第11話 微笑みの重戦車

 ティーンエイジャーと思わしきうら若き新人選手たちが、額に汗を浮かべ試合会場の設営に勤しむ中、体育館の片隅ではリングコスチュームの上からTシャツを着た沙織と、MAXバニーの覆面を被っていない郁美とが立ち話をしていた。もちろん話題は有馬玲佳についてだ。


「はぁ……結局何だったんでしょうね、わたしたちの努力って」

がまるで嘘みたいに思えるよねぇ、今の彼女の快進撃ぶりは」


 呆気ないの結末に気の抜けてしまった沙織と、相も変わらずお気楽な郁美。ふたりの表情の差はそのまま玲佳との関係の深さに比例していた。


 事務所からのペナルティーも解除され、ほどなく太平洋女子のリングに復帰した玲佳は、謹慎以前とはまるで別人のような活躍ぶりを見せ出した。あれほど沙織からさんざん指摘されたメンタルの弱さも完全に克服した今、彼女に恐れるものは何もない。


「結局さ――怖い先輩や口やかましい仲間よりも、イチバン偉い人からの助言が効果的なんだな。やっぱり」

「ちょっとセンパイ。今さらっと酷い事言ってません?」

「そお? あたし知ぃ~らない」


 沙織から悪口を指摘されるや郁美は、わざとらしく口笛を吹きそっぽを向いた。

 ここしばらく玲佳の問題に取り組んできたふたりだけに、リング上での彼女の活躍は非常に喜ばしい限りであるが、それに伴い別の心配事も新たに発生するのだった。


「やっぱり玲佳ちゃん、辞めちゃうのかな――?」


 笑顔から急に輝きの消えた郁美に、沙織は一瞬戸惑った。

 同じ事務所に所属しているとはいえ、四人で一緒に芸能活動をしているわけではないので個々の事情は彼女にも全く把握できていない。この業界では重鎮クラスであるお笑い芸人・内藤の寵愛を受けの方の活動が増え《美しき野獣ベッラ・ベスティア》のフルメンバーが揃い踏みする機会も減ってきた。玲佳がプロレス活動を休業クローズし、タレント活動の方へ比重を移すような噂はネットやゴシップ誌等で知っているが、それがなのか分からないし信じたくもない。


「それは本人の気持ち次第でしょうけど……直接彼女から「辞める」なんて聞いてないし」


 表面上は強がっているものも、時折憂いの表情をみせる沙織。

 彼女ら美獣軍団の姉妹以上の固い絆は、敵側である郁美も重々承知している。たったひとりで闘う身分なだけに、苦しい時にフォローし合える仲間がいるのを羨ましく思った事も幾度となくあるし、それだから今の沙織の心境も十分に理解できる。


 郁美の中ではもう気持ちは固まっていた。未来がどちらへ転がるせよ、今日の試合で有馬玲佳に対し最上級のプロレスを、我が身をもって知らしめてやろう、と。



 一週間前、メインイベントの六人タッグマッチ――

 

 試合終了後のリングは大いに荒れていた。

 MAXバニー率いる《太平洋女子正規軍》と、沙織・玲佳・多恵の美獣軍団との闘いは二十分近い総力戦の末、大技の集中砲火を浴びた多恵をピンフォールし正規軍が勝利を納めたが、納得のいかない玲佳はバニーを捕まえ番外戦を繰り広げたのだ。

 互いに一歩も引く事なく、肘や脚を武器にして、相手の肉体に痛みを刻み付けていく両者。骨肉が皮膚へとぶつかる音が、より一層彼女たちの闘争心を掻き立てていく。

 苦痛と怒りに顔を歪めながらも、尚闘う事を止めない彼女らを見かねたセコンド陣は、遂にリングの中へ強硬突入、全力でふたりの間へ割って入ったのだった。


 荒れ気味だった呼吸も収まり、ようやく冷静さを取り戻した玲佳はマイクを掴むと、対角線上のコーナーにいるバニーへ猛烈に捲し立てた。


「こんな結果で、納得いくわけねぇだろっ! だからバニー……次はわたしとシングルで勝負しろっ!!」


 突然のにバニーは驚くと共に、期待感が高ぶってニヤニヤ笑いが顔から離れない。これが以前の彼女だったら相手にせず対戦要求を一蹴していただろう。だが闘争心やフィジカルも充実し、プロレスラー・有馬玲佳の完成形に近付いている今の彼女なら、対戦を断る理由など何もない。むしろ


「よぉし次の大会で、本気の有馬玲佳と勝負してやる。だからお前、負けた時の言い訳を考えるヒマがあったら、自分の持てる力を全部使ってこのバニーをでかかってこいよ!」


 負けじとマイクで応戦するバニー。これによって次回大会のメインはふたりの一騎打ちに決定した。

 仲間の沙織らとともに、ファンたちに囲まれながら意気揚々とバックステージへ入っていく玲佳を、バニーはコーナーマットに寄り掛かり、殴打の応酬で酷く腫れ上がった頬を覆面の上から押さえじっと眺めるのだった。




 試合直前の控室では身支度を整え終えた玲佳が、パイプ椅子にひとり腰掛け目を閉じ、なみのように荒ぶる闘争心をコントロールしていた。今ここで暴発してしまっては元も子もない。リングに立つ相手の姿を直に確認し、闘いの始まりを告げるゴングが鳴った瞬間バルブを捻り一気に開放させるのだ。

  


「――番組の評判も悪くないし、レギュラー化は間違いないわね玲佳」


 二日前、太平洋女子プロレスの事務所では玲佳とマネージャー、そして太平洋女子と彼女らの芸能事務所との橋渡し役を務める大臥とが今後の活動についての話し合いが行われていた。


 プロレスと同時進行で行われていた大御所お笑い芸人・内藤アキマサとの番組制作も、特番枠で放映されたパイロット版が幸いスポンサーや視聴者からの高評価を受けレギュラー枠を獲得するのも時間の問題だった。だがスタジオでの収録やロケーション撮影など彼女が事は多く、今までのようにレギュラーで太平洋女子に参戦するのは難しくなってきた。

 番組スタッフは有馬玲佳を全く色の付いていない、として世に出したいが為に、彼女のイメージから最も遠い所にある《プロレス》の要素を消したがっている。その徹底ぶりは放映されたパイロット版でも、玲佳にプロレスの「プの字」を一度も言わせなかったほどだ。

 見た目的にはあまり衰えていないとはいえ、内藤も中年を通り過ぎじじい呼ばわりされる歳になっていた。鋭かったにもキレがなくなり返すタイミングも以前より遅くなった彼には、のような人の言う事のよく聞き理解する玲佳が絶対に必要、とスタッフは考えていた。


 日に日に高まっていく彼女のプロレスへの想いなど関係なしに、本人の知らぬ所で物事は着々と進められていたのだった。


「玲佳さんがいま戦線離脱しまうと、太平洋女子側としては若干痛手になってしまいますが……致し方ないですね、こればかりは」


 大物芸人とのテレビ出演により知名度が急上昇し、都内はもとより地方大会での興行権販売の《切り札》として、玲佳に対し大いに期待をかけていた矢先の出来事に、大臥は正直心苦しかったがそれでも努めて、彼女を快く送り出してやろうと笑顔を見せた。

 玲佳はとても居心地が悪かった。

 自分はこれからも、プロレスと芸能の両方で頑張っていこうと決めていたのに、によって進路を変えられた悔しさに、苛立ちが時が進む毎に募っていく。そしてこれまでスケジュール調整等で、散々世話を掛けた大臥に対し申し訳ない気持ちで一杯だった。


「お疲れ様でした、玲佳さん。これからのご活躍を選手・社員一同、陰ながら応援させていただきます」 


 大臥が握手を求めてきた。これに応じてしまえば金輪際、プロレス界との関係が途絶えてしまうのではないか――そう思うと一旦出しかけた手が止まる。玲佳はマネージャーの方を向いた。やはり彼女も辛そうな表情であった。ギリギリまで番組プロデューサーらと今後の活動に関して交渉を行ったのだろう。だが相手も内藤の名前を出して頑なにプロレス活動との並行を認めなかった。の彼が「NO」と言えば玲佳側も引き下がざるを得ないからだ。

 

 重く沈黙の時間が、狭い部屋の中に流れる。

 このままではいけない、そう思ったマネージャーは彼女に目配せをし大臥と握手するように促した。

 しっかりと固く握られたふたつの手――彼の目に映っている表情とは裏腹に、玲佳の胸中は無念さで一杯だった。


「玲佳さん、もうすぐ出番ですっ!」


 ひとりの若手選手が、試合の開始を知らせるため控室に飛び込んできた。床を鳴らす靴音が耳に入った瞬間玲佳は、ずっと閉じていた瞼を開き、胸の奥底にある闘争心にエンジンを掛ける。

 

 通路へ向かおうと、立ち上がった玲佳だったが控室から出る寸前に、未だスマートフォンが左手に握られているのに気が付いた。


「これ預かります、玲佳さん」

「ごめんね、手間掛けさせちゃって」


 慌てて自分のスマートフォンを彼女に手渡すと玲佳は、ちょっぴり恥ずかしそうに頭を掻いて謝った。

 薄くラメの入ったピンク色のケースで隠された液晶画面には、内藤への発信履歴が縦一列に並んでいる――今日の試合の件は、事前に伝えてはいるものの、本当に来てくれるかどうか心配になった玲佳が、出番待ちの時間に何度も彼へコールしていたのだ。結局内藤へ電話は繋がらなかったが、別にそれでもいいと思っていた。不安定な自分の気持ちに活を入れてくれる、彼のひと声が聞きたかっただけだからだ。


 ――これでプロレスも最後、か


 玲佳はやや眉を寄せ、ため息混じりに呟いた。

 仮に辞めるのであれば、ファンたちに惜しまれながらリングを去りたい。そのためには己の持つ潜在能力ポテンシャルをフル稼働させ、あの強敵MAXバニーを追い詰め完膚無きまでに叩き潰さねばならない。

 容易ではないがはある。

 考え事をやめ視界を現実に戻すと、薄暗い試合会場の中で四角いリングと、そこへ続く通路がスポットライトで照らされ、を向かい入れる準備は万事整っていた。

 リングアナウンサーが彼女の名を呼ぶ。

 玲佳は両手で頬を数回ぴしゃりと叩き、自分自身を奮い立たせると、期待で胸を膨らませる観客たちが待つ、闇の向こうで光輝く夢舞台へとゆっくりと歩みだす――


 リングサイドには試合を終えたばかりの沙織と多恵が、主役の到着を今や遅しと待ち構えていた。ふたりがセコンドに付く事など、全く聞いていなかった玲佳は只々驚くばかりだ。


「サプラ~イズ!」


 親友の多恵が両手を大きく広げ、道化ピエロのようにおどけてみせる。隣にいるリーダー沙織も、笑顔で彼女の到着を出迎えた。


「多恵ちゃん……それに沙織さんも」

「何も言うなって。今夜はセコンドに付きたい気分なだけ。そうだよな、沙織?」


 多恵の呼び掛けに対し、黙って首を縦に振って返事をする沙織。


「多恵の言う通りよ。わたしたちが側でずっと応援してるから、玲佳は思う存分にあのバカ兎を叩き潰して頂戴」


 女王様からのエールに、玲佳は満面の笑みでこれに応えると、普段の【有馬玲佳】を捨て去るように即座に険しい表情に変え、歓声の中颯爽とリングへかけ上がった。



 玲佳は青いコーナーマットに背を付け、入場通路をぐっと睨み付ける。一体どんな態度でバニーは現れるのか?あまりにも余裕綽々と舐めた態度で、へらへらと入場して来ようものなら、こちらとしても報復措置を取らねばならない――全ては相手の出方次第だ。

 軽快なリズムの入場テーマ曲が十五秒を過ぎた頃、遂に入場ゲート上に照射されるスポットライトの中央に、太平洋女子の人気者・《天真爛漫》MAXバニーの姿が現れた。

 普段と変わらない、楽しさに満ちた彼女の入場。通路の脇にいる観客たちとハイタッチを交わし、相手の反応とスキンシップを楽しみながらリングへと歩みを進めるバニー。


 玲佳にはその光景がとても羨ましく、そして眩しく映った。

 同時に全てをぶち壊してやりたい、破壊衝動という相反する感情も沸き上がる。

 今まさに彼女は、理性という心を縛る鎖を断ち切らんとしていた。


 そのバニーが自分の方には一瞥もくれず、ひたすらに観客たちへ事に腹を立てた玲佳は遂に、胸の中で押さえ付けていた獣性を解き放った。

 彼女の中の野獣ベスティアが咆哮する。

 巨体に似合わぬ素早さでリングを降り、真っ赤に目を血走らせバニーの元へと駆け出した。


「お下がりください! 選手の周りは大変危険です――お下がりくださいっ!」


 リングアナウンサーが緊迫した声調で、突如乱闘を始めた玲佳とバニーとの周りにいる、観客たちへ何度も注意を呼び掛ける。ふたりが場所を変える度に、人の波が彼女らの方向へうねりながら移動した。

 大きな身体から放たれる、玲佳の打撃技が重く突き刺さる。

 バニーも負けじと応戦するが、如何せん体格差はどうしようもなく、逆に打ち負けた彼女は大きく弾き飛ばされ、床に散乱した客席の中でぐったりと大の字になってしまう。

 肘打ちを下顎へ喰らい、意識が朦朧とするバニー。

 だが自分の意思とは無関係に、身体が体育館の冷たい床から引き剥がされる――玲佳が覆面のである、長い兎の耳を乱暴に掴み無理矢理に立ち上がらせたのだ。

 予想外の襲撃を受け、早くもダメージを負ったバニーは彼女の成すがままとなっていた。


 うおおおおおっ――!


 合皮でできたバニーの長い耳を掴んだまま、玲佳は悲鳴をあげる観客たちをかき分け、床に散乱する椅子を蹴散らしながらリングに向かい疾走する。

 ごつんっ、と物体が衝突する鈍い音が周辺に響き渡った。

 身動きの全く取れないバニーが、玲佳によって勢いよく鉄柱へ額を打ち付けられたのだ。

 彼女の目の奥で火花が散る。

 場外での大惨事をリングの上で、手をこまねいて見ているだけだったレフェリーが、ここにきてようやくゴングを鳴らすよう本部席に要求し、遅ればせながら試合が開始となったが、入場時の奇襲攻撃で一方的にやられまくったバニーは、既に息も絶え絶えとなっていた。

 

 戦いの舞台がリング上へと移動してからも、バニーの劣勢は続く


 マットへ這いつくばれば、重量感があるストンピングが嵐の如く腹や背中へ浴びせられ、コーナーマットに背を付ければ鋭いチョップが胸板を紅く切り刻まれていく。有馬玲佳の圧倒的なパワー殺法の前に、レスラーの中でも軽量の部類であるバニーは反撃の糸口さえ掴めずにいた。


 圧倒されていたのは対戦相手だけではなかった。

 リング下で事の成り行きを見守っているセコンド陣――《美獣軍団》の仲間である沙織と多恵も、猛る玲佳のファイトぶりに驚き開いた口が塞がらない。


「沙織……あれって、玲佳だよな?」

「そう――みたい。若干信じ難いけど」


 自分からは物事を率先してやるタイプではく、周りに促されてから初めて動きだすのが有馬玲佳――それが沙織ほかベスティアの仲間たちの、彼女に対する共通認識であった。だが現在リングで暴れている玲佳の姿はを覆すもので、故に沙織らは自らが持つ彼女の《情報》を、最新版にアップデートしなければならず、思考が一時的にフリーズしてしまったのだ。


 ここでバニーが反撃の狼煙をあげる。

 倍返しだと言わんばかりに、壁のように立ちはだかる玲佳へ目掛けて、思いっきり蹴って、打って、張った。

 しかし潜在的怪物性を覚醒させ、今や無敵状態にある玲佳の、余裕の表情を打ち消すまでには至らない。どれだけバニーが激しく攻撃しようが顔色ひとつ変えず、ただ微笑を湛えたままなのだ。


 ――身体が大きい、それだけで武器になるんだからね


 いつしかバニー=郁実が道場でのトレーニング中に、何事にも消極的だった玲佳に送ったアドバイスが、頭の中でリフレインする。


 ――しっかりと、アドバイスを実践してんじゃん。あんな怪物とまともに組み合ったら、勝つのはちょっと難しいかも


 勝てない、と言わない所にとしてのプライドが見え隠れするが、現時点で攻略する方法があるわけではない。戦況を判断し、知略を駆使して自らが勝者ウィナーとなるべく道を模索する――体格の劣る小さき者が大きな相手を倒すにはそれしかない。

 だが――

 バニーが頭を上げた瞬間、大きな足ビッグブーツが唸りを上げて顔面にめり込んだ。

 目の焦点がぐらりと揺れ、鼻の奥で血が勢いよく流れるのを感じた彼女は、ワイヤーの入ったリングを囲む、固いロープに背中を強打しマットの上へ転倒した。

 水平に張られた白いキャンバスの上に、バニーの鼻血が牡丹の花のように溢れ落ちている。


 目を覆いたくなる惨劇を目の当たりにした多恵は、それでも顔から笑みを崩さない玲佳の姿を見て、プロレス担当記者が付けた彼女の通り名ニックネームを思い出した。


 微笑みの重戦車――全くもってその通りだと、多恵は改めて実感するのだった。

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