第4話 太った男と痩せた女
カナル夫婦は目立っていた。
夫が風船のように太っていて、妻が針のように痩せていたからだ。
だが10年後、痩せているのは夫だった。妻はまるまると太っていた。
カナル夫が死亡して、数年後のこと。
同じ町に、エクリ夫婦が越してきた。
人々は驚いた。
夫が風船のように太っていて、妻は針のように痩せていたからだ。
そして10年後、痩せているのは夫だった。妻はまるまると太っていた。
エクリ夫の葬儀に参列した人々は囁いた。
──おい待て。
──喪主のエクリ未亡人を見ろよ。
──あれは昔のカナル夫人じゃないのか……?
年齢不詳のエクリ未亡人、ふいに姿を消した。
次に町に戻ってきたときは、ノルム夫妻となっていた。
夫が風船のように太っていて、妻は針のように痩せていた。
人々はあわててノルム夫に忠告したが、彼は笑ってとりあわなかった。
10年後、痩せているのは夫だった。妻はまるまると太っていた。
タルク夫妻。メサカ夫妻。レジア夫妻。
みな同じ運命を辿った。
同じ現象を何度もくりかえし目撃するうち、人々は死にゆく夫の悲劇に飽きてしまい、もう1つの謎に目を向け始めた。
カナル夫人かつエクリ夫人かつノルム夫人かつタルク夫人かつメサカ夫人かつレジア夫人だった女性は、吸血鬼のように夫の精気を自分のものにする能力があるのだとして。
10年かけて一人の夫を殺害し、まるまると太ったあと、なぜ、次のターゲットを見つけるまでのほんの数年で、あんなに痩せてしまうのか?
ある時、酔っ払いのトランス・シャルパンティエ、いつもどおり酔っ払っていたせいで、「化け物の皮を剥いでやるぜ」と豪語した。
酔っ払いトランス、酔っ払い仲間と賭けをして、現在はホナム未亡人である女性が、葬儀のあと、どこに行くのかを見張っていた。
トランスは、隣町の山際に木造の小屋があり、そこに未亡人が入っていくところを見た。
誰も通らない、暗い山道の果て。
馬を一頭飼うこともままならない、小さな小さな傾いた小屋。
四隅の柱は、すでに中身をシロアリに食い尽くされており、つむじ風ひとつで、山の彼方へと、ヒューっと飛んでいきそうにボロボロだった。
すでに夜も更けていた。
小屋の上を、紫色の雲が見たこともない速度でめまぐるしく流れていた。
三日月が出た、と思えばすぐに隠れてしまうのだ。
酔っ払いトランス、恐ろしさのあまり酔いも覚め、おそるおそる、割れた壁の隙間から、中を覗いた。
ロウソクの光がちらちら揺れる中で、まるまると太ったホナム未亡人は、針のように痩せた男にしなだれかかっていた。
町の人々には見せたことのない妖艶な微笑みで、痩せた男に、何かぼそぼそと話しかけていた。
あいしてる……。
トランス・シャルパンティエの喉仏が上下した。
あんな目で見られ、あんな声で囁かれたら、トランスなら瞬時にホナム未亡人のとりこになってしまっただろう。
だが、痩せた男はむっつり黙って、ひたすら不機嫌そうだった。
あるいは、ひたすら疲れているらしい。
おっくうそうに、枯れ枝を組み合わせたようなカサカサの唇を動かして、こう言った。
「外に出せ……」
「いやよ」
即答したホナム未亡人は、見ているトランスの方がとろけそうな手つきで、男の胸元をいやらしく撫で続けていた。
「外に出せよ……」
「いやよ。〈永遠に〉って、誓ったでしょ?」
「あれは、……寿命のある人間の誓いだよ。おれたちはもう、人間ではないだろう……」
「いやよ。〈永遠に〉って誓ったもの」
「外に出せ……」
「いやよ」
「じゃあ、お前が出て行け。お前が、戻ってこなければ、おれは餓死できる……」
「いいわ。わたしを追い出すことができたら、お別れしましょう」
男は震える手で、出入り口らしい方向を指差した。
たぶん、出て行けと言おうとした。
だが、その手をおろして、ホナム未亡人の豊満な──豊満すぎてボールのようになった肉体にかじりついた。
正気を失った目をして、よだれを垂らして、首なのか肩なのか、さだかではない、未亡人の丸い部位に歯をたてた。
そして、音をたてて「なにか」を啜った。
気のせいだろうか。
ほんの少し、ホナム未亡人が痩せた気がした。
同時に、ほんの少し、男がふっくらしたようだった。
化け物だ!
酔っ払いトランス、転がるように逃げて、来た道を戻り、我が町に帰ろうとした。
二つの町は、そんなに離れていないのだ。
だが、不思議なことに、逃げ帰るシルエットを数人に目撃されて以来、酔っ払いトランスは、未だにどこにも帰っていない。
数年後。
町に、シルク夫妻が引っ越してきた。
夫が風船のように太っていて、妻は針のように痩せていた。
(了)
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