二回戦第1試合 《控え室》

 ヴィーラ・ウェントフォッフがこの世に初めて生を受けたのは、彼女がこれまで生きてきた時間で換算しておよそ30万年も前のことになる。

 そしてヴィーラの一回目の人生、それは―幸福の定義にもよるが―少なくとも彼女自身にとっては、とても幸せとは言えないものであった。


 彼女は、先祖代々魔道士をやっていたある家系の長女として生まれた。そしてその世界は、彼女がその後転生することとなる4000以上の異世界の中でも珍しく、女尊男卑の世界であった。

 女の方が生命力、魔力量その両方において優れる。それ故に、その世界において男は家庭を守る存在であり、そして女は家庭を守るべく戦う存在とされていたのだ。


 そしてその考え方は、彼女の生まれた魔道士の家系も例外ではなく、長女であったヴィーラは次期当主として幼少より苛烈なまでの魔道教育を受けることとなった。


 起きるとすぐに、基礎的な魔力増強のための精神修行をした。

 それを終えると、朝食もとらないうちに座学をさせられる。

 ようやく食事が出来るかと思えば、好きなように食事をすることも叶わず、次期当主として備えておくべきマナーをたたき込まれ……


 とまあこのように、彼女にはおよそ“自由”と呼べるような時間が存在せず、ただただ言われるがまま、されるがまま、家を継ぐための修行に明け暮れた。


 ヴィーラは当時、そのような“縛られた生活”を地獄だと思っていた。

 同年代の少女達がするような楽しいこと、面白いこと、流行のこと…そのような全てを規制され、おいえのために人生を捧げる。なんと酷い人生だろう。


 何度も自由になりたいと考えた。何度ももうやめたいと願った。しかしそれは叶わなかった。『家を守る』こと。それこそが彼女の産まれた意味であり、そして『産んで貰えた理由』だったのだから。


 結局彼女は、若い女性らしいことは一つも出来ぬまま二十歳はたちを迎え家を継いだ。その時、彼女はすでに(不本意なスパルタ教育のおかげで)他に類を見ないほどに優秀な魔道士となっていた。


 家を継ぎ、ようやく“ある程度の自由時間”を得られるようになったヴィーラだったが、しかし運命は彼女に自由を与えてはくれなかった。戦争が起きたのだ。

 魔道士は戦争になれば前線に駆り出される。そして命を賭けて戦わされる。国で随一の優秀さを誇っていたヴィーラもまた、当然のごとく戦場に駆り出された。


 そして……死んだ。

 最前線で孤立してしまい、敵の猛攻を受け為す術なく殺されてしまったのだ。


 幼少より運命に縛られ、自由を奪われ、そしてやはり運命に殺された。そんな彼女の一度目の人生を、幸福だったとは口が裂けても言えないだろう。

 実際、死の間際にヴィーラが感じたのは底知れぬ絶望だった。


 暗闇に飛び込んでいく感覚。自分が失われてしまう恐怖。死の絶望。

 そして何より『自由が欲しかった』という悔しさ。


 そんな苦しみの果てに、彼女のあまりにも不幸すぎた人生は終わりを迎えた。

 …ハズだった。



 ヴィーラは気がつくと、見知らぬ場所にいた。先ほどまでいた穢らわしい戦場とはうって変わって、そこはとても清潔な場所だった。そして何より―優しくて、落ち着く空間だった。


 耳をこらしてみる。すると誰かの泣く声が聞こえた。それが自分の声だと気がつくのに、さほど時間はかからなかった。

 自身の体を見てみる。そこにあったのは成熟した大人の体ではなく、極めて未成熟な、生まれたばかりの赤子の体だった。


「おめでとうございます! 女の子ですよ!」


 自分の泣き声を遮って、そんなことが叫ばれた。どうやら自分の体を抱く看護師が言ったようだ。その看護師はヴィーラを、ベットで息を切らす女性に優しく渡した。恐らく母親だろう。


 ヴィーラを看護師から受け取った母親は涙を流し、ヴィーラの頬に自分の頬をこすりつける。そしてとても優しい声で、ヴィーラにささやいた。


「あぁ……! 産まれてきてくれてありがとう……!」




 ヴィーラの二度目の人生を総括すると、それは『極めて幸福だった』と言って良いだろう。


 ごく平凡な家庭に生まれ、

 極めて文化的な生活を送り、

 住んでいた国はとても平和で、

 なにより、良き父母に巡り会えた。


 一度目の甚だしく不幸な人生を生きていたヴィーラからしてみれば、この二度目の人生は筆舌に尽くしがたい程に恵まれた、幸福なものだった。

 1度目で叶わなかった『自由に生きたい』という願いも叶えることが出来たし、それどころか以前なら想像も出来なかっただろう『幸せな家庭を築く』ということまでも叶った。

 良き夫に出会い、三人の可愛い子供に恵まれ、さらには孫まで生まれた。以前は物語の中でしか知らなかった『家族愛』というものを初めて感じることが出来た。


『きっと、あまりにも可哀想だった私のために、神様が転生させてくれたに違いない』ヴィーラはそう考え、そしてその神に感謝した。


 結局彼女はこの二度目の人生を病気で終えることになったのだが、しかし死ぬ間際でさえも、ひとりぼっちで苦しんで死んだ一度目とは違って、家族に囲まれ、惜しまれる。そんな幸せの中で死んでいった。


「もう何も心残りはない」


 それが彼女の最期の言葉だったそうだ。






 ――おぎゃあ! おぎゃあ!


「おめでとうございます! 可愛い女の子です!」


 気がつくとヴィーラは、またもや病室にいた。小さな小さな幼子として。新しく生を受けた命として、看護師に抱かれていた。

 自分は三度みたび転生した。そのことに気がつき、ヴィーラは酷く驚いた。


 2度目の人生…自分はてっきりあれが『あまりにも不幸だった自分のために神様がくれたプレゼント』なのだと思っていた。

 しかし二度目の人生をあれほど幸福に終えたにもかかわらず、自分はなぜかまたこうして“転生させられた”。もう心残りなど一つも無いというのに。

 まさか神様が間違えて、自分にもう一度生を与えてしまったのだろうか? ヴィーラはその未発達の脳でそんなことを考えた。しかし当然、そんな神の御心など、一介の人間にわかるべくもない。

 それに『心残りなど無い』とは言ったが、よくよく考えてみればそんなわけでもなさそうだ。


 二度目の人生ではとても幸せな家庭を築くことが出来たが、しかしその代わりに、人生の晩年は家族のことばかりして自分のことは殆ど何も出来なかった。

 旅行もしたかったし、スポーツなんかもやってみたかった。夫には少し申し訳ないけれど、不倫とかもちょっとやってみたかった。思い返せば、やりたかったのに出来なかったことはごまんとある。


 どうせ転生したのだ。それならその幸運を利用して、自分のしたいこと、やりたいこと、その全部をしてしまおう。飽きるまで、この人生を楽しんでやろう。


 ヴィーラはそう考え、そして3度目の人生を生きた。誰よりも自由に、誰よりも幸せに。そして彼女は3度目の死を迎えた。本当にもう、なんの心残りもなく。もう“死んでもいい”と思えるほどに。そんな幸福の中で、彼女は死んだのだ。


 しかし神は、彼女に死ぬことを許さなかった。






 ――おぎゃあ! おぎゃあ!


 もう千回目になる。こうして未発達の声帯で泣き叫ぶのは。こうして看護師に抱かれるのは。


「よかった……! 元気で生まれてくれて……!」


 およそ900回目だ。こうして『生まれたことを喜ばれる』のは。もうそんなにもたくさんの回数、自分はただ生まれただけで褒められている。


 彼女の人生は終わることを知らなかった。何度死のうとも、幸福だろうが不幸だろうが関係なく、彼女は転生させられていたのだ。新しき命として。

 周りの者達は全員、ヴィーラの生誕を、まるでお祭りのように祝っている。しかし彼女は、とてもではないが、この状況を喜ぶことなど出来なかった。


 やりたいことは全部やった。やりたくないことまで全部やった。それでもまだ終わらない。終わらせて貰えない。

 いくら死んでも、いくら生きても。本当の意味で死ぬことは決して叶わなかった。神がそれを許さなかった。


『どうやら自分はいくら死んでも死なせて貰えないようだ』そのことを理解したのは、およそ10回目の辺りだった。ヴィーラはそれから900以上の生を、終わらない地獄として生きてきた。


 もう初めて好きになった男のことすら覚えていない。自分が産んだ子供達の名前すら思い出せない。自分がなんのために生きているのかまったくわからない。

 数万年にも及ぶあまりにも長すぎる時間。それは彼女の人として大切な感性をすり減らしていた。


 何かを食しても、その味は以前どこかで食べた何かと似ていて、極めて退屈なものに感じられる。

 誰かと会っても、やはりどこかで会った事があるように思え、新鮮さを感じられない。

 男性と触れあっても、それを心地よくすら感じられない。

 何をしても、何があっても。その全てが以前体験した何かと一緒のことのように思える。デジャブしか感じない。

 退屈だ、世界が。





 もう題名も思い出せないが、ずっと昔に呼んだある本にこう書かれていた。『永遠とは終わりなき絶望である』と。今ならハッキリわかる。その言葉は正しかったと。

 今、”永遠に生き続けなければならない”ことを知ってしまったヴィーラが感じていたのは、絶望だけだった。


 どれほど懸命にこの人生を生きようと、死んだ先にあるのは新しい始まりだけ。終わることのない人生ゲームだけだ。そう、人生ゲーム。まさにそれだ。

 いくらゴールにたどり着こうとも、すぐに振り出しに戻される。何度も、何度も、何度も……終わることなく、やり過ぎで飽きてしまったゲームを続けさせられる。しかも投げ出すことも出来ない。


 ヴィーラは望んでいた。この終わりなき絶望に終わりが訪れることを。普通の人間と同様に、自分にも“絶対の終幕”が訪れることを。それだけを切望していた。


 しかし、彼女の『もっと生きたかった』という願いを叶えた神は、その願いだけは叶えてくれなかった。無慈悲にも、苦しむ彼女に止めどなく苦しみを与え続けていた。




 神は頼れない。神は敵だ。自分を終わりのない絶望に叩き落とす、最悪の悪魔だ。

 そのことに気がついたヴィーラは、神に祈るのをやめた。そして考えを変えた。『神が敵になるのなら、自分は神にあらがおう』と。


 彼女はすでに千以上の人生を歩んできた。そしてその豊富な人生経験の中で、賢者と呼ばれるほどに凄まじき量の知識と技量を身につけていた。


 この終わりなき転生を終わらせる。もしかしたら、そんな魔法を開発できるかも知れない。それによって人生を無理矢理幕引きできるかも知れない。

 彼女はそう考え、千回目以降の人生を『自らを完全に殺し去る』ためだけに捧げることを心に決めた。

 真の安寧を自分に与える。ただそれだけのために…








 ――ペチッ! ペチッ!


 看護師は、母親の体から取り上げた赤子のお尻を懸命に、何度も叩く。周りに居た者達は、それを静かに見守っていた。

 しかし看護師の懸命な蘇生にもかかわらず、赤子は泣き声を上げない。口も開かぬまま、息をすることを拒んでいた。

 しばらくして周りに居た者の一人が、赤子の尻を叩き続ける看護師に「もうやめろ」と告げた。しかし看護師はそれでも諦めきれず、涙を流して赤子を叩き続けた。

 先ほどまで痛みに苦しんでいた母親は顔を両手で覆い、泣き崩れる。その母親を、夫と思わしき人物が慰めた。

 病室を深い悲しみが支配していた。




 二千回目。その時になってようやく、ヴィーラはある事実にたどり着いた。『このループから脱する方法は何一つ無いのだ』という、どうしようもない結論に。


 魔法で扱えるのは、あくまで『この世の理』だけ。その枠組みの外に存在する『転生』という事象に、魔法は一切干渉できないのだとわかってしまった。つまり、これからも永遠に、この終わらない苦しみの中でもがくしかないのだと知ってしまったのだ。


 終わらない地獄。その事実を突きつけられたときのヴィーラの絶望は、筆舌に尽くしがたかった。

 どれだけ生きようと。どれだけ努力しても。どれだけ祈っても。救われることはない。救済は訪れない。

 自分はこの終わらぬ永遠を生きなければならないのだ。


 そして…絶望したヴィーラのとった行動は、酷く簡単で、そしてあまりにも酷すぎるものだった。

 自死。彼女はその道を選んだのだ。


 もうまともに人生を生きる気力など残っていない。生きたくはない。生きていたくない。それなら簡単だ。生きなければいい。『生まれすぐ死んでしまえば』生きなくて済む。


 生を受けるとすぐさま、ヴィーラは口をつぐむようになった。産声を決して上げようとせず、息も止め、ただただ時間が経つのだけを待つようになった。

 すると数分もしないうちに、『その世界においては』死ぬことが出来た。

 僅か数分のはかない命。罰当たりなことにも、ヴィーラはそんなことを百回近くも繰り返した。

 生きるのを拒むために、ヴィーラは何度も何度も何度も、新たな命の生誕を待ちわびていた者達を絶望に叩き落としたのだ。


 しかししばらくすると、ヴィーラはそんなことをするのをやめた。こんなことをしても、息が出来なくて苦しいだけだとわかったから。自分のせいでたくさんの人々を哀しませてしまったと気がついたから。

 彼女を産んだ父母には、なんの罪もない。彼らはただ無垢に、我が子の誕生を望んでいただけ。そんな彼らを死によって裏切るなど、やっていいはずがなかったのだ。


 ヴィーラは生きることにした。退屈で、平坦で、苦しくて、絶望的な人生を。終わることのない地獄を。仕方なしに生きていくことにした。せめて誰にも迷惑をかけずに済むように。ひっそりと生きることに決めた。



 そんなときだった。人生も四千回を超え、30万年以上を生き続けた彼女が、このトーナメントに招待されたのは。



『優勝すればどんな願いも叶う』


 神はそう言った。そう約束した。つまりそれは……逃れられると言うことだ。もしこのトーナメントで優勝することが出来れば、『もう転生させないでくれ』と願うことが出来る。そうすれば、この無限ループから抜け出せる。終幕を迎えることが出来る。


 勝たねばならない。死ぬために。永遠の安寧を手に入れるために。そのためならば喜んで、罪なき他人も殺めよう。


 どんなに薄汚れようとも、どれほど罪にまみれようとも構わない。

 このクソッタレな世界から、解脱できるのならば。




 《控え室》


「おっはー! やっと来たね! 全然来ないから、さすがに僕も待ちくたびれちゃったよ!」


 精神年齢30万歳の幼女、ヴィーラが控え室に入ってくるなりすぐ、壇際沙津樹は嬉しそうにそう言った。それに対してヴィーラ・ウェントフォッフは“クスリ”とも笑わない。

 そのままヴィーラは、壇際沙津樹の方を少しも見ずに、彼女が座っていたベンチから一番離れたところに座った。


「えぇ? なんでそんな離れたところに座るの? さっきのレンちゃんもそうだったし、なんか相手がみんな僕のことを嫌ってるような気がするよ……」


 壇際沙津樹は離れた場所に座るヴィーラに、悲しそうにそう言った。それを聞いてヴィーラは『この変人め』と心の中で罵倒する。


 嫌っている? 当然だ。何せこれから自分たちは命を賭けて戦わなければならないのだ。敵を好きになるなど言語道断。嫌いなくらいで丁度いい。むしろ、無駄に情など湧いてしまっては、戦いに支障をきたす。


 にもかかわらずこんなことを言うとは……まさかこの女、戦闘狂か? 『戦いの中で対話しよう』とか『好敵手だけが友』とか、そんなとんでもない考えの持ち主なのだろうか?


 一応言っておくと、ヴィーラはその手の人間が大の嫌いだ。理由は多々あるが、やはり一番大きいのは『戦闘狂によって何度も殺された』からだろう。


 ヴィーラはこれまで幾度となく転生し、様々な原因で死んだ。最も多い原因は自殺だったが、しかし次点で多かったのは『戦場で殺された』というものだった。

 しかし殺されたとは言っても、幾度となく転生を繰り返し、賢者と呼ばれるほどの強さを手に入れていたヴィーラは、別に戦場で『普通に』殺されたことは殆ど無かった。むしろ年月から来るその強さ故に、彼女が死ぬことは、滅多になかった。

 ではなぜ死んだのか? 簡単な話だ。”彼女を殺し得る者達”が居たからだ。


 戦場で彼女を殺したのは、その殆どが俗に“戦闘狂バーサーカー”と呼ばれるような者達だった。

 生き残るために戦うのではない。殺すために戦う。戦うために生きる。生き場を求めて自ら戦場に繰り出す。まさに狂人。


 30万年の時を生きたヴィーラ。しかし驚くべき事にも、戦闘だけを好み戦う狂人達は、たった一度の人生で、ヴィーラの30万年を容易く超えてきた。

 圧倒的なセンス。そして、それを100%引き出す凶暴性。自らの命すらも“道具”と考える狂気。それら全てによって、彼らは幾度となくヴィーラの望まぬ生を終わらせた。


 ヴィーラは知っていた。時間など問題では無いと。重要なのはどれだけ濃い時間を過ごしてきたか。それこそが強さの源泉なのだと。

 例え十数年であろうとも、彼らのあまりにも濃い戦闘体験は、ヴィーラの“長過ぎるが故に軽薄な30万年”を容易く越えうる。だから油断は出来ない。出来ようはずがない。


「ガルルルルル……」


 ヴィーラが引き連れていた、ティムシーの肉体より生み出された二頭の猟犬は、ニコニコと笑う壇際沙津樹をあからさまに警戒していた。牙をむきだしにして、今にも襲いかかりそうだ。もちろん襲いかかれば失格となってしまうので、そんなことはしないのだが。

 恐らく二頭も感じ取っているのだろう。彼女の…壇際沙津樹の危険性を。その薄っぺらな笑顔の裏に見え隠れする、計り知れない凶暴性を。


「ねぇねぇ、ヴィーラちゃん。どうせだから自己紹介しとかない? お互いの境遇とか教え合うの! このあと命がけで戦う相手の事くらい知っときたいでしょ?」


 そんな警戒に気づいてか気づかずか、壇際沙津樹はそんな提案をしてきた。まさか話をすることで警戒を解こうとしているのだろうか。


 しかし自己紹介? 笑止千万だ。そんななれ合いなどするつもりはない。なにせ、壇際沙津樹がたとえどんな人物だったとしても、ヴィーラが彼女を殺すことは変わらぬ決定事項なのだから。

 壇際沙津樹が極悪非道な戦闘狂だったとしても、殺すにはあまりにも惜しい聖人だったとしても、そんなことは一切関係ない。自分はただ、自分の『死にたい』という願いを叶えるためだけに、壇際沙津樹を殺す。それだけだ。

 これから確実に殺す相手のことなど、知っても意味は無い。むしろ知らぬ方がいい。後味が悪くならずに済むから。

 だからヴィーラは、壇際沙津樹の『自己紹介をしよう』という提案を無視した。


「ねえねえ? 聞いてる? ねえってば。……はぁ、無視か。つまんないなぁ」


 壇際沙津樹は残念そうにため息をつくと、頬杖をついた。そしてまるで非難するかのごとく独り言を始める。


「さっきもさ、僕ってば対戦相手だったレンちゃんと仲良くなろうって思って、話しかけたんだよ。そしたらどうなったと思う? なんかいきなりレンちゃんが襲いかかってきてさ、そんでバタン。殺されちゃったんだ」

「……」

「それでさ、言われたわけ『不戦勝です』って。もうわけわかんないよ。せっかく楽しく戦えるって思ってたら、戦う前に不戦勝なんだもん。いやになっちゃうよ」


 壇際沙津樹はそう言って「レンちゃんには期待してたんだけどなぁ」と、知った風な口をきいた。

 ヴィーラは壇際沙津樹の独り言を聞いて、『やはり戦闘狂か』と嫌悪を深める。


「お友達になりたかったんだけどなぁ、レンちゃんと。僕ってば同年代の友達が“いなくなっちゃった”からさ、寂しかったんだよね。ま、向こうにその気が無かったんだから、諦めるしかないんだけど。でも本当に残念だよ。ヴィーラちゃんともお友達になれなくて。悲しいなぁ」

「…一つ」

「…え?」

「一つ、聞かせてください」


 それまで黙り込んでいたヴィーラは、唐突に口を開いた。酷く重苦しい声で壇際沙津樹に尋ねる。


「…あなたはなぜ、そんなに笑っていられるんですか? 私にはわからない。これから殺し合う相手を前にしてそんな笑っていられるあなたの感性も…友達になりたいとうそぶくその醜悪さも。私には理解できません」

「…ふーん」

「なぜですか? なぜあなたはそんなに…」


 ヴィーラは、それまで背を向けていた壇際沙津樹の方を振り返りそう聞いた。

 そして、息を呑んだ。



「そんなの決まってるじゃん。どうせ殺すんなら、せめて幸せに死んでもらいたいんだよ、僕は。友達として安らかに死なせてあげる。それが僕に出来る唯一のたむけだから」


 壇際沙津樹は酷く残虐な笑みを浮かべ、ヴィーラにそう答えた。

 その瞳からは、一筋の涙がこぼれていた。

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