第37話

「あら、いらっしゃい。こちらにどうぞ」

 ママは笑顔で手振りを交えて真田の隣りに勧める。

 客のひとりは手提げカバンをママに預けると、真田に軽く一揖してから疲れた様子で椅子に坐った。

「丁度よかった」と、ママが真田の顔を見るような見ないような素振りで言った。

「何が?」

 真田の隣りに坐った客が怪訝な顔で訊く。

「こちらのお客さんが、お宅の仕事のことで何か訊きたいことがあるらしいの」

 そこで真田ははじめてふたりの客が、この前箕浦と3人で飲んでいた食料冷凍の会社の人間だということに気づいた。あの時は席が離れていたことと、あまり繁々眺めてはいけないと思ってじっくりと見なかったために、はっきりと顔を覚えていなかった。

「真田と申します」

 坐ったまま背広の内ポケットから名刺入れを出すと、丁寧に渡した。仕事上の話ではないので、あえて会社の名前は言わなかった。

 恭しく両手で受け取った客は、カウンターの上にそれを置くと、慌てて自分の名刺を頭を下げながら差し出した。名刺には、『東洋フリージングシステム株式会社・営業部・矢田部勲やたべいさお』と印刷されてあった。男は中肉中背で髪は短く、キツネのような顔をしている。

「訊きたいことって何でしょう?」

「はい。ママから食品冷凍の関係のお仕事だと聞いて、ちょっと興味があったものですから……」

 真田は好印象を与えるために笑顔のままで話す。

「まあ食品冷凍には違いないんですが、私どもは代理店ですので、販売をするだけなんですよ。でも多少は社内教育を受けてますので、簡単なことならお話できますが」

「そうですか。販売されているのは、冷凍庫とかショーケースとかと言ったものですか?」

「ええ、簡単に言うとそういう類の製品なのですが、いまうちでちからを入れてるのは、まだあまりよく知られてないんですが、CAS冷凍という技術を駆使したシステムなんですよ」

「キャス?」

「はい。セルス・アライブ・システムの頭文字を取って、『CAS』と言うんですが、細胞が生きているという意味なんです」

「へーえ、はじめて聞く名前です」と、真田。

「そうでしょう。まだあまり世間では知られていませんから」

 矢田部は水割りをひと口飲んだ。

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