第45話

 真田は慎重にプレハブのドアを開ける。差し足で子供たちを倉庫の裏に通じる鉄扉のところまで連れて行き、ライトを手渡して走るように合図した。

 真田は勇気を奮い立たせて部屋に戻ると、真っ暗な中で慎重に手さぐりで恵美子を探したあと、檻に顔を寄せて、

「中西、すぐに警察を呼んで来るから、それまでの間辛抱してくれ。心配はいらん、人質がいなくなったことがわかったとしたら、まず俺たちを捜すだろうから、おまえは二の次になる。その間に警察が到着するから」

「ああ、こっちのことはいい。だから早く逃げ出してくれ」

「すまない」

 真田は漆黒の闇の中で、檻の中に中西に頭を下げると、恵美子の手を取って部屋を出た。

 あの鉄扉まで行けば外に出ることができる。その間わずか10メートルほどなのだが、出口の見えないトンネルを歩くほど長く感じた。

 もう少しでドアノブに手が届こうとした時、背後で人の話し声が聞こえて来た。

(ここで捕まったらシャレにならん。こんなことなら子供たちに110番するように言っておけばよかった)

 真田は後悔しながら急いで鉄扉を開けると、先に恵美子を出し、後ろを確かめながら真田も建物を出た。背中で「逃げたぞォ」と大きな声で叫ぶのが聞こえた。

 闇に包まれた倉庫の裏側だったが、様子のわかっている真田は恵美子の手をしっかりと握って、子供たちの待っていると思われる大通りのホテルに向かって足を縺れさせながら必死で走った。そして目についたJホテルの看板に子供の顔を重ねながら泪の顔でロビーの自動ドアを開いた。

 恐怖に打ち震えながら両親を待っていた正也と明日実は、父親と母親の姿を見たとたん泪を流しながら駆け寄った。

 真田は子供たちを恵美子に任せ、自分は迷うことなくフロントに向かった。そしてフロントマンに事情を説明したあと、110番するように頼んだ。間違いなく住所を訊かれる。その時に地元に勤めている人の方が正確に伝えられると思った。

 家族4人でロビーのソファーに怯えた顔で腰掛けていた時、ホテル側が気を利かせて暖かい日本茶を用意してくれた。それをひと口飲んだ時、これまでのすべてが内臓を濾して抜け出た気がした。それは妻や子供たちの顔を見ただけで、いちいち訊かなくても同じ心情であることはわかった。

 真田はこのシチュエーションに置かれてどう話したらいいか困惑している。恵美子も子供も同じ思いだったに違いない。会話や言葉がないままただ顔を見合わせるくらいしかいまはできなかった。

 10分ほどして、耳の遠くにサイレンの音が聞こえはじめるとようやく気持が落ち着いた真田は、妻たちを置いたままホテルのロビーを出て行った。

 恵美子は心配顔で見送るが、いま真田の胸中で蠢動するのは中西のことしかなかった。

 サイレンが大きくなるに連れて、胸の中に蔓延していた霧が徐々に晴れて行くのがわかる。真田はパトカーの赤い回転灯を目にすると、ホテルのロビーに取って返し、恵美子たち呼び寄せ、フロントマンに丁重に礼を述べると足早に赤レンガの倉庫に向かった。

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