二人の深淵

「おや、俺と同じ姿をした奴がいる」


ラヴクラフトは道を阻む男を見て笑う。


「…………」

「お前が俺とは別のラヴクラフトなのか?」

「……あぁ、君はそう解釈したんだね」

「…………?」


男の言葉の意味を、ラヴクラフトは理解できない。


「誰かと一緒にいる時間が多かったからだろうか、あの子とは違った解釈をしていて少し驚いたよ。あぁでも、あの子は一人だったからこそ、あそこまで辿り着いたのだろうか」

「ねぇ、何の話をしているの?」

「まず言っておく、ラヴクラフトは、多重人格ではない」


男は無視して勝手に話す。


「さらに言えば、別にラヴクラフトは何かの総称であるわけでもない」

「待て、俺の予想が間違っているとお前は言うのか?それに、俺の考えをどうやって知った?」

「あ、ラヴクラフトがどうのと言う前に、まず君のことを話す必要があったな。君は、ラヴクラフトではないよ」


男はまるで聞こえていないかのように、質問を無視する。


「な……そんなはずはない、そんなはずがない。俺はラヴクラフトだ。狂気の中で他者の狂気を求め続けるラヴクラフトだ」

「……なってないなぁ」


男はようやく反応した。

男に睨まれ、鳥肌が立つ。

恐怖はなかったが、恐怖が無いことに違和感を覚える。


「君の言葉を全て無視する気だった。けれど、あまりに馬鹿だから無視する気にもならない」


苛立ちを鎮めるべく一度深呼吸をする。

優しげでありながら淡々とした元の口調に戻ると、話始める。


「君はラヴクラフトではない、これは事実だ」

「違う、俺はラヴクラフトだ」

「いいや、だって君が今求めたのは、他者の狂気ではなく、他者の狂気を求めるラヴクラフトという自分だろう?」

「……違う。断じて違う。俺は、ラヴクラフト……ラヴクラフトだ、ラヴクラフトでなくては、ならないんだ」

「もうわかりきっているが、詰めといこう。一つ。君がラヴクラフトであるのなら、狂気の神話を綴った覚えは?」


無い記憶だった。


「二つ。君がラヴクラウトであるのなら、彼の神々を見た覚えは?」


無い記憶だった。


「三つ。ラヴクラフトは狂っている。だが、君は、本当に狂っているのかい?」


自身すらも解らなくなる。


「四つ。ラヴクラフトではない君は誰だ?」

「……え?」


言葉に対する疑問ではなかった。


「あれ?俺、は……僕?私……は、ダレ?」


顔を手で覆い、自身の定義があいまいになる。

身体が内側から膨張するように蠢き、声にならない声を上げ、その姿を変貌させ始めた。


「狂気に満ちた神話を創ったラヴクラフトは元から狂っていたんだ。周りから見ればね」


変化していく身体を見ながら男は話す。


「出会った者全てを狂わせる神々。それはラヴクラフトもまた例外ではない」


少しだけ楽しげに男は話す。


「生まれた時から狂っていたラヴクラフト。普段から狂っていたラヴクラフト。狂っている事こそが彼の普通であるのなら、それはもはや狂っていないと同義である」


それが異常であってもそれしか知らねばそれは正常である。


「そんなラヴクラフトが彼の神々と出会い狂った。狂っている事こそが狂っていないラヴクラフトは、狂気の中から外へ出た。他者の正気こそが、ラヴクラフトにとっての狂気であったから」


蠢く身体はその変化を終えた。


「ラヴクラフトは狂いながらにある魔術を行使した。だが狂っていたが故に失敗した。その結果が君達、自分をラヴクラフトであると思い込むよう洗脳された……ナイアルラトホテップ」


ナイアルラトホテップと呼ばれたそれは、身体を曲げている今でさえ体長十メートルを超える異形の化け物であった。


「ふむ、やはり個体差があるようだね。ともかく、君はここで終わりだ。暴走しただけの君に非は無いから、ここから追い出すだけにするよ」


男はナイアルラトホテップに手を向ける。

辺りにアルコール臭が漂い、巨大な門が出現する。

門はナイアルラトホテップを飲み込み、消え去った。


「何を、したの?」


建物の影から一人の女性が姿を現す。


「……別の次元へと飛ばした。この世界に、彼らの居場所はないから」

「あなたは一体、何者?」

「ハワード・フィリップス・ラヴクラフト。正真正銘、本物だ」


ラヴクラフトはそう言って微笑んだが、すぐに申し訳なさそうな顔をする


「君は、彼の友人だったんだろう?ごめんよ。彼とはもう会えないし、たとえ会えたとしても、彼は君のことを知らず、君もまた彼のことを知らない」

「構わない。あなたは彼をこちらに連れてくることもできるのでしょう?」


目を丸くして驚いたような顔をするが、目を伏せた。


「初めましてからの再スタート。それどころか、彼らは人間が嫌い……いや、人間性を嫌っているから、彼らと仲良くしようとするなら、狂っていなくてはならない」

「なら大丈夫じゃない。だって彼を見れば狂うのでしょう?」

「いいや、狂えないよ。騎士団、妖組、ギルド、君たちは僕の創り出した神々じゃない、紛れもない本物の神々を目にしていながら、狂っていないのだから」

「でも」

「イリスが、クロが、シナーが、頂点たる彼らが集めた選りすぐりの者達が、人間の範疇に収まっているはずないだろう。だから狂えないんだ」

「でもあなたは」

「僕は、狂ってから人間の範疇を超えたから……昔のようには戻れないんだ」

「…………」

「ごめんよ」


ラヴクラフトは優しい声色で謝る。


「彼は団体行動を嫌ってたと思う。けど、もしも、誰かと共に行動することを、彼が良しとすることがあったのなら、もしかすると、もう一度仲良くなれるかもしれない」


誰かと協力する。

そんなことを考えたのなら、彼は彼らの中のイレギュラーとなりうる。


「ねぇ、あなたは……狂っているの?」


その場を立ち去ろうとしながら女性は振り返りラヴクラフトに質問した。


「……君の目にはどう映る?まともだと、普通だと、狂っていないと、そう思うのなら、僕は狂っているよ」

「そう」


女性は短く返事をしてその場を立ち去った。


「さて、あの城も随分ボロボロになったな」


背後に佇む巨大な城を見上げる。

両の腕が破壊され、今なお攻撃を受け続けている城。


彼には我慢ならなかったのだろうか。

人類を滅ぼすこの兵器が。

僕は彼と少ししか話していないが、彼はもしかすると、少しだけ人間を好きになって……。

いや、感情を決めつけるのはよくないな。

でも、彼がこの兵器を止めようと、あわよくば破壊しようとしたのは事実。


「なら、すこしだけ手を貸そう」


彼がしようとしたことを、僕はそれとは関係のない理由で阻んだ。

なら、彼の代わりをするというのもありだろう。


ラヴクラフトは城に手を触れる。


「致命的なバグ。僕には全てを見通す力は無いからわからないが、役目は終わったようだな」


太陽遮る城の影、男は闇へと沈んでいった。


あぁ、彼女もまた、役目は終わったのか。

彼を見送る事こそが役目。

彼の未来を作る事こそが彼女の役目。

それも僕との会話により果たされたか。

ようやく少し休めそうだ。

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