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2019年9月12日 20:08
乙一さんを彷彿とさせます。剥がされた爪痕から流れる血液が象徴する、まだ生きているという自覚。しかし、快楽が概念でしかないと気づいた時、微小な幾千のと舌感じたものは「時間か」と驚嘆する。その瞬間から、未来永劫終わることのない「刹那」に焼かれ続ける事だろう。物語をラスト一行が鮮烈です。第5話の『残響世界』にも通じる「永遠」を底流に据えた世界観でしょうか。この世界観をもっと膨らませて、観念的で甘美な物語を創り出して欲しいです。
作者からの返信
@ugauganaさま〜いつもありがとうございます〜。乙一さん! デビュー作だけ読みました。いや、もっと読まなければいけませんね(^^;;日本文学を好きになれず、読まない時期が長かったので、読むべき有名作家さんが、未読のままであることに、最近、小さくなっています。。「エロティシズムの宇宙論」は、性を真面目に考えると、生に通じて、死に通じて、結果(なぜか)仏教について考えてしまった、という感じです。なので、この男性は、こんな長い時間待たなくても、どこかの段階で、輪廻転生して、救われるのかもしれません。第5話「残響世界」は、長編『斜面世界』に通じる、私の長年の悩みから生まれてきました。罪を犯さない人なんて、いないのですが、だからといって、「許すよ」で終わる物語が多すぎて、若い頃の私はイライラしていました。当時、私は「贖罪は不可能だ」と強く思っていて。例えば映画などで、教会の小さな部屋で懺悔をして許されるシーンがありますが、あれが不愉快でたまらなかったのです。あと、加害者が一念発起して、被害者(あるいは死んだ被害者の家族)のもとを訪れて、話し合って、「許すよ」と言われて、号泣するシーンがものすごく嫌いで。安易にバカな物語をつくらないで。お涙頂戴で許されるわけないじゃない? ……と思っていました。罪は永遠に残るから、もっと普段から気をつけて、言動を選べよ? ……と、イライラしていました。被害者の傷は永遠に残るのに、なんで加害者が許されるんだよ、ありえねーよ、永遠に苦しめよ、……などと。で、考えた結果、どんなに頑固で、どんなに乱暴で、どんなに物を考えない人間でも、そのことを知る方法が、一つだけあると思いました。加害者が被害者を心から好きになったら、その罪は、何をどうしても許されない、ということが、自然に身にしみてくるはずだと思いました。国や人に裁かれる必要なく、自然にボロボロになっていくはずだ、と思いました。その後、ボロボロになったあとの加害者ですが。それで贖罪ができるのか? ボロボロになれば許されるのか? ……という答えは、まだ出ていません( ^ω^ )なので、時々、こういう小説を書きたくなるんだと思います。ちなみに、私は小さい頃、軽くいじめられた経験くらいは、ありますけど、いわゆる暴力被害者になったことは、一度もありません。なので、なぜ、贖罪について、こんなに気になるのかは、我ながらナゾです。あんまりナゾなので、いずれまた、同じような話を書くだろうなとも思います。それこそ、私の魂は、死んでもこのことばかりを、ぼーっと考えていそうな気がします。これは私の永遠の物思いです(笑)
乙一さんを彷彿とさせます。剥がされた爪痕から流れる血液が象徴する、まだ生きているという自覚。しかし、快楽が概念でしかないと気づいた時、微小な幾千のと舌感じたものは「時間か」と驚嘆する。その瞬間から、未来永劫終わることのない「刹那」に焼かれ続ける事だろう。物語をラスト一行が鮮烈です。第5話の『残響世界』にも通じる「永遠」を底流に据えた世界観でしょうか。この世界観をもっと膨らませて、観念的で甘美な物語を創り出して欲しいです。
作者からの返信
@ugauganaさま〜
いつもありがとうございます〜。
乙一さん! デビュー作だけ読みました。いや、もっと読まなければいけませんね(^^;;
日本文学を好きになれず、読まない時期が長かったので、読むべき有名作家さんが、未読のままであることに、最近、小さくなっています。。
「エロティシズムの宇宙論」は、性を真面目に考えると、生に通じて、死に通じて、結果(なぜか)仏教について考えてしまった、という感じです。
なので、この男性は、こんな長い時間待たなくても、どこかの段階で、輪廻転生して、救われるのかもしれません。
第5話「残響世界」は、長編『斜面世界』に通じる、私の長年の悩みから生まれてきました。
罪を犯さない人なんて、いないのですが、だからといって、「許すよ」で終わる物語が多すぎて、若い頃の私はイライラしていました。
当時、私は「贖罪は不可能だ」と強く思っていて。
例えば映画などで、教会の小さな部屋で懺悔をして許されるシーンがありますが、あれが不愉快でたまらなかったのです。
あと、加害者が一念発起して、被害者(あるいは死んだ被害者の家族)のもとを訪れて、話し合って、「許すよ」と言われて、号泣するシーンがものすごく嫌いで。
安易にバカな物語をつくらないで。お涙頂戴で許されるわけないじゃない? ……と思っていました。
罪は永遠に残るから、もっと普段から気をつけて、言動を選べよ? ……と、イライラしていました。
被害者の傷は永遠に残るのに、なんで加害者が許されるんだよ、ありえねーよ、永遠に苦しめよ、……などと。
で、考えた結果、どんなに頑固で、どんなに乱暴で、どんなに物を考えない人間でも、そのことを知る方法が、一つだけあると思いました。
加害者が被害者を心から好きになったら、その罪は、何をどうしても許されない、ということが、自然に身にしみてくるはずだと思いました。国や人に裁かれる必要なく、自然にボロボロになっていくはずだ、と思いました。
その後、ボロボロになったあとの加害者ですが。
それで贖罪ができるのか?
ボロボロになれば許されるのか?
……という答えは、まだ出ていません( ^ω^ )
なので、時々、こういう小説を書きたくなるんだと思います。
ちなみに、私は小さい頃、軽くいじめられた経験くらいは、ありますけど、いわゆる暴力被害者になったことは、一度もありません。
なので、なぜ、贖罪について、こんなに気になるのかは、我ながらナゾです。
あんまりナゾなので、いずれまた、同じような話を書くだろうなとも思います。
それこそ、私の魂は、死んでもこのことばかりを、ぼーっと考えていそうな気がします。
これは私の永遠の物思いです(笑)