第13話 区切りの時

 午後九時、都内――

 定時もしくは残業を終え帰路に着かんとするサラリーマンやOL、それとは反対にこれから歓楽街へ繰り出さんとする人々が入り交じり、ごった返す駅ビルの壁面に設置されている大型ビジョンの中では、カラフルなスタジオセットをバックに有馬玲佳がホスト司会者である内藤の隣で「おもしろ動画」と称する視聴者投稿のビデオを見て、効果音の笑い声と共に爆笑していた。

 あの試合以来玲佳は、活動の比重をテレビへと移し数々の番組で内藤をはじめ、様々な芸能人たちと番組を共にし今や、玲佳の映っていない日は無いくらい売れっ子タレントとなっていた。当然プロレスも出場機会は以前よりも減ったが未だ続けており、本拠地ホームである太平洋女子はもちろん、複数ある余所の団体からも声が掛かる一端の女子プロレスラーでもある。



「ばかやろぅ――何で仕事が決まんねぇんだよっ!」


 500ml缶のアルコール飲料を手に、手当たり次第にクダを巻く中年に差し掛かった男性の姿。皺の寄った灰色のジャケットに汗染みで黄ばんだシャツが、彼の生活が逼迫している事を表していた。

 三か月前に仕事を辞めたこの男性は、職業安定所ハローワークで紹介された場所へ面接に何度も出向いたものの、行く度にお断りの電話やメールを貰い精神的に強いダメージを受けた彼は、ストレスの捌け口を酒類へ求めるようになってしまった。幸いまだアルコール中毒特有の症状は出ていないが、このまま無制限に飲酒を続けばいずれそうなってしまうだろう。


 胸の中で燻る苛立ちが最高潮に達した男性は、それをかき消すように缶の中に残っていた酒をぐっと飲み干すと、人通りの少ない方の道路へ向かって投げ捨てた。

 からんからんと軽い音を立て転がっていく缶は、前から歩いてきた女性の白いパンプスに当たって止まる。 


「誰よ、こんなところに缶を捨てるのは?」


 ぶつぶつと文句を言いながら、足元の空き缶を拾い上げ近くに屑籠がないか探す女性――有馬玲佳だ。テレビ番組の収録を終えて帰宅する最中だった。

 投げた張本人は思わず自分の目を疑った。今しがた大型ビジョンに写し出されていた顔がすぐ目の前にある。疑わない方が嘘だ。


 遠くでぼおっと自分の顔を見つめる男性に気付いた玲佳は、やっと見つけた屑籠に空き缶を投げ入れ、つかつかと大股で彼の元へと詰め寄った。


「ここはゴミ捨て場じゃないの。お酒を飲むなとは言わないけど、最低限の社会常識は守って下さいね?」


 小言を言われている間も、玲佳の顔からなかなか視線が離れない男性。気持ち悪いなぁと思いながら彼女も、彼の顔をしっかりと見てみると突然、過去の記憶が逆戻りする。

 それは小学生時代の一時期、「周りの子より大きいから」という理由だけでいじめ続けられた忌まわしき思い出――その耐え難い孤独感を生み出した張本人が目の前の彼だった。


(やだっ……辻村つじむらくんじゃない?!)


 驚きで声を上げそうになった玲佳はぐっと堪え、努めて冷静なふりをする。一方の辻村は過去の彼女の記憶が欠落しているらしく、という衝撃で呆けた顔をして見つめているだけである。


「芸能人に失礼だとは思うけど……何もしないからちょっと俺の愚痴、聞いてもらえませんか?」

 

 酔いが回り虚ろな目をしているがその言葉に嘘はない。そう直感した玲佳は了解すると彼を誘導し、ロータリー付近のベンチへふたり並んで腰掛けた。



 十五年以上ぶりの同級生との再会――現実はロマンティックなものではなく、懐かしさと気恥ずかしさ、それに苛められていた頃の恐怖が混在した不思議な感覚。当時人生最大の敵だった彼にどんな顔をして接すればいいのか?ぐるぐると思考が駆け巡る中、辻村のひとり語りを玲佳はただ黙って聞いてあげた。

 仕事が長続きしない事や対人関係がうまくいかない事、そして今現在の事――よくよく聞いていれば全部彼自身の性格に直結した問題だが、あえてそれを言わないでおいた。アドバイスを求めているのではない、全部胸の内を吐露して楽になりたいのだ。

 

「そうか――辛いよね。他人事で申し訳ないけど辻村のこれからの人生、いい事もありますって」


 そうか、こいつこんなに繊細な奴だったのか。

 彼の本性を初めてみた玲佳は、当初浮かんでいた不安や恐怖は既に消え失せ、穏やかで優しい笑顔を浮かべて、頭を垂れ意気消沈している辻村を励ましてあげた。

 忌々しい過去の記憶は忘却の彼方へと消え去ったのだ。


「ありがとう、元気が出たよ。有馬さんこそこれからもお仕事頑張ってください」

 

 まだ隣にいる大柄な女性が、過去のいじめられっ子だと気付かない彼が可笑しくて、つい堪え切れずに笑い出す玲佳。

 一体何事か?と取り乱した辻村は、ずでんと座っていたベンチから滑り落ちた。


「やだぁ、何うじうじしてんのよ。あんた男でしょ?偉いんでしょ?ねぇ」

「え、何? どういう事だよ一体」

「らしくないぞ辻村くん。私が今までこんなに頑張ってきたのに何シケた面してんのよ」


 手加減しつつも少し強めに、玲佳からばしばしと背中を叩かれ痛みに身を捩るが、なぜか不快感は感じられない。初対面の筈なのに一般人の自分に対して、彼女はどうしてこんなに馴れ馴れしいのだろう?――辻村は不思議で仕方がなかった。


「もしかして……まさか何処かで会った事ある? 俺たちって」


 過去の記憶メモリーを引き出そうと、必死になって錆び付いた脳をフル稼働させるがなかなか該当する思い出にたどり着かない。いじめていた側の人間は、苦い記憶を引きずったままのいじめられっ子に比べ、相手の事など覚えていないものである。

 もふっと柔らかい物体が、辻村の顔全体を覆った。

 玲佳が強引に彼の頭を手繰り寄せ、豊満な自分の胸へ押し付けたのだ。

 呼吸がし辛く苦しい。でも薄手のブラウス越しから伝わる乳房の柔らかさと、香水の匂いが自分の母親を思い起こさせ、安心感と癒し効果ヒーリングで彼の精神を急速に後退させていった。

 

 ――そういえば小学校の一時期、俺のクラスに大きな女の子がいたっけ。どうしてチョッカイ掛けていたのかもう忘れちゃったけど、今思えば酷い事してたよな。ああ、もう一度会えるものならその子にちゃんと謝りたいな


 羞恥心も警戒心も既に無い辻村は、ふわふわとした巨乳に埋もれながら過去の自分とその行いを悔やんていると、突然ぱあっと視界が開ける――玲佳が彼の顔を持ち上げたのだ。

 辻村の目の前には大きく、少し垂れ目気味の人畜無害そうな女性の顔が映る。


「まだわからない?―― 辻村弘毅こうきくんっ!」


 フルネームで呼ばれる名前。いつ以来だろう。

 そして自分の名を呼ぶ女性の顔が、眠っていた記憶域を刺激する。

 知ってるぞ彼女の顔。テレビの中でか?いやもっともっと前だ。それはええっと――



「でかぶつ――いや違った。お前、有馬だよな?」


 十数年ぶりに聞くクラスメイトからの問いかけに玲佳は、懐かしさで胸がいっぱいになり、黙って万人を虜にするその微笑みで返事をするのだった。

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マスカレード・ドリーム ~仮面女子奮戦記~ ミッチー @kazu1972

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