アインスの心模様
おしゃれなカフェテリア、テラス席に座り、珈琲を飲みながら書類に目を通していく。
一枚目にはこれからの予定と書かれた書類。
めくって二枚目の一行目には、どうせこのカフェで珈琲片手にこれを読むんだろうと書かれた、まだ見ぬ未来を予測する書類。
そこに張られた付箋には、声をかけてくる男がいるから、その男のお願いに答えてやれ。
読んだらはがして適当に処理してな、と書かれていた。
付箋をはがし、折り曲げてポケットに入れて数十秒ほどすると、一人の男が声をかけてきた。
「相席してもいいかな?」
振り返るとそこには、トレイに珈琲とトーストを乗せた男が立っていた。
「……好きに座ればいい」
「それじゃあ、そうさせてもらおうか」
そう言って男はテーブルを挟んで向かいの席に座った。
「…………何故他に席が空いているにも関わらず相席を?」
トーストをかじる男に質問する。
果たしてこの男で間違いないのかと。
「このカフェテリアは土日祝日の朝は混むんだ。だからあまり席を取らないよう、相席を申し出たというわけさ」
そう説明して再びトーストをかじる。
本当にこの男なのかと悩んでいると、トーストを食べ終わった男が話しかけてきた。
「先ほどから熱心に読んでいるその書類だが、いったい何が書かれているんだ?」
「人のものに興味を持つのはいいが、非常識だぞ」
「ふん、解を得る為ならば、常識などいらない」
……こいつで間違いないんじゃないか?少なくとも一般人じゃなくて変人ではあるな。
「わかった。好きに読め」
持っていた書類を男に差し出すと、男はそれをひょいと取り上げ、中に書かれた文字を追う。
男は、衝撃を受けたように小さく乾いたように笑い顔をあげる。
「これを書いた者のもとに案内してくれないかね」
そうか、こいつを連れてこいということだったのか。
「あぁ、もう好きしろ」
そう言って珈琲を飲み干し、店を出た。
後ろに付いて来ていることを確認しながら歩いていく。
ビルに入りエレベーターに乗り込み、目的の部屋に向かう。
ドアをノックし返事を待つ。
やがて中から声が聞こえてくる。
「入っていいぞ」
返事を聞き、ドアを開ける。
二人の男が、部屋の中へ入る。
「いらっしゃい
巫の後から入ってきた男を見て、その名を問う。
「では、私の名前を、当ててみたまえ」
「ほぅ……失礼なやつだが、乗ってやる」
その男を舐めまわすように見て、喋り始める。
「イギリス人かぁ。あの国は魔術に秀でている。あ、お前の相方は置いておいて、お前は魔術師ではないようだ」
「……すでに答えは出ているのでは?」
「まったく何を言ってるんだ。推理小説において最も重要なことはなんだ?トリック?事件の解決?あぁ、それも大事だ。だけど何より大事なのは、推理だ。だって推理小説だからなぁ、推理を抜いてしまったらそれは、もう推理小説ではないだろ?だから今こうやって、柄にもなく推理してるんだ」
「答えを知ったうえでの推理など、ただの後付けだろう」
「そうだとしても、俺は後付けを続ける。だって俺は、未来を読むのだから。今を推理するのは俺じゃない、お前だ。推理の出来ない俺は、今こうして後付けするんだ。イギリスと言えば、ジャックザリッパーもイギリスだよなぁ?」
「それがどうした」
「いや、聞いてみただけ。うーん、推理って難しいな、それも答えがないのだからなおさら。まぁいいや、どんどん出してこう」
吹っ切れたように言ってさっきまでより少しテンション高めに話し始める。
「私は誰でしょうなんてことを言うってことはつまり、有名人なんだろう。だけど俺はお前を見た覚えがない。海外では有名だが日本じゃ有名じゃなかったとか?それもないな。俺はちゃんと世界中を見ている、それこそテレビに映らないような裏側までなぁ。それでもお前を見た覚えがないんだ。この時点でお前からすれば、俺の情報網は不合格だな。だけど、お前の相方なら、見たことあんだよ。助手がいるんだから、もちろん探偵もいるだろう。なぁ、シャーロック・ホームズ」
その答えを聞き、男は笑った。
「その通りだな。ワトソンがいて、ホームズがいないはずがない、実に単純だ。ホームズの出てこない外伝的な物語もいいかもしれないが、そもそも彼は語る者だからね。では次は、私が君の名前を当てようか」
「それは必要ない」
「訳を聞こうか」
「何でも知ってるって顔に書いてあるからだ。どうせ俺のことはもう調べたあとなんだろ。ってことで、よろしく、アインスだ。知ってると思うけど」
そう言ってアインスは手を出した。
「もちろん知っているとも」
そう言ってホームズはアインスの手を取り握手した。
「探偵の、シャーロック・ホームズって、本物なの?」
椅子に座って二人の会話を眺めていた巫が声をあげた。
「さて、どうだか」
「本物かどうかと聞かれれば、本物ではない。だが、シャーロック・ホームズと同じように、そしてシャーロック・ホームズよりも先に、数々の事件を解決したベーカー街の探偵ではある」
「え、じゃあホントの名前は」
「だからさっき言ったろ、答えがないって」
「悪いがもう、自分の名前が思い出せないんだ。もう私は、シャーロック・ホームズだからね」
「それはなんか、悲しいな…………あぁ悪い遮って、続けて」
まるで自分のことように悲しみ顔を伏せ、自分が止めていた会話を続けるよう言った。
そうか、これが彼の持つ力か。
異能力とはまた別の特異的な力。
「おい、無視すんな。普段だったら別にいいが、今お前と会話してるのは俺だぞ」
巫を見つめるホームズに意識の外から声がかかった。
――――――!
今私は、彼の存在を忘れていた?
私が、今最も重要視していた事柄を忘れたのか?
いったいどうやって私の意識から、逃れたというのだ。
「あぁ、そうだったね。すまない」
自分が生きてきた百五十年を超える年月の中、初めての経験に、ホームズは衝撃を覚えた。
そして、ホームズが求め続けるものを、その男に感じた。
自分には計り知れない、今まで知らなかった、これから知る、未知。
「それで、ここまで来て、何が聞きたい」
「彼に渡していた書類だ。あの内容、どこまで本気で書いている」
「ん?それが分からないお前じゃないだろう」
「それはつまり、私が辿り着いたこの結論が、あっていると言うのか?」
「俺はそう言ってる」
「……ならばお前は能力者だというのか?」
その問いにアインスは、笑って答える。
「それが見抜けないお前じゃない」
そこから先の会話は決まってる。
さっきと同じように、何も答えず肯定されるだけ。
「…………君は……君はいったい、何処まで読んでいるんだ」
常識が崩れていく。
私が出した結論に、私自身が異議を唱える。
そんなことは不可能だと。
「ふむ、その質問にはいつものようにこう答えよう。何処までも、と」
あぁ、そうだろうとも。
私が調べた君は、私が見た君は、そう答えるのだ。
「そうか、ならば聞こう。君はいったい私のことをどこまで読んでいる」
「何処までもと答えたいが、お前はそれじゃあ納得してくれなそうだし答えるが、ホントにいいのか?」
「何故ためらう。なぜ私に聞く。私が君に聞いているというのに」
「何故ってそりゃあ、お前、矛盾してんだもん」
「…………なに?」
矛盾している?
それは今の私の心の内を読んでいるとでもいうのか。
「わかってないようだし説明してやるが、お前は自分自身が何者であるかを知りたがっているが、お前は自分の内面を知られることを極度に嫌っている。それでも俺に、答えろと言うのか?」
何故私は忘れていた。
私は、私を知られることを嫌っていたというのに。
故に、自分が何者であるかを、だれにも頼らず探してきたというのに。
「君を前にすると、まるで自分が自分でなくなったように感じる」
「……なんかあれだな。シャーロック・ホームズって、もっと機械みたいなやつだと思ってたけど、随分人間らしいのな」
私が、人間らしい?
人は私を、化け物のようだと言った。
人は私を、機械のようだと言った。
そんな私を、人間らしいと?
「やめろ、やめてくれ。このままでは、私が私でなくなってしまう」
小説に出てくるシャーロック・ホームズと私では、何もかもが違う。
数々の事件を解決してきた、ベーカー街の探偵。
それ以外のすべてが、まるで違うというのに。
なぜ、全く情報を握れていないはずの私を。
今ここで、初めて会ったはずの私のことを、どうしてこうまで見透かせる。
「もう、これ以上、私を……消さないでくれ」
「……そうだな、さすがにかわいそうになってきたし、お前の恐怖の正体については語ってやるよ」
頭を掻きながら、少しやり過ぎたか、とぼやく。
「お前が今恐怖しているものは、未知だ。常日頃から欲していた、
未知への恐怖?
私がそんなにも人間らしい感情を?
いやしかし、そうなのだろう。
これ以上しっくりくる答えはない。
「これで最後だ。最後に一つ、答えてはくれないか」
落ち着きを取り戻したホームズの表情に、恐怖はなかった。
「最後でいいのか?と言っても、時間がないんでもう、一つくらいしか答えれねぇけど」
「これが最後で構わないさ。残りはすべて、私自身で辿り着く」
「そう。それじゃあ、助手と共に頑張りたまえ」
「あぁ、わかっているとも」
呼吸を整え、相手の眼を見て、その奥深くを覗くように問う。
「これだけは、私ではわからない。君に問うほかない質問だ……君は、この世界が楽しいかね」
その問いに、初めてアインスの瞳が、揺れた。
「……なぜ、そんな質問を?」
「すべてを知る君は、この世界がつまらないのではと思ってね」
その言葉に、アインスは心から安堵した。
「なんだ、そんなことか。お前は馬鹿だなぁ」
今更そんな軽口で、ホームズの心は乱されない。
「すべてを知る?そんなの無理だ。俺はただ、人の数倍知っているだけで、俺の知っていることは、この世界のほんの一握りの情報だけだ。すべてなんてのは、宇宙の隅々まで、全部調べつくしてようやくだ。謎であふれたこんな世界、楽しくないわけないだろう」
そう心底楽しそうに話すアインスの顔から、笑顔が消えた。
「それが、客観的に見たこの世界の評価だ」
立ち上がり、ドアに近づいていく。
ドアを開け、最後に言った。
「俺としては……愛する者のいないこんな世界、最悪だ。滅んだってかまわない」
感情無く、心無く、淡々と言って、部屋を出て行った。
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