第38話

「何か難しそうな話ね。私にはとてもついていけそうもないわ」

 話を聞いていたママが横から口を挟む。

「そのキャスというのは具体的に言うとどういうものなんです?」

 真田はグラスを手にしたまま矢田部のほうに向き直る。

「これまでの冷凍技術では、解凍した時に細胞からドリップ、つまり水分が逃げ出すために味がまずくなるという欠点があったのですが、このCASはそれがないために、長期間冷凍保存をしても変わりがないんです。これはプロの料理人にテストしてもらったんですが、10人中10人が生鮮ものと判別できなかったという結果が出てます。それぐらい画期的な冷凍技術なのです」

 矢田部は自分の専門分野だからか、小鼻を広げて揚々と話す。

「それ、ほんと?」またもやママが横槍を入れる。

「嘘じゃないよ。現実に食品業界はもちろんのこと、漁業関係、貿易関係などあらゆる方面から引き合いがきてるんだ。それどころか、いまでは医療関係からも移植用の臓器保存としてこのシステムが脚光を浴びてるんだよ」

 真田はそれを耳にした時、一瞬心臓が停まりそうになった。

「医療関係にもですか?」真田はタバコを揉み消してから訊いた。

「ええ。日本では受け入れられなかったのですが、アメリカの医療の研究機関がこのシステムに目をつけたのです」

「じゃあ、いまでは日本もそのシステムを実用化しようとしているのですか?」

「正直なところまだ軌道に乗ったというわけではありませんが、徐々に採用されかけてはいます」

「じゃあ、矢田部さんところも医療関係の実績がおありで……」

「ええ、ないことはないですよ。いまでも何件か引き合いがきてます」

 矢田部は自信ありげな顔で水割りを含んだ。

 真田はそれを聞いて身震いが起きた。

(……ということは、日本臓器製造と東洋フリージングシステムとがまんざら縁がないことはないのだ)

「ありがとうございます。大変参考になりました」

 真田は深く頭を下げた。

「お役に立てましたか?」

「ええ、なかなかこういったお話を聞く機会がないので……貴重なお話を、本当にありがとうございました」

 真田の胸中は複雑だった。これまで頭の中に雨雲の塊りのようにしてあった茫漠としたものが、話を聞いたことで形になって見えてきた。その反面、中西の安否がこれまで以上に気がかりになった。

 そんな心情を悟られたくないと思った真田は、ついと席をたってトイレに向かった。用を済ませたあと、手洗いの鏡に自分の顔を映して見る。いつもと変わりない顔に少し安堵する。両手で頬を軽く2度叩いたあとトイレを出た。

「おつかれさま」

 ケイコが笑顔でおしぼりを開いて手渡す。

「じゃあ、1曲歌でも歌うとしようか」

 真田は話を聞いてすぐに店を出るわけにもいかず、2、3曲歌ってからにしようと思った。

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