アインス

閉じたドアから、ガチャリという音が幾重にも重なって聞こえた。

巫が、その状況に一瞬遅れて気付く。

ドアを開けようとするも、ドアはびくともしない。


クソッ、開かねぇ。

だったら窓から。


閉じていたカーテンを開くとそこには、シェルターのように何物も通さない壁があった。


蹴破っ……たら下の人に被害が出る。

というかそもそも俺じゃあこの部屋は破れない。

だったらやっぱり転移するか。


そう思い転移しようとしたとき、眼の前に鏡が出現した。

巫の目に映ったそれは、ただの鏡ではなく……祀られるべきご神体であった。


「うそ。駄目。嫌だ。もう、嫌だ。これ以上は俺が壊れる」


流れ込んでくる多大な情報と過去のトラウマに悶え苦しみ、床に倒れこんだ。


「カラ、ミティ……アインスを、助けに行け」


普段なら決して言わなかったであろう。

ただ、この非常事態に、自分が動けないこの状況であったから。

自分と同じで、アインスに救われた者を。

そして何より、嫌いな者。

ベッドに寝転んでいる、カラミティに、自分よりも強いこの子供の吸血鬼に、初めて頼った。


「いやだ」


その答えは非情であった。

自分と同じようにアインスを慕っているはずの少年は、巫とは違いアインスを救おうとはしなかったのだから。


「なん、でだよ。このままじゃ……アインスが死んじまう。なのに…なんで」


意識が混濁し、立ち上がることすらままならない巫は、縋るように訴える。


「確かに僕はアインスが好きだよ。だけどね、今のアインスはだめ。壊れてるアインスなんかいらない。だから僕は、護ることはしても、止めることはしないよ」


カラミティは嫌だったんだ、壊れたアインスが……今もなお、心をすり減らし壊れ続けるアインスを見ることが。

アインスが楽になりたいというのなら、もうそのまま楽にしてあげたいと、そう思っていたのだ。


「シャーロック……ホームズ、お前でもいい……ここから出る、方法くらい、用意してあるんだろう。ここを出て、アインスを……止めてくれ」


カラミティが動かないというなら別の者を頼って、動けない自分の代わりに、誰でもいいからと。


「悪いが不可能だ。アインスという男は、私の想像を超えていた。私が用意していたすべての策が、すべて無効化された」

「だったら……だったらその鏡を、どうにかしてくれ……それだけでいいから」

「断る。その鏡をどうにかしてしまっては、君はアインスを止めにいくだろう。だから私は君が動けないようにこの鏡を放置しておく」


なんで……なんで誰もアインスを助けない。

アインスは今まさに死のうとしてるんだぞ。

それを止めるのが、仲間じゃないのか、友じゃないのか。


「なん、でだよ」

「私の想像を超えたアインスのことは気に入っているが、君に対して私はさほど興味もない。よって私はこう答えよう……答える義理はない」


あぁ、そう。

誰もアインスを助けないというのなら、俺がやるしかない。

この力を、あの日々を、認め受け入れるくらいなら、死んだほうがマシだ。

だけど、アインスが死ぬことに比べたら、大したことねぇ。


「ならもう、俺が行く」


そう言って立ち上がろうとした巫は床にたたきつけられた。


「それはだめ」

「お前……邪魔をするな術廉みちかど‼」


巫にまたがり、頭を床へと押さえつける。


「彼を説得してくれることを期待してたんだけど……きくの、君は認めたく、信じたくなかったんだな。言葉で一の心を変えるのならばよかったけれど、無理やりはだめだ、認められない」


術廉は昨夜を思い出す。

アインスとの最後の会話。

止めることの出来なかった、心を変えられなかった、最後の会話。


「どけよ‼」


巫は抜け出そうと暴れる。

しかし、術廉の一撃に沈黙した。


「悪いな。ずっと、お前の対策を叩きこまれてきたんだ。他の誰かに負けようとも、俺は決して、お前にだけは負けないんだ、きくの」

「…………君はいったい誰だ」


ホームズが声をあげた。

自分が調べた中にいなかった男、術廉の登場に。


「気にしないで下さい、ホームズさん。人であるあなたでは、私を探ることはできない、ただそれだけですから。人の身で私を探れるのは、一ときくのくらいなものです」


アインスが隠した術廉という男を、知ることなどできないと。

今のホームズでは、私の心情を読むことなど、過去を探ることなどできないと、そう丁寧に説明した。


「僕、術廉はアインスを止めると思ってた」


ベッドに寝転がるカラミティが以外そうに声を出す。


「一度は止めたさ、けど駄目だったから、諦めた。俺としては、カラミティも止めると思ってたんだけどな」

「僕は止めないよ、今のアインスはつまんないもん」

「そう。まぁいいや、俺はこれから命令通りに動くだけだから。それじゃあ、またな」


そう言って術廉は当然のようにドアを開けて外に出た。

そうしてもう一度、ガチャリと、ドアから音がした。




「標的が出てきた」


ビルの屋上から見下ろすものが一人。


「カメラのハッキングは済んでるか?」

「……なら問題ない。俺は標的がカメラのない道へ入った時に備えておく」


そう言って通話を切った男は、ビルを降り人気の少ない道を歩く。

そしてその先の工事現場にて、降ってきた鉄骨の下敷きとなり……死亡した。


「……連絡がつかない」


パソコンの前、ハッキングしたカメラから見えた事故の様子。

ねじが緩んでいたのだろうか、誰かの意思とは関係がない、完全な事故だった。


「変わりが俺がい」


その時、電話が震えた。

電話に出ると、すぐさま声がした。


「まずい、警察に張られてる。もう逃げられない、俺はいないものと考えて動いてくれ」

「待て、なぜ気付かれた」

「それが、彼の情報屋が日本で捕らえられたらしい」




街を歩く者が二人。

男と少年は師弟のような関係だった。


「随分と、すごい国だな」


先を歩く男が呟く。


「えぇ、この国は危機感が薄いのでしょうか。世界が滅んでもおかしくないような者達が裏で争っているというのに」


後ろを歩く少年が、その呟きを拾う。


「危機感が薄いんじゃなくて、そもそも気付いてないんだろう」

「そんなことが」

「あるさ。この国の警察には厄介なのがいるって言ったろう?」

「それは聞きましたが」

「……おっと、噂をすれば」


そう小声で言うと、少年の手を引き、路地に入っていった。


「師匠、急にどうしたんですか?」

「例の警察がいた。今すぐ国外に逃げる。俺が言ったことは覚えているな?」

「ん。えぇ、覚えています」

「ならばいい、護身用の小型の銃、持っているな?構わず撃て」

「わかり、ました」

「……よし、ならば行くぞ」


そう言って路地から出ようとしたその時


「何処に行く気だ」


前方から聞こえた声に、寒気を覚えた。

方向転換し、二人は走り出す。


「逃がさん」


しかし、男は地面へと叩き付けられる。

仰向けの状態で上に乗られ、身動きが取れなくなる。

口の中に無理やり指を入れられる。


「自殺などさせぬ」


口の中に用意してあった毒物を破壊される。

自殺が無理と思った男は、少年に目配せする。

少年はそれに気づき、すぐさま銃を男に向けて打つ。

しかしその弾丸も、空中で破壊される。


「なっ⁉」


指を口から抜き、喋れるようにはしておく。


「はぁはぁ、お前は、俺から何の情報を聞き出すつもりだ」

「この先起こる事件についてだ」

「事件?」


思っていたものとは違ったのか、首をかしげる。


「お前の立場なら、俺に聞くべきことはもっとあるだろう。他国の機密情報だとか」

「そんな情報を手に入れたら、多くの人が苦しむ。そうならないことが俺の願いだ」


その言葉は、衝撃的だった。

この国のほぼすべての国家機関を、自分の一存で動かせる程の男が、ただの事件の情報を欲しがった。


「なんだよ、それくらいなら別にいい。ただ、金払えよ?」

「あぁ、払うとも」

「そう、だったらどいてくれ、話すから」


そう言われ、男の上から退く。


「では、警察署へ行くぞ」

「おっと、安心して話せる場所だからだろうが、捕まえるとかいう落ちはなしだぞ」

「安心しろ、情報を話せば出してやる」

「それはお前の正義に反してないのか?」

「ただの冗談だ」


さっきまで殺伐としていた二人が、談笑しながら路地を出ていく。


「おい、付いてこい」


状況が分からず、茫然としている少年を情報屋が手招きした。

未だ状況はわからないままだが、師匠がそういうならと、師匠の後をついていった。

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