夏菜の思い出


 五月五日、ナツナツとの約束の日。

 僕と四葉ちゃんはいつもより早起きしてピクニックのお弁当を作っていた。


「楽しみだね、お兄ちゃん。」


 四葉ちゃんはオカズを詰めながら笑顔を見せた。意外とあっさり外に出る事を了承してくれた四葉ちゃんだけど、やはり皆んなと一緒、というのが功を奏しているのだろう。


「そうだな。天気も良いし、こりゃナツナツのリクエスト通り、星が見れそうだな。」


 神野浦高原緑地には広い広場がある。そこは良く星が見える、知る人ぞ知る秘密のスポットらしい。

 僕も行った事はあるけど、確かにあの山頂からの眺めは良さそうだと思う。


 今日の予定は昼からピクニックを楽しみながら、青空の下で読書。そして夕方には広場でバーベキュー、夜はナツナツのリクエストで星を見る。

 その日はテントを張りキャンプして、次の日の昼までに帰宅予定だ。


 天気予報でも晴れが続いていて、心配はない。


 暫くすると、僕のスマホにラインが届いた。朱里さんからだ。

 どうやら到着したようだ。


「四葉ちゃん、そろそろ行こうか。」

「あ、うん! 行こう、お兄ちゃん!」


 四葉ちゃんは天使のような笑顔で答え、弁当の入ったバスケットを両の細腕で持ち上げた。僕は飲み物と天体観測用の簡易望遠鏡のセットを担ぎ部屋を後にした。


 児童に優しい自動販売機の前に、めちゃくちゃ厳つい顔の黒いハイエースが止まっていた。


「やあ、おはようツンデレ四葉ちゃん、さ、乗って乗って!」と、運転席から手を振るのは赤野朱里さんです。……朱里さん、マイカー出すって言ってたけど、思ったより男らしかった。

 広いからいいけどね。


 車に乗り込むと、先に迎えに来てもらったであろうナツナツが後部座席にちょこんと添えられていた。


「あ、おはようなのです! 咲良兄さんに四葉姉さん!」


「おはよ、晴れて良かったな。」

「夏菜ちゃんの為に神さまが晴れにしてくれたんだよ、きっと! 四葉はそう思うんだよね、うん!」

「神さま、です?」


 ナツナツは首を傾げる。四葉ちゃんは無意識にナツナツを励ましているみたいだ。

 荷物も積み全員が乗り込むと、朱里さんは車を発進させた。僕は助手席に乗ったのだけど、後ろの席で四葉ちゃんとナツナツが戯れあっていて何とも微笑ましい光景だ。



 ——

 車を走らせること約一時間、山道を登り中腹の駐車場に車を止めた。僕達は車から降り綺麗な空気を一気に吸い込んだ。山の独特な香りがする。


 荷物を運び目的の広場に到着した僕達は早速お弁当を出した。朱里さんとナツナツは驚いた表情で僕達を見やる。


「こ、これ……凄いな!」

「美味しそうです!」


「殆ど四葉ちゃんが作ってくれたんだよ。昨日の夜から仕込みもして本格的だろ?」

「ちょとお兄ちゃん、照れくさいからやめてよ。」


 そんな会話をしながら、ラノベを読み、空を見上げ、ラノベを語り、また空を眺めた。

 楽しい時間は過ぎるのも早い、夕方にはバーベキューもして、色々片付けた後、テントを張ろうと準備をしていた、その時だった。


 僕の頭に何か冷たいものが。それはすぐにもう一度僕の頬を濡らした。


「あ、雨?」


 嘘だろ? ……天気予報ではそんな事言ってなかったのに。とはいえ、山の天候は変わりやすいっていうし、これはマズイな。


 ナツナツは雨雲に覆われていく空を見上げて、哀しそうな表情を浮かべている。とりあえず僕達は駐車場の車に駆け込み雨を凌ぐ事にした。


「凄い雨だな、これじゃ星を見るのは無理かなぁ」


 朱里さんはフロントガラスに打ち付けられる雨の強さに悪態をつく。ナツナツは落ち込んでしまったみたいで、四葉ちゃんが頭を撫でている。


「やっぱり……いないのです……神さまなんか。」

「夏菜ちゃん……」


 僕はスマホの天気予報を見る。やはり、晴れの筈なんだけれど……それなら……


「よし、皆んなはここで待っててくれ。」

「お兄ちゃん? 何処行くの? 雨だよ?」

「この雨はきっと止む。だからテント張ってくるわ!」


 ——

 僕は車を降り再び広場へ出た。凄い雨風だけど、それでも僕はテントを張ろうと杭を打ち込む。

 服が濡れて重たい、風が鬱陶しくて上手くテントを張れない。それでも……


 ……僕はナツナツに星を見せてやりたいんだ。


 その時、


「高野君っ! こ、こっちは私が支えているよ! 今のうちにそちらから杭を打ち込んで決めてってくれ!」


 朱里さん? そ、それに……


「お、おわっ、お兄ちゃんっ! こっちは四葉がっ!」


 四葉ちゃんまで!? そうか、手伝ってくれるんだな!


「おっけい任せろ!」


 激しい雨風の中、僕と四葉ちゃん、そして朱里さんはびしょ濡れになりながらテントを張り、心の底から祈った。頼むから晴れてくれと。


 そんな願いが届いたのか、空は瞬く間に晴れ渡り、さっきまでの雲が嘘のように消え去った。


「……は、晴れた……」

「晴れた……ね、お兄ちゃん。」

「晴れたぁ、良かったぁ!」


 振り返ると、そこにナツナツが立っていた。ナツナツは瞳に涙を浮かべて、何かを言いたそうに口ごもっている。僕は起き上がり、ナツナツに言った。


「ほら、神さまはいるだろ……? ちゃんとお願いしたんだから、僕達みんな……」

「咲良兄さん……も……皆んなも……馬鹿です、風邪ひいちゃうのです。」


 そんな事を言いながら、涙が溢れないように拭った頬は、ほんのりと赤みを帯びている。


「んじゃ、星を見るとしますか! ほら、雨雲がなくなって良く見えるぞ?」


 僕達は気をとりなおし、星空を見上げた。

 星には詳しくないけれど、ナツナツが瞳を輝かせているだけで良かったと思える。

 そして何より綺麗だしな、この星空は。


「あれがスピカ、そしてあの星はアークトゥルス、レグルス、あれは北斗七星です。北斗七星から伸びるスピカまでを春の大曲線っていうんです。」


 ナツナツは星を指差して得意げに教えてくれる。その笑顔はとても良い笑顔だ。


「詳しいんだな、ナツナツ。」

「はい、小さい頃、お母さんに教えてもらったんです。」

「そうか、お母さんも星が好きなんだな。今度挨拶くらいしとかないとな、散々連れ回してるし。」


「いえ、それは……それは無理なんです。」


 ナツナツは遠い目をして言った。


「お母さん、死んじゃったから。お父さんも一緒に……事故で、わたしの小さい頃に。

 それからわたしは親戚の叔母さんの所で住むようになって、……でも……」

「その親戚の家は居づらいんだな、ナツナツ。」

「……咲良、兄さん?」

「それならさ、いつでもうちに来いよな。四葉ちゃんもいるし、僕も大歓迎だ。」


 そうか、ナツナツは幼くして両親を亡くして、肩身の狭い思いをして来たのか。そして皆んなよりはやく大人になってしまったんだな。

 だから、学校でも友達が作りにくいのかも。あの頃の四葉ちゃんと同じだ。


 ナツナツは、それでもナツナツはまだ子供なんだ。


「そうだよ、夏菜ちゃん? 四葉も待ってるしね。」

「私も忘れんじゃないよ〜? ドールちゃんを愛でるのが私の生き甲斐なのだから!」


「四葉姉さん、朱里さん……生き甲斐って。」


 ナツナツは普通に引いていたけど、それでもありがとうと笑顔で答えた。

 ナツナツには、その笑顔が一番似合う。


 ナツナツは、夏野夏菜はもう一度この空を見たかったんだ。それを誰にも言えず、ずっと胸に秘めていたんだな。


「お、お母さん……お父さん……っ……」


 泣きたい時は、泣いたらいいんだ。


 ナツナツは思いっ切り泣いた。多分、本当に久しぶりに、本気で泣いたのだろうな。

 四葉ちゃんの小さな胸に顔を埋めながら、朱里さんに頭を撫でてもらいながら、思いっ切り泣いているナツナツを、僕はじっと見守った。



 神さまはいるんだ、今でもナツナツを見守っくれている、ナツナツだけの神さまが、絶対にいる。



 こうして僕達のゴールデンウィークが終わった。

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