべき』なんて、そんな甘っちょろいことを言っているお前に。俺の……世界に裏切られた男の気持ちなんて。誰も信じることが出来なくなった、そんな元人間の気持ちが」

「……」

「そういうわけだ。だからもう、俺を説得しようなんて……」

「……わかりますよ」

「……!」


 キリヤの言葉に、ヴァイスは驚く。ヴァイスがキリヤを見たとき、彼はこれまで浮かべていた人なつっこい笑顔ではなく、とても悲しげな表情をしていた。


「……あなたの言うとおりです。確かに人間は……とても酷い生き物だ。簡単に他人を裏切る、信じるには、あまりにも脆弱な生き物です」

「……ああ、だから」

「でも! だからこそ僕は信じたい! 信じてもらいたい! 人という生き物を! 人がお互いにわかり合えると言うことを! 信じるに足ると言うことを! 僕は信じていたいんです! あなたに信じて欲しいんです!」

「……!」


 ヴァイスは驚く。キリヤの言葉にではない。キリヤの言葉を聞いて、彼の叫びを聞いて、自分の心が震えていることに。魔物となった時、腐り落ちたはずの胸が、心が。突き動かされている自分に驚いていた。


「確かにあなたは不幸な境遇を歩みました。仲間に裏切られ、迫害を受け……他人を信じられなくなっても仕方のない体験をしてしまったかもしれない。でも僕は、そんなあなたにこそ信じて欲しい! 僕を、他人を、人を! 人が信頼に足る生き物だと、気がついて欲しいんです!」

「……」

「僕の考えは、もしかしたら狂っているように見えるかも知れない。バカに見えるかも知れない。でも、それでも良いんです。僕は例えバカと思われようとも、それでも狂っていたい。人を信じていたい。ヴァイスさんと一緒に、人を信じて、踊り狂っていたいんです」


 キリヤはそう言うと、涙を流すヴァイスに手を差し伸べた。


「ヴァイスさん。戦うのをやめましょう。二人で一緒に、あらがいましょうよ。この運命に」






『氷河キリヤ様。戦闘外での精神攻撃により失格。命を徴収します』


 声だけの存在がそう言った直後、ヴァイスの手を握っていたキリヤは静かに倒れ、そして絶命した。


『ルールにより氷河キリヤ様の遺体を元の世界に戻させて頂きます。参加いただきありがとうございました』


 声だけの存在がそう言った瞬間、キリヤの遺体は消えた。

 控え室には、何が起きたか理解できずに呆然とするヴァイスだけが残されていた。そんなヴァイスに、声だけの存在は告げる。


『ヴァイス様、おめでとうございます。不戦勝により、見事一回戦突破です』


「…!? なっ…」


 ようやく事態を理解して、ヴァイスは驚きを漏らした。いや、正確に言えば何が起きたのかは微塵も理解出来ていなかったが。


『これより他の方の戦闘が終了するまで、別室にて待機していただきます』


「ちょ、ちょっと待ってくれ! なにが…なにがどうなっているんだ!?」


 わけもわからない状況に、ヴァイスは説明を求める。

 キリヤの説得を聞きヴァイスは、自分でも驚いたことに、キリヤのことを信頼した。キリヤの『戦うのをやめましょう』という提案を受け入れたのだ。

 にもかかわらず、彼がようやく『他人を信頼できるようになった』瞬間に、人間として生き返った瞬間に。その信頼すべき人間は、死んだ。ルール違反として殺されたのだ。

 ヴァイスからしてみれば、何が起きたか微塵も理解できなくて当然だろう。


「説明しろ! なぜ…彼は殺されたんだ!? ルール違反とはどういうことだ!?」


 声だけの存在にヴァイスは怒鳴り聞いた。

 骸骨スケルトンになって初めて、信頼に足る相手を見つけたヴァイス。その信頼できる相手を意味もわからず殺された彼の怒りは大きなものだった。


 そんなヴァイスに対して、声だけの存在は感情のこもっていない声で答える。


『氷河キリヤ様は、戦闘外にも関わらず自身の能力をヴァイス様に使われました。そのため、ルール違反となったのです』


「能力……だと!? 何を言っているんだ!? 彼は……俺に何もしなかったじゃないか! いや、それどころか彼は俺を……」


『いえ、キリヤ様はヴァイス様に攻撃をしていました。物理的攻撃ではなく、精神攻撃をしたのです』


「精神……攻撃!?」


『『対話した相手の心を操作できる』という能力を、キリヤ様は持っておられました。本人はそのことを知らなかったようですが…しかし知らなかったとしても、ルールに違反していることに違いはありません。よって、ルール違反により命を徴収したのです』


「相手の心を操作できる…? 何を言っている? 俺は操られてなんか…」


『ヴァイス様は先ほど『氷河キリヤと戦わない』という事を考えられましたよね? その考えこそまさに、キリヤ様によって『攻撃された』証拠です。つまりヴァイス様はキリヤ様によって『戦うのをやめよう』と思い込まされていたのです。キリヤ様を信じることに、何の疑問も抱かないように、洗脳されていたのですよ』


「な…」


 ヴァイスは驚愕し、そして膝をついた。その表情は、絶望に支配されていた。




『それでは次の試合まで、別室にて待機して頂きます』


 声だけの存在は無情にもそう告げた。そして直後、控え室は空になった。

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